時は突然に

嗚呼、短い人生だった。
空から落下しながら、小夜の心は驚く程に穏やかだった。
自分は人間でもなくポケモンでもなく、誰かに望まれて生まれた訳でもなかった。
ただの実験体として、生まれてきた意味なんてなかった。
だから此処で逝ってもいい。
ミュウツーと交信した時に消えていった三匹が脳裏を過る。
ヒトカゲ、ゼニガメ、フシギダネ、今其方に行きま…


―――ボフッ!


『っ?!』

衝撃は思っていたよりもずっと柔らかかった。
一体何が起こったのだろうか。
小夜は閉じていた瞳を恐る恐る開いた。
視界に入ってきたのは紫の長い体毛、澄んだ水色の広い背中。
小夜は腕にきつくイーブイを抱いたまま、その背中に跨っていた。

これは…ポケモン?

そのポケモンは小夜を乗せて風のように森を駆けていたかと思うと、大きな滝の落下点の傍にある開けた草原に足を止めた。
滝の落下によって水飛沫が発生し、マイナスイオンが小夜の頬に当たって心地良い。
小夜は逞しい背中から身軽に降り、そのポケモンの前に立った。

『ありがとう。』

小柄な小夜には、そのポケモンの身体がとても大きく感じた。
小夜は首を傾げてそのポケモンを見つめた。
神々しく凛々しい、清らかなポケモンだ。

『君は、スイクンだね。』

そのポケモンは頷いた。
小夜はバショウに読んで貰ったポケモン図鑑の記憶を頭内から探った。
バショウの声が記憶に残っている。


―――オーロラポケモンのスイクンは北風の生まれ変わりと言われており、伝説のポケモンとしてその名が知られています。

―――汚れた水を一瞬で清める力を持っているのです。


『助けてくれたんだね、ありがとう。』

バショウを思い出して少し胸が苦しくなった。
背伸びをして手を差し出し、スイクンの顔を撫でた。
スイクンは心地良さそうに目を閉じた。

『君の体毛は私の髪と色がそっくりだね。』

小夜の髪色とスイクンの体毛の色は酷似していた。
小夜は何かの縁かもしれないと微笑んだ。

『私は小夜。

仲良くしてね。』

スイクンは喉から出した声で返事をした。
偶然にもこの地を駆け巡っていたスイクンは、イーブイを抱きながら落下してくる小夜を見て咄嗟に救った。
普段なら人目に入る以前に姿を消してしまうスイクンだが、小夜を見ると普通の人間ではないと一瞬で分かり、興味を持った。
少しだけ小夜と行動を共にしてみようと思った。

小夜は器用にイーブイを膝に乗せたまま、勢いの強い川の水を両手で掬って飲んだ。
昨日から何も飲んでおらず、喉も身体も乾ききっていた。
水分を摂取すると、体力が少し回復した気がした。
イーブイも喉が乾いている筈だが、もう丸一日眠り続けている。

『イーブイ、お水だよ。』

小声で話し掛けてみると、イーブイの耳がぴくりと動いた。
気になったスイクンが小夜の背後からイーブイを覗き込んだ。

イーブイは夢を見ていた。
住処にしていた草むらに突如現れた怪しい人間たち。
奴らは無慈悲にもイーブイの仲間を次々と捕獲し、イーブイ自身も逃亡を図ったが捕獲されてしまった。
檻に無理矢理押し込まれてから意識は途絶え、気付いた時には薄暗い研究所の一室にいた。
人間によって檻から乱暴に出されると、体毛をピンセットで数本抜かれ、次には狭いガラス管の中に押し込まれた。


―――様々な進化の可能性を持つ遺伝子が手に入れば用なしだ。

―――高電圧を浴びせて細胞の動きを見ます。


それを聴いて、イーブイは死を覚悟した。
このような非道な人間に生きたまま実験材料にされるくらいなら、死んだ方がましだ。
高電圧を掛けられる時、一人の人間が飛び出してきた。
子供、いやもっと幼かったように見えた。


―――絶対に助けるから!

―――死んじゃ駄目!


朦朧とする意識の中で聴こえたあの人間の声。
ガラス管の中から助け出してくれたのだろうか。
人間は自分たちを捕獲したような悪い奴らばかりではないのかもしれない。
夢の途中、川の流れる音と水飛沫が聴こえた。
そして、イーブイはゆっくりと目を開いた。

『イーブイ!』

「!」

目に映ったのは記憶にある顔。
あの人間だった。
目覚めた瞬間、その人間に容赦なく抱き締められた。
イーブイは息が詰まりそうになり、うっと声が出た。

『あ、ごめん!』

イーブイは夢に出てきた人間の膝の上に身を預けていた。
死を覚悟した為、生きている感覚をとても不思議に感じる。

“生きているの?”

イーブイは久方振りに出した声で人間に尋ねてみた。
人間はポケモンの言葉を理解出来ない為、答えが返ってくる筈はないのに。

『生きてるよ、生きてるんだよ。』

「!」

まさかだった。
人間が自分の言葉に返答したのだ。
イーブイを覗き込んでいたスイクンも目を丸くしている。

『私は小夜。

スイクンが気付いてる通り、人間じゃないよ。』

“だがお前の姿は人間だ。”

スイクンが粛々とそう言った。
小夜と名乗った幼子は静かに頷いた。

『話せば、長くなるけど。』

人間でもポケモンでもないと言えば、軽蔑されるかもしれない。
そう危惧した小夜は自分の生い立ちをその場で語れなかった。

『イーブイ、とりあえずお水飲んで。

喉乾いたでしょ。』

小夜はイーブイの両脇に手を入れて抱き上げ、膝からそっと下ろした。
イーブイが草むらに脚を着けると、思った以上に身体が軽かった。
小夜が癒しの波導で治療した為、イーブイに電圧の傷はなく、体力も回復していた。
イーブイは顔に少量ながら飛んでくる滝の水飛沫が冷たかった。

“…生きてるんだ。”

生を実感したイーブイは感極まり、川に顔ごと突っ込んだ。

『うふふ。』

小夜も水を手で掬い、イーブイの真似をして洗顔した。
スイクンは様々な思慮を巡らせながら、小夜を見つめていた。




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