3.

「じゃあ、とりあえず、君が僕に聞きたいことを聞いてみて」
「え」
 二つ目のお願いに力強く頷き、さあ何でも来いと身構えていた私は、拍子抜けしてしまった。
「何ですかソレ」
「何訊かれても答えられるから、何でも訊いて」
 答えになっていない。何でも、と言われても困る。
「大丈夫、屋根が落ちたら嫌でも質問できるから」
「屋根……?」
「そう、外倉庫の屋根。君、左手の腕時計を見てご覧」
 言われるがまま、私は腕時計を見る。文字盤にも金属ベルトにもマットな茶色の塗装がされ、針や数字には金色が使われているお気に入りの品だ。今は十三時四十六分を指している。
「その時計で、十三時四十七分十六秒だ」
 静かに言う。
「あと少しだろう? しっかり確認してくれ」
「十三時四十七分、十六秒……」
 呟くように繰り返し、時計の文字盤を注視する。もう数秒しか無い。
 八、七、六、五……。
「四」
 カウントダウンを始めたのは楠さんだった。思わず顔を上げると、相変わらずかっ開かれた目が私の方を見ていた。針の動く音は微かだ、聞こえているはずも無い。
「三」
 慌てて文字盤に視線を戻す。
「二」
 針の動きにぴたりと重ねて声が降ってくる。
「一」

 ガガガ、ダガン!

