3-2

蝶屋敷に到着し、匡近が玄関の格子戸をのんびりと開けた。
その時、甲高い悲鳴と物騒な物音が聞こえた。
ただならぬ雰囲気を感じ取った俺と匡近は、屋敷内に声もかけずに廊下を走った。
聞こえた悲鳴はあの女のものではなかった。
頭の片隅でその事実に安堵しながらも、あの女の無事を祈った。

「離せぇ!!殺すなぁぁあ!!」

次に聞こえたのは、男の錯乱したような怒鳴り声だった。
廊下を曲がった先で、短髪の男隊士が白目を剥きながら、発狂するように暴れていた。
俺や匡近よりも図体が大きく、筋骨隆々とした男隊士だ。
その入院着の下には、大量の包帯が巻かれている。
二つ結びをした神崎という女と、花柱の胡蝶が二人がかりで巨躯を押さえ込もうとしているが、男隊士はそれを簡単に跳ね除けてしまった。
まるで幻覚に陥っているかのような男隊士に、胡蝶が懸命に訴えた。

「落ち着いて!
ここに鬼はいないのよ!」
「カナエ様、鎮静剤を持ってきてください…!」
「あなたが危ないわ!」

廊下に転倒している神崎が、廊下の先に俺と匡近の姿を見つけて、救いを求める目をした。

「助けてください…!」

俺と匡近がいざ駆け出そうとした時、俺の横を誰かが瞬足で通り抜けた。
がむしゃらに暴れ回っている男隊士の両腕が、背中の方へと捻り上げられた次には、その巨躯が床に突っ伏していた。
それを淡々と流れるようにやってみせたのは、あの女だった。
一切取り乱す様子のない女は、冷静沈着に言った。

「師範、鎮静剤を」
「分かったわ!」

俺も匡近も唖然とした。
自分よりも一回り以上ある男隊士の巨躯を、華奢な女が呆気なく取り押さえてしまったのだ。
胡蝶はこの場を任せられると考えたのか、廊下を走っていった。
神崎は床にへたりと座り込み、あの女を涙目で見た。

「円華…っ、来てくれたのね…」
「もう大丈夫ですよ」

女は神崎にふわりと優しい笑顔を向けた。
その間にも、依然として暴走しようとする巨躯を易々と押さえ込み続けている。
廊下に入院中の隊士が数名、何事かと集まってきた。
見世物ではないというのに。
匡近があの女に駆け寄った。

「円華ちゃん!」
「粂野さん、不死川さん。
朝から騒々しくて申し訳ありません」

男隊士は苦しげに唸り続けながら、巨躯を捻ろうと試みている。
しかし、それは押さえ込み続ける女によって失敗に終わった。
どうやら、この女は膂力が強いらしい。
廊下の向こうから胡蝶が慌てて走ってくると、手に持っていた注射器の針を男隊士の腕に包帯の上から打ち、中身を一気に押し込んだ。
そして、男隊士は巨躯からばたりと力を抜いた。
女は押さえ込む腕を解き、男隊士から離れた。
胡蝶が安堵した様子で言った。

「円華、ありがとう。
あなたがいてくれて本当に助かったわ」
「お怪我はございませんか?」
「ええ、大丈夫よ。
あなたは?何処も打っていないかしら?」
「大丈夫です」

女は男隊士の体を仰向けにすると、気道を確保する為に顎を上向かせて、手首から脈拍を確認した。
男隊士は薄目を開きながら、呆然としていた。

「安定しています。
やはり、せん妄でしょうか」
「きっとそうね…薬を追加しましょう」
「かなり強く押さえ付けてしまって…彼の怪我が心配です」
「仕方なかったのよ。
あなたの判断は間違っていないわ」

女と胡蝶が会話している間、気を取り直した神崎が厳しい口調で見物人の隊士共を病室に追い返していた。
胡蝶は俺と匡近に微笑んだ。

「ごめんなさいね、驚かせてしまったかしら」

全てが収束したと思ったその時、男隊士が呆然とした表情のまま、のっそりと上体を起こした。
鎮静剤を打ったというのに、起き上がったのだ。
その傍らにいた女に、匡近と胡蝶が慌てて何かを言おうとした。
危ないから離れろとでも言おうとしたのだろう。
しかし、女が片手を軽く上げ、二人を制した。
何も臆することなく、男隊士に声をかけた。

「大丈夫ですか」
「皇木…さん…」

女は男隊士の背中に手を添え、優しく撫でた。
その手も表情も、慈愛に満ちていた。
薄目で女の顔を見つめていた男隊士は、先程まで自分を押さえ込んでいた女の体に、己の両腕を回した。
俺は目前で見せつけられた光景に息を呑んだ。
大柄の男隊士が、華奢な女の体をきつく抱き締めたのだ。
女は特に動揺するような様子は見せずに、男隊士の広い背中をゆっくりと撫でた。

「ここに鬼はいませんから。
安心してください」

まるで、恋人同士で抱き合っているかのようだった。
匡近が複雑そうな表情で俺の顔を一瞥した。
俺の中に、名前も知らない感情が怒涛の如く湧き上がった。
一体何だ、この感情は。
俺は両手の拳を痛い程に握り、女と男隊士を鋭い眼光で睨み付けた後、素早く踵を返して歩き出した。

「実弥!待てよ!」

匡近に呼び止められても、俺は足を止めなかった。
一刻も早く、この場から去りたかった。



2022.4.20





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