7

俺が心惹かれる女、円華から文が届いた。
頬に唇を寄せたあの夜から、既に一週間が経過していた。
文には、例の遠出の任務からまだ帰っていないと綴られていた。
もっと早く逢えると思っていた。
円華は鬼殺隊随一の執刀医であり、蝶屋敷を長らく留守にするのは難しいからだ。
あの夜、円華は俺に寄り添ってくれた。
もしかしたら、と自惚れてしまう自分がいる。

たったの一週間、されど一週間。
俺はこの七日間を途轍もなく長く感じた。

「遅ェんだよ、馬鹿がァ…」

藤の花の家紋を門戸に掲げる屋敷で、匡近が褥に寝転がって寝息を立てている。
俺が立ち寄った屋敷に、匡近も訪れたのだ。
「実弥の鎹鴉を見かけたから、この周辺にいると思った」と話していた兄弟子は、俺へのお節介が過ぎる。

隣の褥に腰を下ろす俺は、行灯の明かりを頼りに、昨日届いたばかりの文を何度も読み返していた。
綺麗に整った字が読み易い文だ。
凛として聡明な顔立ちの円華らしい字だと思う。
不意に襖の向こう側から羽音が聞こえた。
縁側に繋がる襖を音もなく開けると、昨日も逢ったばかりの鎹鴉が止まっていた。
確か、朝陽丸とかいう名前を円華から貰っていた。

「お前は円華の…。
何かあったのかァ?」
「円華ニ逢イタイナラ、ツイテコイ!」
「こんな時間にかァ?」
「行けよ、実弥」

俺は匡近の声に振り向いた。
匡近は枕に頭を預けたままこちらを見ていた。
若干眠そうな顔で、俺に笑いかけた。

「もしかしたら近くにいるんじゃないか?
明日の指令もまだ入ってないんだろ?
久し振りに逢ってこいよ」
「…そうだな」

俺は枕元に置いてあった着替えを鷲掴みにすると、寝室に隣接している部屋で早着替えをした。
家主が用意してくれた夜着を畳み、寝室の枕元に戻した。
日輪刀を帯に差し、準備完了だ。

「愛を囁いてこいよ」
「はァ?」

半開きの目で馬鹿にしたように笑う匡近に、俺は心の中で舌打ちをした。
家主を起こさないように、静かに部屋を後にした。
加速する鎹鴉の後を追って、木から木へと飛び移り、森を瞬足で駆け抜けた。
円華に逢えると思うと、胸が沸き立つのを止められなかった。

鎹鴉が案内した先には、やはり藤の花の家紋を掲げる屋敷があった。
このような遅い時間だが、家主に声をかけた方がいいだろうか。

「コッチダ!コッチ!」
「分かったよ」

俺の髪を咥えて急かそうとする鎹鴉を、手で軽く払った。
門戸を潜ったのはいいが、玄関には入らずに、広い庭へ向かった。
これではまるで盗人のようだ。
庭に面している部屋は複数あるが、鎹鴉はとある部屋の襖の前に降り立った。
室内には行灯の明かりが灯っているが、人が動くような気配はしない。
真夜中だし、眠っているのではないだろうか。
顔だけ見て帰ることになっても仕方がない。
俺は草履を脱ぎ、縁側に上がった。
そして、襖を音もなく開けた。

「…円華」

やはり、円華は褥で眠っていた。
無邪気な寝顔を見ると、安心する。
一週間前に見た時よりも、目の下の隈は薄い。
俺は音を立てずに褥に近付き、円華の顔を覗き込んだ。
長い睫毛、白い肌、そして柔らかそうな唇。
俺が惚れた女は、噂通りの別嬪だ。
次の瞬間、視野が真っ暗になった。
枕に頭を押し付けられているのだと気付いた時には、両腕を背中の方に捻り上げられ、体を突っ伏していた。

「…ぐっ…!」

円華の仕業だ。
全く反応できなかった。
次期花柱に内定しているだけある。
関節を固定されて身動きが取れない俺は、顔を枕に押し込まれながら言った。

「俺だ!離しやがれェ…!」
「……え?」

円華はやっと気付いたのか、俺の両腕と頭を解放した。
突っ伏していた俺は咳き込みながら起き上がった。
褥に座り込んだ円華は、間抜けな表情でぽかんとした。

「実弥さん…?」
「お前、捻り上げやがって…!」
「あれ…何が起きましたか?」
「無意識にやったってのかァ?」

俺は呆れ返った。
現状を遅れて理解した円華は、突然正座をすると、床に頭突きをしそうな勢いで頭を下げた。

「す、すみません寝ぼけていました!」
「…許してやるよ」

これが惚れた弱みというやつか。
すんなりと許してしまう自分がいるのが不思議だ。
円華は申し訳なさそうに眉尻を下げた。
俺は円華の前に腰を下ろし、日輪刀を畳の上に置いた。

「それにしても、何故実弥さんがここに?」
「お前が呼んだんじゃねぇのかァ?」

庭で鎹鴉が一声鳴いた。
自分が案内してやったとでも言いたげな鳴き声だった。

「あいつに案内してもらった」
「朝陽丸が…?
遠くありませんでしたか?」
「いいや」

結構走った気がするが、円華に逢える喜びに浮き立っていた俺はよく覚えていない。
円華は俺の乱れた前髪を手櫛で丁寧に整えると、柔らかく微笑んだ。

「お逢いできて嬉しいです」

何かが込み上げた俺は、円華の体を力強く掻き抱いた。

「実弥さん…?」
「ったく…可愛いなァ…」

円華は俺の背中に両腕をそっと回してくれた。
惚れた女と抱き合えることに、幸福感を覚える。
まるで、恋人同士のようだ。
円華の優しい匂いがする。

「実弥さんに逢いたかったんですよ、ずっと」

円華が更に追撃してくる。
逢いたかっただなんて言われると、ますます愛おしく感じる。
俺は円華の華奢な体を掻き抱く両腕にぎゅっと力を込めた。
柔らかな温もりに浸った後、円華と改めて向き合った。
円華が照れ臭そうに顔を綻ばせるのも可愛らしい。

「お前、ちゃんと寝てんのか」
「寝ていますよ?」
「顔に疲れが出てやがる」

俺は白い頬を両手で包んだ。
行灯の仄かな明かりでも分かるくらい、円華に疲れが見える。
恥じらって視線を落とす円華を、俺はじっと見つめた。

「疲れてるってのに、起こして悪かったな」
「起こしてくれなかったら怒っていました」
「ふざけた迎え方してくれた癖に何言ってやがる」
「ごめんなさい、体が勝手に」

可愛い寝顔を拝んでいたというのに、捻り上げられるとは。
鬼殺隊で磨き上げられた本能だろうか。
円華は困ったように笑った後、俺の目を見た。
こうして間近で見つめ合うと、唇を奪いたくなる。
俺は思ったことを躊躇なく口にした。

「好きだ」

目を見開いた円華は、次には頬を赤らめた。
この前は抱き締めることで想いを伝えたつもりだが、こうして直接口にするのは初めてだった。

「ずっと好きだった」
「…いつから?」
「多分、初めて逢った日からだ」
「それは一目惚れ…ですか?」
「分からねぇ…気付いたら惚れてた」

最初に惹かれたのは、ふんわりと柔らかな笑顔だった。
一目惚れかもしれない。
匡近に指摘されて初めて、自分が円華に惚れていると気付いたのだ。
己の恋慕に気付いても、俺は素直になれなかった。
蝶屋敷で円華に逢う度に惹かれていたというのに、未経験の恋慕を拗らせてしまった。
一方的に惚れ込む自分の想いを止められなくなり、今に至る。

