2.

 一時間ほどで階段下の倉庫は片付け終わった。その後三時間かけて戸外の倉庫を掃除した。四畳あるか無いかという、狭く簡素なトタン作りの倉庫である。手付かずな上に砂が舞い込みやすい様で、荷物の整理より先に埃や砂を掃き出さなければならなかった。調度品や雑誌も砂まみれで、一つ一つ拭いていたら日が暮れてしまう。階段下の倉庫と違って雑に扱っても壊れにくい物や外で使う物、粗大ゴミや古い薪などが置かれていたので、最初の一時間よりゴミ袋が膨れるペースが速かった。
「雛人形と市松人形、掛け軸は実家に持ち帰るんだ。それ以外のインテリアなら何を持って行ってもいいから、欲しいものがあったら階段下に置いてある小さな段ボールに入れるといいよ」
 楠さんにそう言われたので、私はムーミン谷の仲間達の人形と、古い手書きの日記、愛読していたという『俳句のつくり方』(水原秋桜子著)、ずっと良いなと思っていた細石とガラス鉢を段ボールにきちりと仕舞った。ありがたいことに、それぞれが箱やキッチンペーパー等で丁寧に包装されていたので簡単に仕舞えた。「小さな段ボール」は本当に小さく、私が仕舞った荷物がみっちりと隙無く詰まった。
「そろそろお昼食べようか」
 ウエストポーチに巻かれたデジタル腕時計をちらりと見て、楠さんが手を止める。私も自分の腕時計を見ると、金色の針が十三時五分を指していた。休み休み作業していたのでさほど疲れは感じなかったが、思い出したように腹の虫がくぅと鳴いた。
「もし良かったら、私の家で食べませんか?」
「え、いいの?」
「はい。近いですし、今日は家族が出かけているので。丁度、作り置きしてあるモツ煮があるんです。ノンアルビールもありますし、一杯いかがです?」
「渋いねぇ。じゃあ、お言葉に甘えようかな。あ、」
 でも、と楠さんは人差し指を立てる。
「折角だし、ここのお皿やコップを使って、ここの台所で食べない? 使い納めってことで」
「まだ食器類は片してないんですか?」
「うん、まだ少し残ってるんだ。全部売っちゃう予定だし、この家も売りに出すし。ね、こんな機会もう無いよ」
 やけに嬉しそうに勧める楠さんが面白くて笑いそうになる。
「そうですね、折角ですし」
 家も近い。さほど困らないだろう。
 私は楠さんに実家の玄関で待機して貰い、急いで料理とビールを用意した。楠さんにはカートンのままのビールとご飯・モツ煮のタッパーを運んで貰い、私はカレーを鍋のままミトンで掴んで持って行く。街中で鍋を運んでいたら笑われるかも知れないが、街は街でも住宅街である。鍋や皿ごと持って行ってお裾分け、は日常茶風景だ。
 斉藤家のキッチンは、六畳ほどの広さだった。床は暗い木目調のシートで、床暖房が付くのだという。上履きを脱いでみると、靴下越しにじんわりと暖かさが伝わってきた。
「あそこがスイッチ」
と楠さんが指差した場所を見やると、入り口正面奥にある勝手口のドア上付近に、旧式のパイロットスイッチとほたるスイッチが縦に並んでいた。近づいてみるとほたるスイッチには「ボイラー」と書いてある。
「このボイラーって……」
「見慣れないんでしょ」
 喋りながらも手を動かし、着々と食事の用意を進める。ガスは通っていたのでコンロを借り、カレーだけ温めて大皿に盛っていく。モツ煮の小鉢とビールは楠さんに任せた。とっとっと、とビールが注がれる音を背後に聞く。
「ボイラー……引退された島田何某さんのCMと、千と千尋のホニャララで多手多足のお爺さんがいた部屋の名前、としか」
「うんうん。まあ最近の家には無いよね。知ってる人は知っている、ってね」
 聞くと、薪をくべるタイプの給湯装置らしい。倉庫にあった薪は、その為に備蓄してあったようだ。給湯装置――なるほど、湯殿で必要になるわけである。
「食後の食器洗いくらいはやる、って言っても、君どうせ自分の家で洗うと思うから、ボイラーは付けてないよ」
「……なんか珍しいですね」
 コトリ、とカレー皿を置くと、スプーンが出てくる。楠さんも、カレーとモツ煮を同じスプーンで食べることに抵抗が無いらしい。箸は出てこなかった。
「珍しい? 何が?」
 本来六人がけだろう角テーブルの隅に向かい合って座る。改めて見ると、物が何も無い。鍋も家電も食器棚も、サイドボードもシェルフも、さっき弾みで開いてしまったパントリーも、元々物が置いてあったと主張せんばかりにガランドウである。椅子も二つきり。つまり、この部屋にあるのはカレー皿、ビールグラス、小鉢、テーブルと椅子二脚――今必要な物・・・・・、だけ。
