9-1

黒に近い深紫に変色した二の腕は、凹凸があって気味が悪い。
そこに鎮痛剤の注射を打たれると、鋭い痛みが走った。

「痛っ…」

私は思わず顔を顰めた。
注射を打つ師範本人は微笑んでみせているけれど、何処か哀しげだった。
怪訝な表情を浮かべながら師範の隣に立つアオイは、私の背後に立つ実弥さんをこれでもかと睨み続けている。
別室で薬を調合していたしのぶさんが、湯気の立つ薬湯を私に持ってきた。

「全部飲むのよ?」
「頑張ります」

意味深な微笑みを浮かべるしのぶさんから、湯飲みを受け取った。
ぷくぷくとした気泡が立つ薬湯は、粘着質な褐色の液体だ。
私はそれを一気飲みした。
その苦味によって喉と口内を痛いくらいに刺激されて、咽せて咳き込んだ。
実弥さんが無言で私の背中を摩ってくれた。

「さあ、そろそろ話をしようかしら」

師範から微笑みがすうっと消えた。
しのぶさんが私から湯飲みを受け取ってくれた。
私は改めて背筋を伸ばした。

「あの毒を打ったのね、円華」
「はい」
「あなたに毒の抽出を任せたのが間違いだったかしら。
あなたがどうしてもと言うから、任せたのだけれど」
「申し訳ありません」

私は師範から目を逸らさなかった。
こっ酷く叱責される覚悟はできている。

「俺にも分かるように説明しなァ」

口を挟んだ実弥さんの声は、実に不機嫌だ。
師範は丁寧に説明を始めた。

「不死川くん、円華の友人が亡くなられたのは知っているわよね?
彼女は鬼の毒で亡くなられたの」

一週間前に亡くなった友人の笑顔を思い出す。
見ているこちらまで幸せにするような笑顔だった。

「ご遺族の承諾を得て、隠がご遺体から採取した血液をここへ持ってきてくれたのだけれど。
その毒の抽出を円華に任せたら、抽出した毒の一部を持って任務へ出てしまって…」

一週間も蝶屋敷に戻らなかったのは初めてだ。
背後の実弥さんから視線を感じる。
物凄く怒っている気がする。

「円華は毒を直接体内に入れることで、自分の血液から解毒薬を調合したかったのよね」

私は実弥さんの顔を見ないまま頷いた。
毒を注射器で体内に注入し、血液中に抗体を作る。
その血液中から血清を取り出せば、解毒薬が完成する。
それが私の目的だったけれど、腕の炎症は一週間が経過しても完治しなかった。
その間、蝶屋敷に敢えて帰らなかったのだ。
私は鬼殺隊随一の執刀医だから、急患で呼び出されたら躊躇なく帰ろうとは思っていたけれど。
師範は物静かに言葉を続けた。

「あなたが解毒薬の為に自分に毒を打つのは二度目です、円華。
確かにあなたは毒に対してとても強い耐性がある特異体質だけれど、だからといって自分の体を犠牲にしてはなりません」

確か半年程前、鬼殺隊の最終選抜に合格して、師範からの提案で継子になったばかりの頃。
複数の隊士たちと一緒に鬼の毒を受けたけれど、私だけが症状もなく、一方の仲間たちは続々と倒れた。
その時初めて、自分が毒に耐性のある体だと知った。
師範やしのぶさんに調べてもらった結果、特異体質のある私は、常人には作れない抗体を作ることが可能な体だと判明した。
師範は困惑の表情を浮かべた。

「今回も無事だったから良かったけれど…。
あなたでそれだけ副作用が出るなら、常人にとって致死量を超えているのよ?」
「…はァ?!」

黙って聞いていた実弥さんが、素っ頓狂な声を出した。
師範の致死量≠ニいう言葉に、アオイが顔面を蒼白にした。
師範は真面目に言葉を続けた。

「毒を打った状態で任務に行けば、危ないのは分かるでしょう?
もし強い鬼と遭遇していたらどうなっていたかしら?」

解毒薬を作りたいなどと言う以前に、鬼に殺されていたかもしれない。
師範は真っ直ぐに私を見据えた。

「あなたは次の花柱です。
自覚を持ちなさい」
「私は花柱にはなりません」
「どうしてかしら?」
「師範がいらっしゃるからです」
「私に何かあった時、あなたがいてくれないと、ね?」