 ゼロ、のタイミングで、外から物凄い音がした。私は楠さんの顔を見る。楠さんは口の端で笑ってから、「勝手口の鍵は開いてるよ」と勝手口を顎でしゃくった。
 備え付けのクロックスを突っかけて外に出る。勝手口を出てすぐに戸外の倉庫があるのだ。作業を中断した時のまま、開けっ放しになっている。
「……」
 屋根が、落ちていた。
 トタンの屋根は二重構造になっていたようで、外から見ると何も無かったように見える。しかし、作業の為に空にし、掃除も終えたはずの床部分には、波目の入った茶色の金属板が被さっていた。
「最初に鳴ったガガガ、って音は、この板が壁を引っ掻いた音だね」
 振り向くと、楠さんが立っていた。
「そんな顔しなくても、細工なんてしてないよ。失敗したら自分も危ないし、不審な素振りもしなかっただろう? 老朽化さ」
 それだけ言って勝手口へ戻っていく。私はもう一度倉庫に目を遣ってから、楠さんの後を追ってキッチンへ戻った。
「さて、これで質問ができたんじゃないかな?」
「そうですね。では訊かせていただきます」
「どうぞ」
 一呼吸置く。楠さんが欲しがっているだろう質問は、なんとなくわかる。しかし、そのままそれを口にするのは癪だった。
「先ほどから、なんでそんなに目を見開いているんですか?」
 結果、下らない割にずっと気にしていたことが口をついて出た。
「よくぞ訊いてくれた」
 そんな下らない問いにも、楠さんは表情を緩めず答える。
「こう見えて実は緊張しいでね。緊張するとこうなる、みたいだ」
「みたいだ、というのは?」
「人生で一番緊張したのが今日で、これ以降もこんなに緊張する日は来ないからだよ。こんな、目ン玉落っことしそうな目の開き方したのは初めて。そんでもって最後さ」
「最後」
「ああ、最後だ」
「……なるほど。まるで未来が分かるみたいな言い方ですね」
「そうだよ」
「……」
 薄々分かっていた返答に、それでも沈黙してしまう。結局は「そこ」なのだ。
 不自然な言動。
 この人の行動は先回りしすぎているし、この人の言葉は未来を正確に当てる。
「大学に入るまでは、こんな露骨なことしなかったんだけどね。まあ、大学に入ってからも、今日ほどわかりやすーく、如何にも不自然です! と言わんばかりに行動したことはなかったよ」
「じゃあ、一体どうして」
「君に信じて貰えないのを知っていたからさ。未来が分かるからね。でも、信じて貰えないにしても、できる対策はしたいと思って。ちょっとでも引っかかりを感じて貰う為の伏線を、できる限り張ってきたんだよ」
「……いや、私は信じますよ」
 嘘ではない。
「未来が分かる、は大袈裟にしても……」
「だから、学問的分析や統計は使ってないってば。未来が分かるってのは大袈裟な比喩じゃなくて、ただの事実」
「……そんなこと、言われましても……じゃあ、どういう原理なんですか」
 私はSF小説を愛読するが、現実にファンタジーを持ち込まれておいそれと頷けるのは狂人だけである。逆に、ファンタジーの虚像を愛するからこそ、そのロマンと荒唐無稽な有り様をリアルに認めてはならないと思っている。ただただ「未来が分かる」と言われても、私は簡単にハイソウデスカと割り切る訳にはいかないのだ。
「そう言われるのも分かっていたから、今から説明をするよ。我ながら完璧な説明をしたと思うけれど、君は納得しないんだね」
 楠さんは口だけで笑ったが、私は笑い返すことができなかった。言葉自体の意味を理解するのに、少し時間が掛かったのだ。
「は……? えっと、何の冗談ですか?」
 説明を「した」? 私が「納得しない」?
「納得しないも何も、私は楠さんから一言たりとも説明されていませんよ? ご自分で言ったじゃないですか、『今から説明をするよ』って」
「うん。そこも込みで、今から説明するのさ」
 要領を得ない返事に、私は苛立ちを覚えた。楠さんは屋根が落ちる前にも、説明すると言ったはずだ。にも拘わらず、ここまでに説明らしい説明は一つも無い。
 元々戸惑いが大き過ぎて、ここまでの会話ではずっと後手後手に回っていた。しかし、思わせ振りな言葉や話題の引っ張り方、大袈裟なパフォーマンスからは、私に何かを理解させようという意思が伝わってこないのだ。何か伝えたい、という気概はひん剥かれた目玉からひしひしと伝わってくるものの、今のところ肝心の部分は秘されているように感じる。楠さんの言葉を借りれば、「伏線を張る」作業がまだ続いているようなのだ。外堀を固めるが如く、迂遠に、慎重に、丁寧に。
 本題が分からない私は、ずっと置いてけぼりである。
「そんな……っ」
 苦言を呈そうと口を開きかけた私を、楠さんは手で制す。
「長くて一方的な話になるけれど、どうか最後まで聞いて欲しい。今度こそ、君の求める説明になる。でも僕には、どうしてもこの冗長な『準備』が必要だったんだよ」
 私に向けた右掌を下ろした楠さんの表情は、穏やかだった。
 ついさっきまで見開かれていた目のサイズが、普段の大きさに戻っている。
「何の準備だったか、訊いて貰ってもいいかな?」
「私の許しを得なくても、ご自分でご自由に説明すればいいと思いますよ」
「いいから」
 先程まで見開かれていた目はなりを潜めたが、楠さんの目は元々黒目がちで大きい。静かに見つめられるだけで狼狽えてしまうような、十分な迫力があった。
「……わかりました」
 溜息を一つ吐いてから、居住まいを正す。本人が長くなると言ったのだ。相応の態度と覚悟をもって挑みたい。楠さんの言によると私は納得しないらしいが、きちんと聞いて理解した上で選びたいのだ。
 納得するのか、しないのか。
 楠さんが見るという未来が絶対とは限らない。そして私にとって、未来に「絶対」は無い。
 私は楠さんの言葉に自分の質問を付け足し、要望通りに訊いた。
「楠さんは、何の準備をしていたんですか? そして、どうして私にそれを尋ねさせたんですか?」
「よくぞ訊いてくれた」
 最初の質問と同じように返事をして、楠さんはようやく目を細めた。
「身体の緊張を落ち着かせる為の準備であり、君との――惜別の、準備だったのさ。だから、どうしてもちゃんと聞きたかったんだ。きちんと落ち着いた君の声で、僕についての質問を」
 満足したよ。
 呟くように付け足す楠さんは、笑いながら目に涙を浮かべていた。

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