「だって、普段の楠さんだったら、」
 た、と私が発音したのと、同時だった。
「タイミングを見計らって絶対世話を焼くのに、かい?」
「……そうですね」
 思わず息を飲んだ。
 そうですね、と言ったのは私だ。しかし、楠さんもそれに完璧に合わせて同じように発音した・・・・・・・・・
 タイミングが合ったことがおかしい訳では無い。楠さんは「何でも知っている」。情報網も数多く展開しているだろうし、凡人の私などには分からない読心術や心理トリックで、いくらでもこういったパフォーマンスは可能だろう。
 おかしいのは、敢えてそれを見せつけるように・・・・・・・・行動している、という点だ。
 普段の楠さんならそんなことはしない。楠さんが行動を先回りするのは決まって誰かが困っている時だけだったし、督促状を送るという大袈裟なことをしたのも事実一度だけだ。それも相手は共通の知人が多い友人で、直接教わらなくとも特定は容易。少し察しが良すぎる特質のせいでミステリアスに語られる楠さんだが、尾ひれ葉ひれのついた噂ほどにトリッキーな人物では無い。
 無い、と思う。
 思っていた。
「読心術や心理トリックの亜種で、僕がこんなパフォーマンスをしていると、思っているね?」
 ゆっくり、噛んで含めるような口調だ。
「違うんですか?」
「違うね」
 違う。
 違うというならば、楠さんが違うのだ。いつもと違う。常に優しげな笑みを湛える目元が、全く笑っていない。訴えるように見開かれた大きな目は、ガラス玉のように温度を感じさせなかった。
 不気味……だ。これまでこの人は、何度もそういった言葉を陰で囁かれている。私はこれまで、そんな陰口を冷ややかな目で聞いていた。愚かだ、と。
 本当にそうか?
 目の前の男の本性を見抜けなかった愚か者は、私ではないのか?
「まあ、食べながら話そうか。ほら、カレー冷めちゃうし」
 瞳の温度は変えず、口だけでにこりと笑って楠さんは言った。私は、呆けたように只頷くことしかできなかった。
  ◇ ◇ ◇
 いただきます、と合掌した後は、二人とも食事に専念した。
 専念するしか、なかった。
「うん、美味しいよ。やっぱりカレーは何歳になっても美味いね」
「そう、ですね」
「モツ煮も美味いよ。柔らかく煮てあるし味付けも最高」
「……ありがとうございます」
 正直味がしない、と素直に言ってしまいたい。持って来たのは私だが、例えノンアルコールとはいえビールになど手を付けられない。折角楠さんが注いでくれた七対三の泡も萎んでしまった。その元凶が楠さんなのだが。
「脅かして悪かったよ。やっぱりちょっと気持ち悪かったよね」
 しおらしい声で呟きながらも、楠さんはモリモリとカレーを平らげていく。ビールも飲めばモツ煮にも箸をのばす。その癖、目はずっとかっ開いたままだ。怖い。
「ごめんね、怖いよね」
 楠さんはスプーンを置いた。私もそれに倣う。ビールにもモツ煮にも手付かずだが、黙々と食べていたのでカレー皿は既に空だった。よりによって飲み物に例えられるような献立なのが悔やまれる。
「えっと……はい。しっかり脅かされたし怖いので、説明していただけると助かります」
 声が半笑いのトーンになるのがわかった。そういう場面では無いのは肌で感じているのだが、茶々を入れなければ耐えられなかった。
「その前に、二つ約束して欲しいことがあるんだけど、いいかな?」
「勿論」
 ――今の楠さんにNOが言える人間などいませんよ。
「ありがとう。一つ目は、僕の言葉には絶対に返事をすること。いいね?」
「っはい」
 ――そんな急造コントのようなやりとりを、そんな形相で求められても困りますって。答えますけども。とちりましたけども。
 流石にもうおちゃらけられなかったが、平静を装うために内心でふざけた合いの手を入れる。
「二つ目は……その……」
 そこで初めて、楠さんは言い淀み目を伏せた。これも初めて見る一面だ。楠さんが飄々とした態度を崩したところなど、私は今日まで一度として見たことが無かった。
「僕の言うことを、できるだけ真剣に聞いて欲しい」
 顔を上げた楠さんの目は、やはり強く見開かれていた。

[ 2/3 ]

[*prev] page top [next#]
*しおりを挟む*
Back to Index



「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -