8-2

家主の老婆に出立を見送られた後、俺たちは細い並木道を駆け抜けながら、蝶屋敷へ向かっていた。
快晴の空の下、軽快に地を蹴る円華の様子を見ると、元気なのではないかと錯覚してしまう。
今頃、匡近はのんびりとした朝を過ごしているだろうか。

「円華、おぶってやる」
「え?冗談ですよね?」

俺の隣を走る円華が、ぎこちなく笑った。
その顔色はやはり良くない。
俺は円華が高く跳び上がったのを見計らうと、その体をひょいっと横抱きにした。

「わあっ!」
「色気の欠片もねェ声だなァ?」
「実弥さん!私なら走れます!」
「俺の鍛錬に付き合うんだと思え。
鍛錬にしては軽いがなァ」

円華は観念したのか、俺の首に大人しく掴まった。
満足した俺は口角を上げると、一気に加速した。

「飛ばすぜェ!」
「これ、楽しいかも…」
「そうかよ」

風を斬るように駆けるのが気持ち良いのか、円華は笑顔になった。
円華が楽しそうなら、俺も嬉しくなる。
首筋に顔を埋められると、少し擽ったかった。

「円華、何か欲しいもんはねぇのか?」
「唐突ですね」

逢えない期間中、俺は円華に何か贈りたいと思っていた。
思い付いたのは簪や帯飾りだが、結局は本人に希望を聞くのが手っ取り早いという結論に至ってしまった。

「いいから教えろよ」
「欲しい物ですか…うーん」

円華は熱心に考え始めた。
欲しい物がぱっと思いつかないようだ。
強欲ではない所が円華らしくて、改めて好きだと思う。

「もう充分ですよ、好きと言っていただけただけで」

円華は俺の頬に唇を寄せた。
可愛らしい不意打ちに、俺は顔が熱くなるのを感じた。

「そんなもんこの先何回でも言ってやる。
だから欲しいもん考えとけよ」
「でしたら今言って欲しいな…なんて」
「あァ?なら俺に隠してることも話してもらおうじゃねェかァ?」
「…それは困ります。
それに多分、着いたら分かりますから」

蝶屋敷に着いたら分かる?
円華は遠い目をしながら弱々しく微笑んだ。
その言葉の意味を訊ねても、円華は答えてくれないのだろう。

「実弥さん」
「何だ」
「好きです」

二度目の不意打ちだった。
頬に柔らかく手を添えられたから、円華と間近で見つめ合った。

「俺もお前が好きだ」

結局、好きだと言ってしまった。
円華の嬉しそうな顔が見られたから、良しとするか。
空中に跳び上がったのを見計らった俺たちは、引き寄せられるように唇を重ねた。


人の気配のない道を駆け抜ければ、午前中には蝶屋敷に到着した。
立派な門戸の前で、俺は円華をゆっくりと下ろした。
全集中で駆け抜けたが、息は上がっていない。

「お疲れ様でした、実弥さん」
「疲れてねぇよ」

それよりも俺は円華の体調の方が心配だ。
すると、蝶屋敷の庭の方向から誰かが無言で走ってきた。
髪を片側に結い上げた子供は、初めて見る顔だった。
無表情で走ってくる様子は違和感がある。
円華は片膝をつくと、飛びついてきた子供を抱き止めた。

「カナヲ」

そう呼ばれた子供は一切喋る様子はないが、円華に強く抱き着いて離さない。
確か、栗花落カナヲとかいう名前だった気がする。
円華が文で綴っていたが、円華から直々に稽古をつけられている子供だ。
子供と言っても、円華より二つ年下なだけだが。
誰かが蝶屋敷の玄関から喧しく叫んだ。

「円華…?!
カナエ様!円華が帰ってきました!」

これは神崎アオイの声だ。
あいつは俺に悪い印象しか持っていなかったから、俺と円華が好い仲だと聞けば、猛烈に反対するかもしれない。
蝶屋敷から胡蝶姉妹と神崎が走ってきた。
カナヲとかいう子供が円華から離れた後は、妹の方の胡蝶と神崎が二人で同時に円華に抱き着いた。
涙目になっている神崎は、俺に鋭い口調で突っかかった。

「あなた!円華と一緒にいるなんてどういうことですか!
円華に何かしてないでしょうね!」
「アオイ、やめなさい。
不死川くんは円華を送ってくれたのよ」

俺を睨み付ける神崎を、花柱の胡蝶が制した。
胡蝶妹が円華の両頬を手で包みながら必死で訊ねた。

「体調は?悪くない?」
「大丈夫です」
「顔色が酷いじゃない!」

普段から眉を吊り上げてピリピリした印象の胡蝶妹が、円華に対しては焦燥感を隠せないようだった。
花柱の胡蝶が円華に近付いた。

「円華、おかえりなさい」
「ただいま戻りました」

俺は蚊帳の外にいる気分だ。
女だらけで気不味い。
しかし、こいつらが何故こんなにも円華を心配するのか、その理由を知りたい。
カナヲとかいう子供だけが全く表情を変えないのが奇妙だが。
花柱の胡蝶は円華の目を見据えた。

「左腕を見せなさい」

左腕?何故、左腕なんだ?
円華は躊躇っているのか、視線を泳がせた。
眉を吊り上げた胡蝶妹が円華の左手を強引に取り、その腕の袖を肩まで捲り上げた。
その腕を見た俺は目を見張り、息が詰まった。
円華の二の腕が毒々しい紫に広く変色している。
一晩一緒に過ごしたというのに、夜着や隊服に隠れて気付かなかった。
花柱の胡蝶は残念そうに言った。

「私はまたあなたを叱らなければならないのね」
「覚悟はしております、師範」
「屋敷の中で話しましょう。
不死川くんも来てくれるかしら?」

円華の師である胡蝶は、普段通りの笑みを浮かべているように見えたが、その目は笑っていなかった。
俺は円華の凛とした横顔を見た。
こんなものを隠していたのか。
顔色が悪いのは、このせいなのだろう。
円華の腕の変色に気付けなかったことに、俺は無力感を覚えた。



2024.5.28





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