後遺症-2
この宿は雅専用と言っても過言ではない。
宿主は雅を暗殺者と知りながら気に入ってくれているし、酒や食糧を渡せば快く泊めてくれる。
あの老婆はああ見えても抜け忍で、数十年前の顔写真がビンゴブックに載っていた経歴もある。
それを角都は知っているが、敢えてその首を狙わない。
雅の潜伏先が減るのは困るし、この宿には角都と飛段も世話になっているのだ。
デイダラが宿泊部屋に戻った時、雅は戻っていなかった。
長風呂というのは本当らしい。
雪女と呼ばれている彼女が長風呂というのも、何だか不思議だ。
地下にあった石張りの露天風呂は貸切状態で、デイダラの心を癒した。
特にこの連日は何かと頭が混乱していたし、たった今も混乱している最中だ。
「いつの間に…!」
部屋の中央に、布団が丁寧に二人分並べて敷かれているではないか。
絶対にあの老婆だ。
こちらを動揺させるあのスキルを考慮すると、あの老婆は忍かもしれない。
デイタラはそう気付いていた。
宿から用意された薄灰色の浴衣を着ているデイダラは、窓際に置かれた座布団に腰を下ろした。
四人掛けのテーブルには、デイダラの額当てと粘土袋が置かれている。
「…落ち着け、オイラ。
雅が浴衣かもしれないからってそわそわするな…うん」
ふとテーブルの上の電気ポットが目に入った。
お茶でも淹れたら気持ちが落ち着くだろうか。
その時、律儀なノック音がした。
デイダラの肩がギクッと跳ねた後、ドアが開いた。
「今日もいい湯でした」
雅はデイダラの期待を裏切らなかった。
真っ白な浴衣が雅をより一層雪女らしく見せるが、それがまた美しかった。
湯上りの肌は普段よりも赤みがあって、魅惑的だ。
ドライヤーで乾かした髪は、部屋の電灯でその艶が際立って見える。
そして浴衣の上からでも分かるスタイルの良さ。
これらは、まさに──
「芸術だ、うん…」
雅はデイダラの台詞を気にせず、テーブルを挟んでデイダラの向かいの座布団に腰を下ろした。
慌てて気を取り直したデイタラに、雅は落ち着いた様子で訊ねた。
「髪型、違うんですね」
「うん?まあな」
左目のスコープは健在だが、髷と額当ては取っ払っている。
緩く結んだ髪型は、デイダラが暁に勧誘された際の髪型と同じだった。
その金髪は雅の予想以上に長い。
雅はデイダラの顔色を見て、心配そうに言った。
「デイダラは先に寝てください。
疲れた顔をされていますよ」
呼び捨てなのに、敬語を使われるのに慣れない。
デイダラにはそのような事を考える余裕などなかった。
先に横になったとしても、雅が気になって眠れる気がしない。
「雅は…あれを見て何とも思わないのか?」
「あれとは?」
「布団だ、布団!」
膝立ちになったデイダラは、隣同士に並ぶ布団を厳しく指差した。
雅は無邪気に瞳を瞬かせた。
「私は寝込みを殺されたりしません」
寝込みを襲うのではなく、殺す?
そういう事じゃねーよ!うん!
そう突っ込みたくなったデイダラだが、雅はマイペースに立ち上がった。
冷蔵庫を開け、お茶を淹れる為のミネラルウォーターのペットボトルを取り出した。
デイダラは真面目な話を切り出した。
「オレはもうお前を殺そうとは思ってねえよ」
「え?」
デイダラは立ち上がり、雅が持つペットボトルを預かった。
その一人称が変わった事で、雅はデイダラが誠実に話すつもりなのだと悟った。
「だから、お前は安心して寝ればいい。
お前の首を狙うヤローが来てもオレが爆破してやるよ、うん」
木っ端微塵に、芸術の餌食にしてやる。
不思議そうに見上げてくる雅に、デイダラは更に補足した。
「寝込みを襲ったりもしねえよ」
それを聞いた雅は何故か笑った。
真剣に話しているというのに、笑われたデイダラはムッとした。
「デイダラは女性に不自由していないように見えますけど」
「……何だって?」
雅はデイダラが持つペットボトルに手を遣ったが、デイダラが離さない。
それどころか、デイダラはペットボトルをテーブルに無造作に置いた。
「ご、ごめんなさい…失礼でしたね」
陽気な返事が返ってくるのかと思った雅は、素直に謝罪を口にした。
デイダラの整った容姿なら、女性に不自由していなさそうだと思ったのだが。
「オレには後遺症が残ったんだぞ」
雅はデイダラの真剣な右目から目を離せなかった。
「お前以外の女全員がブスに見えるっていう後遺症だ。
二年も女に手を出してねえぞ」
淡々とした口調だが、デイダラの表情は至って真剣だった。
雅が困惑しているのを見て、デイダラはハッとした。
「何言ってんだ、オレは…」
「…えっと…」
「と、とにかく、オレはお前の一族を売買したような人間とは違う。
お前を喰いものになんかしねえから」
雅は目を見開くと、口元に手の甲を当てて俯いた。
この感情の名前はきっと、喜びだ。
しかし、一方のデイダラは雅を哀しませてしまったと勘違いした。
「な、泣かないでくれ、オレが悪かった!」
「…違うんです」
「…うん?」
「そんな風に言っていただけたのは初めてで…」
顔を上げた雅は、不器用ながらも精一杯の笑顔を見せた。
「ありがとうございます、デイダラ」
2018.4.7
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