恋人とのバレンタインデー-3
公園から移動し、不二宅に到着した。
愛が玄関の鍵を慣れた手つきで開けた。
その手首にはピンクゴールドのペアウォッチの姿があるが、良く似合っている。
『どうぞ、上がって。』
「ありがとう。」
愛の部屋に通されると、紙袋を隅に置いた。
料理や掃除などの家事が得意な愛は、部屋を何時も整理整頓している。
窓際に置かれているサボテンは兄から貰ったものだと言っていた。
ベッドの上の布団も丁寧に畳まれている。
俺は愛がクローゼットから取り出した折り畳みのテーブルを広げた。
その間に、愛は湯呑みに温かいお茶を入れて持ってきてくれた。
『はい、どうぞ。』
「すまないな。」
『いえいえ。
お母さんとお兄ちゃんに国光が来たって連絡しとく。』
俺の隣の座布団に座った愛はポケットからスマートフォンを出し、メッセージを打ち込み始めた。
その端整な横顔を眺めながら、不安が過ぎる。
越前と何の話をしたのだろうか。
愛はスマートフォンをテーブルに置き、俺と向き合った。
「先に一つだけ訊かせてくれ。」
『うん?』
「あの時…目眩がしたのか?」
俺が別の女子に腕を組まれているのを見た越前は、愛の手を取って走り去った。
愛はあの時、片手で頭を抱えていた。
『勘違いだった。』
「そうか…。」
『ごめんね、心配させて。』
愛は精神的ショックを受けると、目眩だと錯覚する時がある。
転倒しそうになったり頭に振動があると、時々目眩と勘違いする。
俺が押し倒してしまった時もそうだった。
愛は今日の説明を始めた。
『桜乃ちゃんと朋ちゃんから越前君にチョコを渡す勇気がないって相談されたの。
それであたしが越前君を校舎裏に呼び出したんだ。』
愛の友人二人は越前に好意がある。
それは誰もが一目瞭然だ。
『四人で校舎裏にいたら国光が偶然其処に来て、越前君があたしを連れ出してくれた。
その後、駐輪場で二人で話した時に…。』
視線を落としていた愛は髪を耳に掛け、俺の顔色を不安そうに窺った。
俺は愛の目を見つめたまま、次の言葉を静かに待った。
『…好きになりそうって言われた。』
「好きになりそう…?」
『諦めるからちゃんと振って欲しい…って。』
越前は間違いなく愛の事が好き≠セ。
好きになりそう≠ナはない筈だ。
愛が思い悩んでしまわないように、越前なりに気を遣ったのだろう。
もしくは、好き≠セという感情を認めていないのかもしれない。
愛は切なげに目を細め、再び視線を落とした。
『まだ好きになってない人に振られていいのかって訊いたら、いいからって言われて…。
友達でいたいから好きにならないでって伝えた。』
「…そうか。」
『国光と仲良くね…って言われたよ。』
―――ムカつくけど、あの人は手塚部長と一緒にいる方がいいと思う。
―――あの人良い人だし、平和に過ごして欲しいだけ。
越前は愛の幸せを願っていたように思う。
敢えて好き≠セとは言わず、振られる事で愛を諦めた。
越前なりのけじめだったのかもしれない。
愛は今にも泣き出しそうな表情をした。
『あの後、教室に戻ったらあの二人が心配してくれた。
国光が他の女の子といるのを見て辛かったよね、って励ましてくれた。
でも…あたしは越前君に好きになりそうだって言われたばっかりだったから…二人に申し訳なくて、上手く顔向け出来なかった。』
あの二人は越前に勇気を出してチョコレートを渡しただろう。
しかし、越前が見ていたのは愛だった。
罪悪感と闘っている愛は、テーブルの上で拳を握っていた。
俺がその手を上から握ると、愛は俺の目を見つめた。
『如何して上手くいかないのかな…。』
「お前が気に病む必要はない。
お前のせいじゃないんだ。」
『ありがと…。』
愛は頷くと、今度は微笑んで言った。
『越前君の気持ちは嬉しかったけど…あたしはやっぱり国光じゃなきゃ駄目だよ。』
その言葉は不安だった俺を慰めるかのようだった。
俺は愛に手を伸ばし、近寄ってきた身体を腕の中に閉じ込めた。
俺もお前以外は考えられない。
『今日はチョコ食べた?』
「いいや。」
『じゃああたしの分が第一号だね。』
もしかすると俺の分がないのではないかと心配していたが、愛はそれを簡単に払拭した。
愛の言葉はまるで魔法のようだ。
愛はイルカのキーホルダーのついたテニスバッグを開け、其処から小さな紙袋を取り出した。
『はい。』
今までバレンタインデーには数々のチョコレートを受け取ってきたが、それらとは比較にならない程に嬉しかった。
俺の胸の内は感激していた。
「…ありがとう。」
中身を慎重に取り出した。
シンプルで派手過ぎないハート柄の透明袋は、その口を薄桃色のリボンで結んであった。
丸いチョコレートのトリュフが入っていた。
一つ一つが丁寧にデコレーションされていて、愛の女子力の賜物だった。
ふと、紙袋の中にまだ何かが入っているのを見つけた。
それはハート型のメッセージカードで、愛の得意な字が並んでいた。
―――――
いつもありがとう
大好き!
―――――
目を見開きながら愛の顔を見ると、頬を染めながら俺を控えめに窺っていた。
如何しようもなく、愛しい。
愛に顔を寄せ、その唇を優しく塞いだ。
2017.8.27
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