「じゃあ、行ってくる。何かあったらすぐに連絡しろよ」
「ん」
コナンとアポロでの食事を終えて。
外で待っていた赤井のシボレーで家まで送ってもらい、少し気になることがあるから本部に行くと言う赤井に名前は手を振った。
「終わったらまたすぐに来るから、それまで大人しくしていろ」
─── え?また今日も泊まるの?
…とは思ったが、口には出せない為名前は思ったことを読まれないよう、慌てて頷いた。
そして赤井の背中が完全にドアの外に消えたのを確認すると、名前はその足で洗面所へと向かい、ウィッグを外して化粧も落とした。
少し寂しい気もするが、組織がこの“変装1”の変装姿にも疑いの目を向けてるかもしれない以上、もうこの変装はしない方がいいのだろう。
赤井達と行動を共にする時にも気に入ってこの変装で出ている事も多かったから、頻度からしても確かに危ないかもしれない。
名前は名残惜しそうにゴミ箱へとそのウィッグを放ると、棚の上から部屋着である黒のキャミソールとショーパンを手に取り着替えた。
そしてその上に紺のパーカーを羽織り、ベットで少しゆっくりしようと寝室に足を向け────
ようとした足をゆっくりとまた床へ付け戻した。
一般人ではまず気付くことなどないであろう、僅かな空気の乱れ。それは洗面所外の廊下から。
─── 部屋に誰かいる......!
物取り等であればこの建物のセキュリティはまず超えられない為、おそらくちょっとやそっとの人物でない事だけは確かだろう。…ならば、一瞬の隙でも命取りになる。
名前は一瞬の逡巡の後勢いよく洗面所のドアを開け放ち、瞬時に状況を理解すると全力で玄関へと駆けた。
「── !」
その先には黒ずくめの組織幹部である、ジンの姿。
気配は2つ感じたから、恐らくいつもジンと行動を共にしているウォッカは反対側、リビングの方にでもいるのだろう。
相手が誰かという事を理解して驚く脳を全力で押さえ込み、名前は躊躇することなくその横を駆け抜けた。
足のヒビのせいでいつもより動きが遅いが、少なくともこの部屋を出るまでは── 短い時間であれば───
俊敏さで名前の右に出る者などほとんどいない。
─── 今だけ、この瞬間だけでいい。いつも通りのスピードが出せれば…!!
組織に狙われている自分にジンとウォッカが発砲してくる事など万が一にもない事が分かっているからこそ、名前は怯むこと無く駆けた。
捕えようと伸ばされたジンの腕をスライディングに近い動作で避け、扉へと手を伸ばし────
ガンッ!!
「……ッ!!!」
名前を逃がさないよう、追い詰めるためだったのだろう。
扉にはご丁寧にロックも、チェーンも掛けられていて。それを外す僅かな動作が遅れとなった。
洗面所から飛び出し、一瞬で全ての状況を理解した名前の目は瞬時にその二つが掛かっている事を把握し、本来のスピードであれば外して外に飛び出す事は十分に可能だったはずなのだ。
そう、本来のスピードでさえあれば…
「…ッう!」
だが怪我による遅れにより、名前は僅かにその動作を間に合わせることが出来なかった。
故に願いむなしく、名前はジンによって扉横の壁に強く押し付けられてしまう。
「 …ッな、なんでこの場所が…!!」
「わかったのか。か?」
捕らわれれば男女の差で敵わないと知りつつも、その拘束から逃れようと必死に暴れる名前。
「ア、兄貴!これ見てくだせぇ」
その背後からウォッカの声が響いたかと思うと、先ほど名前が捨てた筈のウィッグを掲げてやってきた。
「…なるほど。つまり、あの姿はお前の変装した姿だったってわけか」
「─── え?」
ジンのその言葉に、何かがおかしいと思った。
ジン達はあの変装が、“変装1” の変装が名前によるものだと気付いてここに来たんじゃ……ない?
