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「五条先生…」

「お?」


戸口に現れた名前を見て、七海と話していた五条は顔を上げた。

七海からの連絡を受けた後に血相を変えて飛び出して行った名前が今まで悠仁と会っていたのだろう事は明白な為、十中八九悠仁関連だろうと察して立ち上がる五条。

五条が名前に近寄ると、名前は迷いながらも一歩を踏み出した。

それを見て七海に聞かれたくない話というわけではないのだと思った五条は、名前の腕を引いて今し方まで自分が座っていたソファチェアに座り直し、開いた足の間に名前を座らせる。

距離感、と鋭く注意する七海の声も何のその。


「何かあった?」


五条が名前を見下ろしてそう問うと、名前の頭が小さく揺れ動いた。


「…悠二が、」


案の定開いたその口は悠二の名を呟くが、その先は続かない。

だが、名前の言わんとすることを理解した七海は、広げていた新聞を閉じて眼鏡を押し上げた。


「呪術師にとって。一般人を巻き込んでしまった、手にかけてしまったという負の感情はこの先も一生ついて回ります」

「… ! 」


七海の静かな声を受け、ぎゅっと手を握りしめる名前。

追い詰める為に言ってる訳では無いと知っている五条は七海を止める事無く、背後から名前のその手を優しく解いた。

言葉を探して澄んだ瞳に痛みを滲ませる名前を見て、この件に答えるのは私よりもと七海が五条の方を見れば、彼にしては酷く珍しい顔をしていた。


「僕はね、名前。過去に僕自身の手で親友を手にかけたことがあるんだ」


五条のその言葉に名前は弾かれたように顔を上げるものの、そこまで驚いたような反応ではなかった。

それを見た五条は硝子辺りから何かしら聞いたかなと苦笑し、フッと短い息を吐く。


「誤った道を選んでしまったからね。それがせめてもの餞だったんだ」


目元を隠している為、五条が今どんな感情で言葉を紡いでいるのかは分からない。

それでも、滲み出る寂しそうな空気だけは名前にも十分すぎるくらいに伝わってきた。


「避けて通れた道だとは思わないよ。遅かれ早かれ、きっといつかそうなっていただろうから」


そう言って五条が優しく名前に笑いかけるのは、名前もまた唯一の肉親に手をかけてしまった事を知っているからだ。


「十字を背負いながら生きるというのは、確かに簡単な事じゃない。…それでも一人じゃないから。支えてくれたり、護らなきゃいけない人達がいるから。だから僕達は進み続けているんだ」


名前もその一人だよと言って五条が名前の頭を撫でれば、彼女の瞳からポタッと透明な雫が落ちた。

それを見て詳しい話は分かりませんが…と前置きした七海が口を開く。


「呪術師である前に、君たちはまだ“子供”ですからね。五条さんや私には君たちを護る責任があります」

「優しいね七海」

「当然の事でしょう。あからさまに私情を挟んでいるアナタと違って、私は至極平等ですけどね」


しれっと毒を吐く七海を見つつ、五条は甘いよと返した。


「七海なんて名前と任務に当たったら真っ先に私情入りまくるタイプだから」

「…どういう意味ですか?」

「それだけ名前ちゃんが素直で純粋だって事!」

「…!?」

「だからアナタって人はッ…!!距離感!!」


そう言ってすぐに背後からぎゅうと名前に抱きつく五条を、先程よりもキツく咎める七海。

二人のかけ合いと抱きついてくる五条に、名前は涙を拭って思わず笑ってしまった。

ここには自分や悠仁と同じ痛みを抱え、そしてそれを乗り越え教鞭を取っている大人たちがいる。

だからこの先苦しくなって、どうしたらいいか分からなくなったとしても。

きっと目の前の彼らは差し出した手を取ってくれる。見捨てないでくれる。

そう思ったら自然と心が軽くなって、名前は白い歯を見せて微笑んでいた。

真正面から名前のその笑顔を見た七海は一瞬眼鏡の奥の目を見開いた後、それを悟られないよう眼鏡を押し上げる。


「虎杖くんは立派な呪術師です。今回同じ任務についた事で身をもって彼の覚悟だったり、強さを目の当たりにしてそう思いました」


悠仁が褒められた事に反応してか、嬉しそうに首を上下させる名前。

あどけない顔で仲間への賛辞を喜ぶ名前を見て、彼女の事もまた、悠仁同様に自分達大人が必ず護ってやらなければならないのだと七海は確信した。


「アナタとはまだ任務に当たった事がありませんが…」


その時には虎杖君のようなアナタ自身の“覚悟”を見せて下さい、と。

五条が気に入っているという彼女に少し興味の沸いた七海は、そう言って今度こそ眼鏡の奥で優しく細めた瞳を隠さなかったのだった。


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