師範に何かあった時のことなど、考えたくない。
私は柱になれなくても構わない。
ずっと師範の継子でいたい。
師範にはいつまでも花柱でいて欲しい。

「他に気になる副作用はないのよね?」
「ありません」

気分だって悪くない。
左の二の腕が多少痛む程度だし、顔色が悪いのはおまけだ。

「あなたのことだから、その二の腕も早く治ると思うわ」
「はい」

私はこくりと頷いた。
鬼と戦う以上は、体の傷痕も宿命だと思って受け入れている。
実弥さんと比較すれば少ない方だけれど。

「自己犠牲的になるのも控えないとね、円華。
あなたにはもう不死川くんがいるんだから」

はっとした私は実弥さんを見上げた。
実弥さんは無言で私を見つめていた。
師範は厳しい口調で言った。

「円華、あなたに三日間の謹慎を命じます。
任務へ出ることは許しません」
「分かりました。
なら今だけ出掛けても構いませんか?」

師範としのぶさんがそっくりな表情でぽかんとした。
私の後ろにいる実弥さんも、きっと呆気に取られているだろう。
怯んだアオイが気を取り直して何かを言おうとする前に、私が口を出した。

「商都まで出掛けたいのです。
実弥さんと一緒に」

顔色が悪いと言われても、左腕が変色していても、私は元気なのだ。
今のうちに実弥さんと出掛けたい。

「オイ円華…休んだ方がいいんじゃねぇのか」

私は実弥さんの顔を見上げて、首を横に振った。
実弥さんは心配そうに眉根を寄せながら言った。

「やめとけ…出掛けるのはまた今度でもいいだろうが」
「実弥さんにもまだ指令は入っていませんよね?
こんな機会、滅多にないかもしれないでしょう?」

実弥さんも私も普段から多忙なのだから。
師範は普段の優しい微笑みを浮かべた。

「仕方ないわね。
もし駄目と言っても、あなたは抜け出してしまいそうだから…」

その通りだ。
駄目と言われた場合には、窓から抜け出す気満々だった。
師範は私の性格をよく理解している。

「いつも頑張ってくれているし、ご褒美よ?
けれど長居はいけません。
すぐに帰ってくること」
「ちょっと姉さん!」
「カナエ様!」

しのぶさんとアオイがすかさず突っ込んだ。
師範が意外にも許可をくれたことで、私の心が浮き立った。
早速準備をしなければ。
師範は実弥さんに言った。

「不死川くん、指令が入るまで円華をお願いするわね。
大丈夫だとは思うけれど、もし円華の具合が悪くなったら、引っ張ってでも戻ってきてくれるかしら」
「分かった」

実弥さんと一緒に出掛けられる。
私がぱっと笑顔になると、実弥さんもやっと口角を上げてくれた。
師範としのぶさんは楽しそうに微笑んだ。

「不死川くんと上手くいって良かったわね。
もう円華ったら、可愛いわあ」
「円華も隅に置けないのね?
吃驚したんだから」

嬉しそうな師範としのぶさんとは対照的なのがアオイだった。
ずっと黙っていたアオイは、ギリギリと歯を食い縛った。

「不死川さん…円華を穴が開きそうなくらい睨んでばかりだったあなたが…どういう風の吹き回しですか」
「悪かったと思ってる」
「クソガキだなんて罵ってましたよね」

苛立ちを隠し切れていないアオイに、実弥さんが冷や汗をかいた。
私がこの状況を打開しなければ。
アオイにも実弥さんと私の関係を認めて欲しい。

「私も実弥さんから謝罪していただきました。
それに当時の実弥さんは私への感情が一周回って捻くれてしまっていて…」
「捻くれ過ぎにも程があるわよ!
円華もどうしてこの人なの!?」
「実弥さんは優しいお方です」
「あんなに睨み付けられて、優しいだなんて嘘よ!」

実弥さんはとても優しい人だ。
私を気遣ってくれるし、励ましてくれる。
師範がアオイの背中に優しく手を遣った。

「円華が選んだ人だから大丈夫よ」
「カナエ様…」

アオイはがっくりと肩を落とした。
師範としのぶさんが認めてくれているのが嬉しい。
私はアオイに訴えるように言った。

「私はアオイにも認めて欲しいのです」
「暫くは無理だから!
あたしは認めませんからね!」

アオイは実弥さんを睨みながら指差すと、診察室から早足に出ていった。
睨み付ける相手を嫌うというのは、本来はああいう感じなのかもしれない。
師範は眉尻を下げながらアオイを見送ると、私に優しく言った。

「アオイのことは私たちに任せて、円華は出かけてらっしゃい。
私はしのぶと一緒にあなたの血液から解毒薬を作るわね。
それを接種すれば、あなたの体調ももっと良くなるわ」
「お願いします」

実弥さんと初めてのお出掛け。
とても楽しみだけれど、その前に今回の件を実弥さんから怒られるだろうな。





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