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「祖母が亡くなったから遺品整理するんだけど、ウマいアルバイト気分で手伝いに来ない? 交通費はロハ、日給五千円。お宝発掘したら欲しいのあげるよ」
 楠さんにそう誘われたのは、九月六日――一週間前の木曜日だった。一緒に履修している講義の後、ラーメン屋に行った時のことだ。珍しい、と思いつつも、所属するJazzサークルでは大変世話になっているので、私は喜んでOKした。
 楠さんと私は、X県の県庁所在地にある大学へ通っている。楠さんが四回生、私が一回生。交通網は整っているが首都・東京からは列島の半分ほど遠く、学生街を少し離れれば田園風景がどこまでも広がるような辺境だ。私は実家から自動車で通っているが、楠さんは学生寮住まいである。実家は県内と聞いていたが、楠さんの私生活はかなり謎めいており、親しいご学友ですら聞いたことが無いという。これはチャンスだと楽しみにしていたら、いきなり出鼻をくじかれた。
 本日――九月十五日、土曜日。待ち合わせ場所は、実家の斜向かいにある家だったのだ。交通費が要らない訳である。
 前日まで場所を秘されていたので、てっきり楠さんが車で近場まで来て拾ってくれるのだとばかり思っていた。待ち合わせの九時より少し早く家を出ると、当たらずとも遠からず、楠さんは黒いワゴン車を斜向かいの駐車場に停めていた。車体に軽く寄りかかって一服中である。モデルのような長身にグレーのツナギを来て、センター分けのミディアムパーマヘアを手ぬぐいの中に押し込んでいる。どこの土方作業員だと言いたくなるような格好だが、手足が長く彫りが深いので、何を着てもお洒落な風合いになるのが憎らしい。
(でも正直、ツナギとか作務衣とかボンタンとか、作業着って全体的にカッコイイと思う。言えないけど)
「お待たせしました」
「いや、そんなに待ってないよ。煙草消すからちょっと待ってね」
 ツナギの胸ポケットから取り出した携帯灰皿は、ヴィヴィアンウエストウッドのロゴが入っていた。一万円はする灰皿に躊躇いなく吸い殻をねじ込み、楠さんは煙を手で追い払う。
「喉の調子悪くなったら言ってね。のど飴あるから」
「ありがとうございます。それより、斉藤さん家のご夫婦って、楠さんのご親戚だったんですね。知りませんでした」
「母方の祖父母なんだ」
 廃墟の主、もとい『斉藤さん家』の老夫婦には、幼い頃大変世話になっていた。何度も縁側からお邪魔しておやつをいただいたので、部屋の間取りもばっちり知っている。
 私の実家は住宅街のど真ん中にある。田舎の住宅街だ、ご近所付き合いは皆それなりにしている。しかし、家の中まで上がらせてくれたのは、友人宅以外では斉藤家だけだった。
「お爺さんが五年ばかし前に亡くなって、三年くらい前にお婆さんが施設に入ってから、ずっと放置ですよね」
「よく知ってるね」
「ご近所ですから。小さい頃に良くしていただきましたし、お二人とは結構仲良しだったんですよ。むしろ、楠さんを一度も見かけなかったのが不思議です」
「祖父ちゃん祖母ちゃんが実家に来てくれることが多かったからね。祖父ちゃんはぴんぴんころりで逝っちゃったし、祖母ちゃんが施設に入ってからはずっと施設で会ってたから」
「なるほど……巡り合わせの妙ですね」
 楠さんが足下にある膨らんだビニール袋を拾い上げて歩き出すので、私はそれに続いた。斉藤家の敷地は半分が駐車場と庭、もう半分に住居と小さな倉庫がある。縁側の前に広がる庭のアイビーは伸びきっており、剪定されていないぼさぼさの樹木と雑草にまみれている。枯れた紫陽花は斉藤夫人が大切にしていた花だ。思い出して痛々しい気持ちになる。
「おや、こんなところに花束が」
 楠さんの声につられて目を遣ると、玄関前の石畳にニワゼキショウを輪ゴムで束ねた物が置かれていた。斉藤家の庭に生えていたものだろう。原型はあるが、既に干涸らびている。
「夏の間なんかは、子どもの肝試しに使われたりしていたみたいですよ」
「そうなのかい? 最近の子もまだまだ捨てたもんじゃないね」