「FBIとちょこまか行動を共にする女がいたから、てっきりそいつが名前をどっかに匿っていやがるのかと思って探りを入れてみりゃ…」
そう言ってジンの瞳が嗤うように名前を見た。
「まさか、てめぇ自身がそいつ本人だったとはなァ…名前?」
「…!!」
─── そういう事か!
そのジンの発言で全てを理解した名前はギリッと強く唇を噛み、悔しそうに呻いた。
つまり、ジンたちは“変装1”を名前の変装だとは気付いてなかったのだ。
ただ、“変装1”が名前に関する何らかの情報を握っていると踏み、“変装1”が出入りするこのマンションを張っていた。
「……くそッ!!!! 」
迂闊だった。
何かの任務の時にはその都度変装を変えてはいるが、コナン達とも接する機会があり、プライベートでそう何度も変装を変えてはと思い、“変装1”での変装頻度が多くなりすぎていた。
─── ベルモットが昨日コナンの存在に気付き、それをジンに話したとは思えないけど…
よくよく考えてみれば昨日の今日で“変装1”の変装をし、コナンと会う事は避けた方が良かったのに!!!!
「ようやく素顔のてめぇと対面する事が出来て嬉しいぜ─── 名前!!!」
「やめっ !」
そう言うとジンは名前の白く細い首を掴み、片手1本でやすやすと上へ持ち上げた。
それにより床から足が浮き、首に全体重がかかった苦しさから名前は思わずヒビの入っている事も忘れ、足をばたつかせた。
「 っぅ、! …ぅあッ」
息が出来なくて。苦しくて。
生理的な涙が名前の頬を伝い、下へと流れ落ちた。
それが更にジンの加虐心を煽ったのか、ジンの腕を離そうとその腕に爪を立てる名前の包帯の巻いてある右腕を── あろうことかジンは余った方の手で、強くその部分を握ってきた。
「 っあッ!...ッあああああああぁァァッ!!!」
それにより昨日の傷口が開き、防水用の絆創膏と包帯、さらにはパーカー越しにも関わらず、その力強さから新たな血を滲ませ始める名前の右腕。
喉を掴まれたまま、声を枯らさんばかりに悲鳴を上げる名前にジンは口端を釣り上げた。
「 ア、アニキ」
ジンのドSっぷりは知っているはずのウォッカではあったが、名前のあまりの泣き叫び具合に思わずジンへと声をかける。
「なんだ?」
「い、いや。でもそれ以上やるとあのお方が….!!」
「チッ」
ウォッカの言葉にジンは舌打ちを返すと、名前の首を掴んでいた手を一気に離した。
「ッ! ..っあぁッ!!」
突如として持ち上げられていた首を解放されたわけなのだから、名前の身体は勢いでそのまま崩れ落ちるようと────
したところで“ある事”に気付き、名前はしゃがみ込もうしていた姿勢を無理矢理に正した。
何故ならそれは、首の締め付けは開放したもの、名前の怪我をした右腕をジンが今だ握り込んだままだったから。
それに気付かずそのまましゃがみ込みでもしていれば、掴まれている右腕はその勢いのまま引っ張られ、さらなる恐ろしい痛みを伴って名前に襲いかかっていた事だろう。
ウォッカですらジンのその真正の鬼畜っぷりには言葉を失っていた。
「……いっ...ッぅ……」
ポロポロと大粒の涙を流し、けれどもこんな状況にも関わらず睨みつけてくる名前に、その運命を握っているジンはククッと喉を鳴らした。
「続きは帰ってからたっぷりとしてやるよ。
…行くぞ、ウォッカ」
「へ、へい」
「やめ ッ……」
名前の右腕を掴んだまま、抵抗するその体を強引に引き摺るようにして部屋から連れ出すジン。
ウォッカも慌てたようにその後ろを追ったのだった。
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