心の中-5

小夜はミュウツーと会話している筈だった。
だが小夜の視界は一変し、ガラス管に眠っているミュウツーが目の前に現れた。
元の肉体に意識が戻り、突然襲ってきたのは二の腕の痛みだった。

『…っ?!』

小夜の腕には注射器が深々と刺さっていた。
刺したのは紛れもなくフジ博士だ。
現在、この研究室には小夜とフジ博士の二人しかいないのだ。
フジ博士が注射器を乱暴に引き抜くと、その中には小夜の血液がしっかりと納められていた。
小夜は二の腕の傷口を押さえながら、自分の名付け親を睨んだ。
ミュウツーと交信している間に隙を突かれたのだ。
フジ博士は目を見開きながら笑った。

「採取出来たぞ、小夜の血液が…!

バショウが実行に移せなかった血液採取をついに成功させたのだ!」

『バショウが…?』

小夜は眉を寄せた。
バショウがこの人からそのような事を命令されていたというのだろうか。
二の腕には血液が僅かに滲み、深々と刺されて鈍く痛んだ。

「お前は私たちが造り出した初めての完成品だ。」

『完成品…?』

まるで私が物のような言い方だ。
違う、生きているんだ。
此処で息をしている生き物なんだ。

あの三匹がいた筈のガラス管に小夜が視線を移すと、其処には培養液が溜まっているだけだった。
あの三匹の姿は、ない。

「お前の血液を分析し、次の研究結果に繋げる。

他にも必ずお前の複製品を完成させる。」

複製品、つまりコピーだ。
小夜に怒りが込み上げた。

『倫理に反する!

生き物の命を何だと思ってるの!』

電子画面はもうあの三匹の生命反応を映し出してはいない。
三匹はミュウツーとの交信中に亡くなり、研究の犠牲になったのだ。

「まだ幼子であるお前の口から倫理≠ネどという言葉が発せられるのは実に興味深い。

やはりお前の知能は我々が望んだレベルを超えているのだ。」

フジ博士の熱弁は止まる事を知らない。
小夜は唇をきつく噛み締める。

「人間の遺伝子配列にミュウの遺伝子配列を組み込んだ。

人間とポケモンの強制的異種交配、それが正解だったのだ。

それによってお前は世界のどのポケモンよりも強くなるように造り出せた筈だ。」

『……え?』

人間の遺伝子にミュウの遺伝子が組み込まれているとは如何いう事なのだろうか。
異種交配とは、異なる種類の生命体を交配させる事だ。
小夜は自分を人間だと思っていた。
少し特殊な能力があるだけ。
ずっとそう思って四年間生きてきた。
言い聞かせていたのかもしれない。
そう思いたかったのかもしれない。

「お前は人間とポケモンの混血だ。」

『?!』

混血
人間でもポケモンでもなく、何方の遺伝子も持ち合わせている。
小夜は瞳を閉じた。
自分は何故この研究室に閉じ込められているのか。
たった今、その理由が明確になった。
この人間たちはミュウツーを含めた人造生命体や小夜を利用しようとしている。
生き物だと思っていない。
ただの実験体としてその目に映している。

「異種交配とはいえ、人間とポケモンでは遺伝子がかけ離れ過ぎている。

私たちが生み出した他の混血である生命体は、身体の中の遺伝子同士が拒絶反応を起こして次々と死んだ。

残ったのはお前だけだった。

お前はミュウツーと同じ時期に完成するかと思えば、赤子としてガラス管から飛び出してきた。

それがお前の完成だった。」

フジ博士は目を怪しく輝かせた。
其処にはただならぬ野望を宿していた。

「お前はミュウツーよりも誕生は遅かったが、完成は早かったのだ。

私たちはこの血液とお前自身を研究し、更に強靭な生命体を生み出す。

そして見返りとして報酬を頂き、更なる資金と研究によってアイを復活させるのだ!」

『…。』

フジ博士は高らかに笑った。
アイとは博士の大切な人なのだろうと小夜は思った。
実際にアイはフジ博士の娘だ。
その娘をこの世に完璧に蘇生させる為の踏み台として、小夜とミュウツーは造り出された。
自分の都合を流暢に語るフジ博士の言葉を、小夜は瞳を閉じて黙って聴いていた。
心の中に浮かぶのはあの三匹だった。
交信して心を通わせたのはほんの僅かな時間だけだった。
それでもあの笑顔が、あの涙が、脳裏に焼き付いて離れない。
自分は道具ではない。
命を持って生まれた生き物だ。
小夜はついに涙を流しながら瞳を開いた。
その瞳は青い光を纏っていた。

「?!……っ。」

それを見た瞬間、フジ博士は床に崩れ落ちた。
注射器が乾いた音を立てて床に落ち、其処から小夜の血液が数滴零れ落ちた。

『貴方は自分を見失ってる。

私が心を持つ事を…忘れていたの。』

小夜は注射器を拾い上げ、フジ博士の元へ近寄ってその場にしゃがんだ。
そしてその胸ポケットを漁り、一枚のカードを取り出した。

『ばいばい。』

注射器を片手に持ち、カードを念力で操った。
扉のカードリーダーにそれ通すと、いとも簡単にそれは開いた。
部屋を出る直前、小夜はミュウツーに振り返った。

『ミュウツー、生きて。』

如何か、無事に目覚めて。

自動で閉まる扉を背に、小夜は歩き出した。
外という世界へ踏み出す為に。



2013.1.14




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