「中に入ったら必ずあの窓際の席に座れよ」
「...分かった」
赤井の言葉にしぶしぶと頷いた後、車から降りてポアロへと向かう名前。
昔から赤井と安室の間には何か因縁があるらしく、赤井は安室が働くポアロに名前が行く事に対して、毎回あまり良い顔をしなかった。
だから言いたくなかったのに…!と思いつつ、ポアロの扉に手を掛ける名前。
カランカラン
「いらっしゃいませー。あらっ、変装1さんこんにちは」
「梓さんこんにちは」
ポアロの店員である梓が、ここに来る時には"変装1"としての変装をする名前に向け、にっこりと笑って声をかけてくれた。
「今日もコナンくんと待ち合わせ?」
「そうなんです。コナンくんとの待ち合わせ場所にはここが一番最適だし、料理もどれもすごく美味しいから」
メニューとお水を用意する梓に笑いながら、名前はさり気なく赤井に指定された窓際の席を確保して座った。
「おや?変装1さんじゃないですか」
名前の姿を見つけると、厨房から出てきた安室がさっそく駆け寄ってきた。
「久しぶりね、安室」
名前は帽子とコートを脱ぐと、薄くグロスを塗った唇を引いて安室に笑いかけた。
“変装1”になる時は大人な女としての変装だから言葉遣いも、声も普段の名前からは全く想像のつかないような姿になる。
安室は素顔の名前の方が庇護欲をかき立てられるから好きだが、“変装1”としての変装時でのこの色っぽさではまた別の魅力を感じずにはいられなかった。
だが安室の何気ない視線は名前の右腕、その長袖の下へと素早く走る。職業上安室の目が誤魔化される事は無く、その袖の下に隠された違和感に気が付かないはずがなかった。
「お昼は食べられそうですか?食べられるようであれば何か作りますけど」
意味ありげににっこりと笑って問いかければ、名前も安室の目を誤魔化せるとは思っていないのか、頷いた。
「じゃあ、お願いしようかしら。安室の作る料理は本当に美味しいから。それと、アイスティーもミルク付きで一つ」
「喜んで」
作るものを指定しないと言う事は、少なくとも動かす度に痛みが走るほどの大怪我ではないという事だ。
それに安堵する安室をよそに、さり気なく髪を掻きあげて微笑む名前。
それを見て安室は男としての自分の胸が弾むのがわかった。
─── 本当に、自然にやっているのか確信犯なのかどうか…
カランカラーン
「あっ!おねーさーん!」
再びポアロの戸が開くのと同時、店内いっぱいに声変わり前の甲高い子供の声が響いた。
「おねーさん早かったねっ!あ、安室さん僕アイスコーヒー!」
名前の向かいの席に座りながら、コナンが安室に向けて飲み物を注文する。
「こんにちは、コナンくん。コナンくんも何か食べる?」
「うん!じゃあ僕サンドイッチ!」
子供特有の無邪気な笑顔で追加注文をするコナン。
もう少し名前と話していたかった安室だが、注文が入ってしまえば用意するしかない為、大人しくこの場を後にする他ない。
その安室の背が完全に見えなくなったのを確認すると、コナンは名前に向き直って顔の前でパンッと両手を合わせた。
「悪い!名前。おかげで昨日は本当に助かった」
「気にしなくていいって」
2人になるとコナンは口調を新一のそれに戻し、それに合わせて名前も普段通りの話し方に戻した。
とある事件をきっかけに互いの正体を知る事となった2人は、互いの今までの経緯も、黒の組織についての情報についても共有し合う仲となっていた。
そしてもちろん、そんな仲であればコナンも名前の素顔を知る数少ない内の1人なわけで。
「…で。やっぱり赤井さんにも昨日の件はバレてるってワケね」
コナンが窓の外、反対側の道路に停車している赤井のシボレーを見ると、ハハハっと力なく笑った。
「昨日は俺も変装しないで慌てて向かったからな…そのツケとして保護役兼、監視役としてシュウがつく事になったんだよ」
そこに梓が2人の飲み物を持ってやってきた為、名前は一旦言葉を切った。
アイスティーにミルクを全部入れ、ほとんど真っ白にする名前を見てコナンは美味しいのかと疑うが、本人は至って満足そうにストローでそれを啜る。
「…単刀直入に聞く。コナンは昨日の件、どこまで知ってる?」
名前の探るような視線を受け、コナンも真っ直ぐに名前の方を見て、口を開いた。
「内容までは詳しく知らないけど…黒の組織が絡んでる取り引きなんだって事には気付いた」
「そう…。それなら話は早いな。
コナンが現場にいた事は俺からシュウに話したけど、組織のやつらはコナンがいた事には気付いてないと思う。…何でか俺の素顔がバレてるみたいで、シュウがいなかったら俺も危なかったんだけど」
