挑発返し-2
部活まで時間があるとはいえ、テニスの試合には時間がかかる。
何セット出来るかなんて分からない。
レギュラージャージに着替えたあたしは、桜乃ちゃんと一緒に男女共用のコートまでやってきた。
テニス部員以外にも自由に使用出来るコートで、男女テニス部が交互に整備をしている。
ユニフォームに着替えた桜乃ちゃんがおろおろしながら見守る中、越前君がネットの前でラケットの先を地面に着けた。
「which?」
『女の子に決めさせてあげようとは思わないの?』
先月に手塚先輩から試合を申し込まれた時は、サーブ権をくれたのに。
越前君はあたしを無視してラケットのグリップを捻り、ラケットを回し始めてしまった。
勝手なんだから。
『ラフ。』
結果、グリップエンドのマークは下向きだった。
これでサーブかレシーブか、選択権はあたしにある。
「アンタさ、俺と似たようなサーブ使うんでしょ。」
あたしの全日本ジュニアの試合でも見たんだろうか。
越前君は先にサーブをするように言いたいらしい。
あたしは半ば呆れながら、桜乃ちゃんからボールを受け取り、ベースラインに着いた。
越前君はツイストサーブを使う1年生で有名だ。
一方のあたしのサーブは、それとは違う。
投げ上げる時の回転量とラケットの傾きを調節し、あらゆる方向に跳ね上げさせるオリジナル技だ。
『見たいんだ?』
越前君は静かにステップを踏み始めた。
スプリットステップだ。
ボールを持って審判の位置に立つ桜乃ちゃんが息を呑んだ。
何時の間にかフェンス越しに集まっているギャラリーが騒々しい。
男女テニス部1年レギュラー同士の対決が早々に噂で広まったみたいだ。
まぁ手塚先輩との噂は広まっていないし、それに比べたら何て事はない。
「アンタも本気出しなよ。」
お兄ちゃんから越前君は生意気だと聞いていたけど、これは本物の生意気だ。
あたしはボールを二度バウンドさせるルーティンを取った。
その瞬間、スイッチが入る。
『負けて泣いても知らないから。』
手首のスナップを利かせながら、ボールを高々と上げた。
高速で回転するボールを叩き付け、試合が始まる――かと思った。
「愛、越前、何をしている!!」
この声は……!
あたしは豪快に素振り、ボールが頭上にポコッと落ちてきた。
越前君がステップを止め、コートに入ってきた人物を恐る恐る見た。
「…………部長。」
「もうすぐ都大会の決勝戦だというのに、何をしている!」
越前君はビクリと縮こまったけど、あたしは突然現れた恋人にぽかんとしていた。
この数え切れない大勢のギャラリーの中で、大声で呼び捨てにされた。
ギャラリーはあたしたちの動向に注目しているのか、その話し声が不気味にもピタリと止んでいる。
『手塚先輩、名前…。』
「愛、お前も何をしている。」
また呼ばれた。
これは間違えて呼んでしまった、という訳でもないらしい。
手塚先輩はあたしとの交際を隠す気がないんだ。
『キューピッドになろうかと。』
「…何を言っている。」
越前君が手塚先輩を驚きの目で見ていた。
男子テニス部レギュラー全員を苗字で呼ぶこの人が、あたしを下の名前で呼んでいる。
しかもこんな大勢が注目する中で。
「体力を無駄に消費するのはやめろ。」
『如何してですか?』
「疲れているだろう。
無理をするなと言った筈だ。」
昨夜、学習机で宿題をしていたあたしは寝落ちしてしまい、手塚先輩からの電話に出られなかった。
それが余計に疲れていると思わせているのかもしれない。
気を遣ってくれたのが嬉しくて、ちょっぴり照れ笑いしてしまった。
「越前、グラウンド10周。」
「何で俺だけ…。」
『越前君、約束は守って貰うから。
土曜日は空けておいてね。』
「一球も打ってないんだけど。」
『約束は約束。』
約束≠ニいう単語に手塚先輩が僅かに反応した気がした。
不満そうな越前君が突っかかってきた。
「アンタたち如何いう関係?」
『う、煩いガキんちょ。』
「同い年でしょ。」
越前君は手塚先輩からグラウンドの数を追加される前に、ラケットを持ったままグラウンドへと走っていった。
あたしは桜乃ちゃんに駆け寄ると、ボールを受け取ってからその背中を押した。
『桜乃ちゃん、越前君を追い掛けて。』
「えっ…?」
『とりあえず土曜日って言ったら分かってくれるから。』
越前君と話す機会を得た桜乃ちゃんは、困惑しながらも越前君を追い掛けた。
あたしは微笑みながらその様子を見送った。
腕を組む手塚先輩を見上げると、真っ直ぐに此方を見ていた。
「約束とは何だ。」
『帰ったら話します。』
これ以上、手塚先輩と二人でいるのを大勢のギャラリーに見られるのは申し訳ない。
あたしは沢山の視線を感じながら、コートから走り去った。
手塚先輩との関係が噂になるのは間違いなさそうだ。
2016.12.21
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