第一段 | ナノ


「――もしもの話、聞いてくれる?」

この言葉を告げれば世界を変えることができるのか。
愛してる人に愛の言葉を囁ければ傍にいてくれるのか。
共に生きることなんて許されない。
残酷な世界は廻り廻って事実を告げた――愛されることなんて、決してないだろうと。

目の前にいる名前が不意に口出した“もしも話”に、燐は視線を彼女に合わせる。
その顔は穏やかそうで悲しそうな表情をしており、今すぐにでも消えそうに儚く、紡がれる言葉の一つ一つに重さを感じるような気がした。

「もし、私が…私じゃなくなって、燐くんの前から消えたらどうする?」
「そんなこと、あるわけねーだろ」
「それがあるんだよ…きっと、明日にでも起こりうること」

名前は雨が降り続く空を見上げて、そして次に燐の瞳を見据えた。
彼女の泣き顔に彼の見開かれた眼は何を映したのか。

燐は名前の身体に手を伸ばすと強く強く抱きしめ、決して離さないように、手離すことがないように。

「私は、一体誰なのか分からなくなる時があるの…!」
「俺の知る名前は“名前”だ」
「それでも、燐くんの傍にいていいのかなって、このままじゃ駄目なんじゃないかって
思っちゃう…っ」
「お前は俺の傍にいていいんだよ…、俺の隣で笑ってればいいんだ」

こんなにも弱り切った名前の姿を見たことがなかった。
いつも穏やかに笑っている彼女とは違い、目の前では声を大にし泣きじゃくる弱弱しい姿。
今まで何を思い今日を過ごしてきたのか、胸の奥に仕舞い込んだ感情の名を燐は知らない。

世界はあまりにも残酷だ。
一人の少女さえも幸せにすることを許さないなんて、少年の愛した世界は綺麗なものではない。
寧ろ綺麗事を並べた御伽噺にしか過ぎないのかもしれない、これは夢であり現はこの世から消えたのだ。

――あぁ、神様…、どうか、どうかこの人だけは壊さないで。

「私達は、出会うべきじゃなかったのかもしれないね」
「…!なに言ってんだよ…ッ」
「出会っちゃいけなかったんだね……ごめんね、ごめんなさい、燐くん…」
「そんなこと、嘘でも言うな…謝んなよ」

名前の頬に翳された手にふと顔を上げる。
そこには燐が眉間に皺を寄せて、それでも怒っているようには見えない。
互いが互いに同じ思いを抱いているのだ。

手離せないほどに、知らないうちに、いつの間にか、同じ深海に溺れていた。

「俺は、名前に会えて、すっげぇ幸せだよ」
「……燐…くん…?」
「出会えたのがお前で本当に良かったって思ってる」

――お前じゃなきゃ、いけないんだ。

駄目なんだ、傍にいれないくらいなら、この身と共に一緒に死んでしまおう。
そうしたら、もう誰も悲しまずに済む、誰も傷付かずに済む、誰も知らずに幸せになれる――こんな結末は誰も考えない、腐りきった世界を変えることができるはず。

「好きだ」

――愛した人に最上級のさよならを。


交わらないふたつの世界(なら、壊してしまえ)