ガムシロップも足しながらカラカラとグラスを回す名前は、だから安心してと笑って付け加える。
が、コナンはその一言を聞いて目を見開いた。
「ちょ、ちょっと待て!!組織にお前の素顔がバレてただって?!」
「あー…うん、どうやらそうみたい。まぁでも今後も変装さえしてればバレない訳だ…「そーゆー問題じゃねーだろ!」
名前が言い終わる前に、切羽詰まったようなコナンの声がそれを遮った。
「名前の情報は国家機密としてFBIから日本の政府に至るまで、徹底的に管理されてるはずなんだろ?!それが何だって─── 」
コナンが出来るだけ押し殺した声で、けれども問い詰めるようにこちらを見てくるが、残念ながら名前自身もその理由を知らないのだから答えられるはずがない。
曖昧に微笑んで首を傾げ、わからないアピールをすればコナンは一人悩むように思案し始めてしまった。
その行動に水を差すような事はしなくなかったが、このままでは話が進まない為名前はわざと音を立ててアイスティーの氷をストローでつつく。
「それより、そっちはどうしてあの取引を知ったの?」
「え? あー…知ったってか、たまたまその日隣のビルで殺人事件があって、おっちゃんとオレもそこにいたんだよ。
そしたらその窓からハーレーダビットソンに乗る女の姿が見えたから、慌ててその後をつけたら例の取り引き現場に─── ってわけだ」
「ハーレーダビッドソンって、まさかベルモットが?!」
知らなかったのか、名前が慌てたようにストローから手を離した。
ハーレーダビッドソンはベルモットが愛車としてよく乗っているものであったから、それならばベルモットが取引の現場に向かっていたと見てまず、間違いはないだろう。
「あぁ。それでホテルに入るところまでは見たんだが…その後は見失っちまったからどこにいたのかは分からねぇけどな。
ただ何かあると思って探ってたら、FBIと思わしき人達とその先に怪しげな男達を見つけたから、それで様子を探ってたんだよ」
そしてその中にコナンの顔を知るFBI捜査官アンドレ・キャメルがいたため、その連絡を聞いた名前が慌てて現場へと向かったのだった。
「でも、なんでベルモットが…あの取引は組織の中でも小さなものみたいだから、FBIもそこまで本腰を入れてたわけでもなかったのに…」
組織の中でもベルモットは特に何を考えているのかよくわからないところがある人物であり、たまに名前やコナン達の事も助けている節があることから、ジンやウォッカ達より多少はマシなのかもしれないが────
「それより、さっき言ってた奴らに素顔がバレてるって話、本当に大丈夫なのかよそれ」
コナンが再び心配するように名前の顔をのぞき込んできて問いかけてきた為、名前は慌てて思考を中断して口を開いた。
「あ、うん。ジェイムズ達がずっと隠し続けてくれてたのに、どうしてバレたんだろうとは俺も思うんだけど…」
「おいおい。やつらが本気でそれを知って、変装の事まで嗅ぎつけてるとしたら── “変装1”としてのその変装もまずいんじゃないか?」
「えーっ!マジかよ!!この変装結構気に入ってるのに」
「だからこそだよ…」
「お待たせ致しました」
そこへ注文の品を持ってきた安室がコナンの前にサンドイッチ、名前の前にはナポリタンを置いてお絞りも添えた。
「わ──── っ!
僕安室のお兄ちゃんのサンドイッチ大好きなんだ!美味しそ──── !」
途端、いつもの可愛らしい口調に戻し、サンドイッチを頬張りだすコナン。
名前もスプーンとフォークを取り、軽く巻いたそれを口に運んだ。
「相変わらずすごく美味しいわ」
「それは光栄です」
様子を探るように2人に視線を向けてきた安室だったが、反対車線に止まるシボレーに気付くと、肩をすくめてカウンターへと戻っていった。
それを見て再び名前はコナンの方へと向き直る。
「じゃあ、しばらくこの“変装1”の変装は控えた方がいいっか。結構この変装でこの辺りも歩き回ってたりしちゃってたし」
そう言って名前は残念そうにウィッグであるセミロングの髪を指で梳いた。
「まぁ、“変装1”の時の変装がバレてるかどうかはわからねーけど…奴らは昔から名前を狙ってるわけだから、今後はもっと変装には用心するべきだろーな」
コナンの声にしぶしぶと頷き、名前は諦めたようにナポリタンを食べる事に専念する事にした。
安室と違って怪我には気付いていないコナンに、密かに安堵しながら───
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