 楠さんは口の端で嬉しそうに笑い、ウエストポーチから玄関の鍵を取り出す。白銅のいかにも古そうな、大きな鍵だった。予め油でも差しておいたのか、見た目に似合わずカチャンと軽い音を立てて開く。
 軋む引き戸を開けると、中は埃と砂だらけ――と思いきや、そんなことはなかった。ぴかぴか、とまでは行かないが、最近モップをかけただろうと思わせる程度には綺麗だ。
「今日は遺品整理だって言っただろ。片付けや掃除自体は、亡くなる少し前に人を雇って済ませたんだ。通夜はこっちでやったの覚えてる?」
「道理で……。はい。出棺に立ち会いましたから。楠さんに会わなかったのが、そうなるとますます不思議ですね」
「野暮用で、出棺に間に合わなくてね。葬式の日は直接式場に行ったのさ」
「なるほど――だから、思ったより、片付いてるんですね」
私が知っている玄関には、十二号ほどのコマドリの油絵、カレンダー、薄いガラス鉢に入れられた水と細石、柱時計……様々なインテリアが、ごちゃつかない程度に上品に飾られていた。面影があるのは動かない柱時計くらいで、他には一切の物が見当たらない。
「絵は知人に売ったって言ってたな。他は施設に持って行って飾ったり、元気なうちに自分で片付けたりしたって言ってたよ。探すなら倉庫かな」
楠さんはさらりとそう言って、ビニール袋を差し出した。受け取ってみると、スニーカーが入っている。
「そうはいっても倉庫は手つかずでね。絶対ほこりっぽいから、上履き用意してきたよ」
「え……でもこの靴新品ですよね?」
 小学校に入学した時を思い出させるような、ピカピカのスニーカーである。しかもマジックテープタイプ。どう見ても子ども用のデザインだ。サイズばかり大きいのに違和感がある。
「いいんですか?」
「使って貰うために買ったんだよ? 二四センチで良かったかな」
「なんで知ってるんですか……ホントに何でも知ってますね、楠さんは……」
「何でもは知らないさ」
「それ以上はコンプラに反するので言わないでください」
「振ったのは君だろうに」
 茶化されながらもベリベリとマジックテープをはがしてスニーカーを履いた。冗談として流されたが、「楠さんは何でも知っている」という噂、もとい事実は、大学内において結構有名だと思う。少なくとも音楽系のサークル員なら、知らない学生はいない。楠さんに相談すれば必ずその時必要な物を貸して貰えるし、返さなければ、教えても居ない自宅に督促状が届く。天気予報が外れても楠さんが予想する天気は外れない上に、傘を忘れたサークル員には折りたたみ傘を配り歩く徹底ぶりだ。勿論貸してくれるだけなので、返却必須である。定期試験のヤマも良く当たり、当の本人はS評定を取り逃したことがないので、教授陣からも一目置かれている。
と言うか、気味悪がられている。
一目どころか、怖がって距離を置く人もいるくらいなのだ。人柄が良いので、そう多くはないが。
靴をビニール袋に仕舞って上がり框に上がる。玄関の右に洋間、左に男女トイレと流し台。その奥に風呂場があり、左奥に続く廊下を進むと左に台所、右に和室がある。
この和室の縁側から何度も出入りした。和室の中央には木製の厳つい座卓があり、冬場だけは炬燵に変身した。床の間には季節感のある掛け軸と薄ねず色の壺が飾られ、隣の棚は市松人形や色鮮やかな鞠で華やいでいた。その中で、「孫が好きなんだよ」と言って置いていた『ムーミン谷の仲間達』の人形が浮いていたのを覚えている。
 今はもう、何もない。
「ありがとうございます」
「いえいえ。時間はいくらでもあるからね。」
 思わず立ち止まっていた私を待ってくれていた楠さんにお礼を言って歩き出す。倉庫は階段下に一部屋、二階に一部屋、外に一部屋と三カ所あるらしい。既に二階の片付けは済んでいるそうだ。二階には入った事が無いので、入る機会を失ってしまって少しばかり残念である。今日は、やりかけの階段下から片付けるらしい。
「売れそうな古い雑誌や本、レコードはなるべく分けながらこっちの段ボールに。虫食ったり痛んだりしてるやつは資源ゴミに出すからこの紐使って束ねてね」
「はい!」
 私は気合いを入れ直すようにパーカーの袖をたくし上げた。

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