5

私は商都へ出向き、商店街を歩いていた。
まずは醤油屋へ寄って、八百屋で薩摩芋も欲しい。

―――うまい!

彼を思い出すと、人混みの中で笑みが溢れそうになった。
栄養失調で倒れた私がここまで回復したのは、煉獄さんのお陰だと断言してもいい。
胡蝶さんに私を診るように頼んだのも、私に食糧を送るように指示したのも煉獄さんだ。
煉獄さんは広く優しい心で、私の涙も真っ向から受け入れてくれる人だった。
私を介抱してくれた腕が力強くて、頼もしかった。
厨にあった薩摩芋ご飯を頂くと言われた時には、流石に驚いたけれど、嫌な気はしなかった。
そして結局、金銭は受け取ってもらえなかった。

彼を意識している自分がいる。
ここまで献身的にしてもらっていながら、心惹かれない女性はいないだろう。
もう一度逢えるかどうかも分からない人なのに。
今ならまだ引き返せる程度の想いを、忘れ去ってしまおうと思った。


醤油屋へ行く前に、甘味処へ立ち寄ろうかと思った時。
突然、右手首を乱雑に掴まれた。
私が振り向くと、人相の悪い大男が二人で私を見下ろしていた。
彼のことを考え込んでいたから、掴まれたのは不覚だった。

「見ろよ、こいつは上玉だぜ」
「高く売れそうだ」

喧騒の中でも、人攫いらしき二人の大男の声はよく聞こえた。
大勢の人が行き交っているというのに、人攫いは堂々としている。
角張った手の感触が気持ち悪くて、私は静かに人攫いを睨んだ。

「痛い目を見たくなければ、離してください」

そうは言ってみたものの、栄養失調から回復して間もない私は、明らかに膂力が足りない。
気絶させる程度ならできるだろうか。
人攫いは顔を見合わせて、小馬鹿にしたように笑った。

「滅多に手に入らねぇ上玉だな、幾らで売れると思う?」
「先に俺たちで味見してぇなあ」

その舌舐めずりを見て、私は何故か祖母を殺した鬼を思い出した。
背筋に悪寒が走ったと同時に、右手首を掴んでいる男の首裏を手刀で素早く突いた。
白目を剥きながら倒れる男を尻目に、私は走り出した。
けれど、もう片方の人攫いが私を放っておかない。

「テメェ!待ちやがれ!」

人目が多いこの商店街を抜ければ、橋の架けられた小川がある。
そこで躓かせて、小川にドボンと落としてやろう。
気楽に考えながら人の合間を駆け抜けていると、私はあの人を見つけてしまった。
目立つ髪型、炎を彷彿とさせる羽織、眼力のある瞳と正義感のある顔立ちは、間違いなくあの人だった。
まさか、もう一度逢えるだなんて。

「那桜?」

初めて名前を呼んでもらえた。
しかも、下の名前だ。
それはさておき、私を執念深く追いかけ続ける人攫いを片付けなければ。
とりあえず、この先にある小川へ向かおう。
その後で、煉獄さんと話ができるだろうか。
今まで無愛想にしてきた私を、煉獄さんが相手にしてくれるだろうか。
煉獄さんは人攫いの存在に気付き、その男を睨むように見た。
私は煉獄さんの横を通り過ぎようとしたけれど、煉獄さんがそうはさせなかった。

「わ…っ!」

私の手が煉獄さんに取られると、流れるように引き寄せられた。
人攫いに手首を掴まれた時とは全く違う、優しさのある手だった。
そのまま力強い腕に抱き込まれ、羽織で顔を素早く隠された。
煉獄さんにぴったりと寄り添う体勢になると、私の顔の温度が急上昇した。

「彼女は俺の連れだ」

普段は快活な話し方をする煉獄さんが、声に怒りを滲ませていた。
人攫いがぜーぜーと呼吸をしているのが聞こえる。

「はあ?!連れだとぉ?」
「大人しく帰ってもらおうか」
「ふざけんじゃねぇぞ!
こんな上玉、逃してたまるか!」

私は煉獄さんの羽織で視界を遮られていたけれど、人攫いの腕を煉獄さんが掴んだのが分かった。
人攫いが痛みで唸り声を上げた。

「帰れ」

私は煉獄さんの腕の中で、彼の隊服を握りたくなった。
まるで抱き締められているようで、胸の高鳴りが煩い。
人攫いは畜生やら糞野郎やら下品な言葉を残し、逃げるように去っていった。

「怪我はないか」

煉獄さんの声に、私は顔を上げた。
正義感のある顔立ちが、私を優しく見下ろしている。
私の顔は赤くなっているだろうか。
必死で平静を装った。

「平気です…あの、ありがとうございました」
「人目を集めてしまったようだな、移動しよう」

いつの間にか、小さな人垣ができていたようだ。
煉獄さんに再び手を取られ、私は歩き出した。
はぐれない為とはいえ、煉獄さんと手を繋いで歩くなんて。

「それにしても、よもやだ!
こんな所で君に逢えるとは!」
「嬉しいです」

私は恥じらいながらも、正直に答えた。
煉獄さんは少しばかり驚いた目をした後、笑顔を向けてくれた。

「俺も嬉しい!」

今日は幸福な日だ。
明日は空から日輪刀が降ってくるかもしれない。
私たちは商店街を歩きながら、話を始めた。

「買い出しか?」
「はい、お醤油が切れてしまって。
煉獄さんは?」
「この商店街を抜けた先にある山で、鬼が出たという情報が入ってな。
俺が警備する担当地区だ。
鬼の気配を探りながら歩いていたら、君に逢った」
「それなら私などの相手をしている時間などないのでは?」
「まだ陽が出ている。
それに鬼よりも君を優先したい」

鬼よりも、私を優先。
その台詞に喜びを感じる私はきっと、煉獄さんに惹かれているのだろう。

「那桜」
「っ、はい」
「そう呼んでも構わないだろうか」
「煉獄さんのお好きなように」

私が微笑むと、煉獄さんもほっとしたような笑顔をくれた。
煉獄さんは胡蝶さんを胡蝶と呼んでいたけれど、私のことは下の名前で呼んでくれるようだ。
嬉しくて、だらしない笑みが溢れそうになる。
その時、八百屋が視界に入った。

「煉獄さん、八百屋に寄りたいのですが」
「うむ、行こうか」

買うものは既に決めてある。
薩摩芋の他にも人参や葉野菜などを購入し、私が持参した麻袋に入れてもらった。
煉獄さんは八百屋の店主からそれを当然のように受け取った。

「あ…持ってくださるんですか?」
「勿論だ」
「ありがとうございます」
「次へ行こうか」

煉獄さんから優しく手を差し伸ばされた私は、視線を泳がせて躊躇ってしまった。
はぐれそうな程の人混みは落ち着いてきたし、手を繋ぐ理由がない。
けれど、繋ぎたくないとは言いたくないし、繋ぎたいだなんて言えない。
躊躇い続ける私を見かねて、煉獄さんが私の手を取った。
そのようなことをされると、自惚れてしまう自分がいる。
八百屋の中年の店主が、満面の笑みで私たちを見ていた。

「薩摩芋を沢山買っていたな!」

歩き出した煉獄さんは溌剌とした声でそう言うと、瞳を輝かせた。
とても薩摩芋がお好きなんだろうな。
煉獄さんが薩摩芋を気に入っていたから、私も食べたくなっただなんて、口が裂けても言えない。

「また君の薩摩芋料理を食べたいものだ!」
「機会があれば、是非」

私が微笑むと、煉獄さんも嬉しそうな笑顔を見せてくれた。
太陽のように眩しくて、私の傷付いた心を癒すような笑顔だった。

煉獄さんに惹かれていることを自覚してしまった。
このまま惹かれ続けるべきではない。
取り返しがつかなくなる。
繋いだ手が温かくて頼もしくて、つい握る力を込めると、煉獄さんが私に明るい笑顔をくれた。
気付いたばかりの気持ちを押し殺すなら、今なのに。



2022.1.29





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