「お前もさっさと俺に惚れやがれ」

お前が俺に惚れたら、その唇を奪ってやる。
本当は今すぐにでも食らいつきたい所だが。

「もう惚れていますけど…」
「…っ、は…?」
「逆にお訊ねしますが、何故惚れていないと思うのでしょうか」

逢えて嬉しいと話してくれるし、抱き締め返してくれる。
今だって頬を赤らめていた。
全て俺の自惚れだと思っていた。

「お前も俺を好きだってことか…?」
「そうですよ?」
「…言葉にしてくれねぇか」

俺は円華の両肩に手を置いた。
少しだけ間を置いてから、円華は愛らしく微笑んだ。

「実弥さんが好きです」

その言葉が俺の心に温かく沁み渡ってゆく。
自分の恋慕に気付いた当時は、遠くから見ているだけでいいと思っていた。
それがいつしか自分を見て欲しいと願うようになり、更には円華を欲しいと思うようになった。

「嘘じゃねぇよな…?」
「信じてください。
あなたが好きです、実弥さん」

円華はもう一度言葉にしてくれた。
こうして円華と想い合うことがこんなに幸せなことだとは思わなかった。
俺は白い頬に手を添えると、円華に顔を寄せた。

「…いいか?」

円華は返事の代わりに目を閉じた。
そして、俺たちは初めて口付けを交わした。
その唇はやはり柔らかかった。
ずっとこの唇に触れてみたいと思っていた。
短い口付けが終わると、俺たちは浅い吐息を交えた。
唇に食らいつきたいだとか思っていた癖に、今の俺は円華を怖がらせないようにと考えている。

「この前は気を遣って頬にしてくださいましたね」
「あの時のお前は俺を何とも思ってなかったしなァ」
「意識はしていましたよ?」
「優しい方の俺を…だろ?」
「よくお気付きで」

日中に渡って睨みまくる俺と、夜明け前に円華を抱き寄せてまで励ました俺。
円華が俺を分けて見ているような気はしていた。
優しい方の不死川さんですか、などと訊ねてきたのだから。

「あの後すぐに、これが恋だと気付いたんです」

円華は俺の隊服の裾を握った。
目を潤ませる円華が愛くるしくて、俺は我慢できる気がしなかった。
導かれるように円華の唇を塞ぎ、その頬を撫でた。
唇が触れ合ったまま、俺は呟くように言った。

「何もしねぇから…安心しなァ」

そう言った癖に、口付けはやめない。
円華が俺の首に両腕を回してきた。
良かった、嫌がられていない。
短かった口付けは、啄むような口付けに変わった。
薄目を開けると、円華が長い睫毛を伏せながら懸命に応えているのが見えた。
嗚呼、愛くるしい。
もっと欲しいところだが、円華は休んだ方がいい。

「円華、もう寝ろ」
「嫌です。
折角実弥さんがいるのに、勿体ないですから」
「可愛いこと言ってんじゃねェ」

最後にもう一度だけ口付けを落とした後、寝るように催促しようと褥をぽんぽんと叩いた。
円華が素直に横になったから、俺は掛け布団をグイッと持ち上げ、二人で一緒に入った。
夜中に起こしてしまったのは俺だが、無理にでも休ませなければ。
円華の顔が柔らかく綻んだ。

「あったかい」
「ほら、頭乗せなァ」

俺が腕を伸ばすと、円華は照れながらも俺の肩に頭を乗せてきた。
予想以上にぴったりとくっつかれた俺は、何かが込み上げるのを表に出さないように、必死で我慢した。
隊服の釦を大きく開けているから、円華の温もりを直で感じる。

「私は朝になったら蝶屋敷に戻ります。
実弥さんはどうしますか?」
「まだ指令もねぇし、送ってやるよ」
「本当ですか?嬉しいです」
「だからさっさと寝ろ」

久し振りに逢えたのだから、尚更一緒にいたい。
もし指令が入ったら、その鬼を呪ってやる。

「おやすみなさい、実弥さん」
「…おやすみ」

いい夢を見られるように、円華の頭を撫でた。
円華の入眠は驚く程に早かった。
あっという間にすやすやと規則正しい寝息を立て始めたのだ。

「寝んの早ぇな…」

思わず一人で突っ込みを入れた。
俺も少し寝よう。
隊服も羽織もそのままだが、この際だから気にしない。
円華の温もりでうとうとし始めた俺は、惚れた女の寝顔を今度こそゆっくり拝みながら寝落ちた。



2022.5.9





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