月の高く上がった真夜中。

「……どうした。」

「サ……サラマンダー様……! 何故、ここに……。」

「あれだけ廊下をうろつかれたら気づく。……眠らないのか。」

ミノンが何度も部屋の前を通っては過ぎることを見兼ねたサラマンダーは、わざわざ起き上がって彼女を追い、中庭に立っていた姿に声を掛けた。彼女が驚きに小さく肩を震わせる。まさか彼の方から来るとは思わなかったのだ。

「……あの、……眠れ、なくて……。」

「…………。」

俯いた彼女の髪を涼しい風が撫でていく。夏の気配も色濃くなったとはいえ、寝苦しい暑さではなかった。現に彼女もフードを取ってはいるが外套を着ている。

「……リアに聞いた。明日、糺すんだろう。」

「っ…………はい、……だから……少し、……緊張しているのかもしれません。」

上げられた顔を見れば、心が眠りを妨げているのは明白だった。消え入りそうな声で彼女が言葉を続ける。長らく対峙してきた相手との真っ向勝負となれば、緊張するのも至極当然なことだろう。その面持ちは硬くなってしまっている。しかし、彼女の雰囲気には何か違うものが混在しているように彼には思えた。

「……何か、俺に用でもあったのか。」

「あ、……い……いえ…………あの、……きっと……心、細くて……。……あ、あの、……ごめんなさい、起こしてしまって……。」

「……構わん。」

用はないと言いつつ、彼女は立ち去らなかった。黙ってしまった彼女をじっと見ていた彼の心に、どこからか「長かった」という思いが沸き起こる。初めて出会ってからおよそ4ヶ月、二人でいるようになってから――およそ2ヶ月。数字にしてみれば、本当に長かったのかは定かではない。それでも、そう感じるのは確かだった。脆く儚い心を支え、危うい力を支え。やっとここまで来たのだという思いを抱かせる。

しかし、彼女が世界を糺しても、この生活が終わるわけではない。課せられた役目は変わらないのだ。復興への道程は長い。これからも支え続け、守り続ける――彼はそう再認した。

「……心細い、のか。」

「あ……あの、……はい……。」

その答える声に、ひとり裏手で涙を流していた姿が呼応する。なぜ泣いていたのか、彼は未だ知らなかった。ただ、一人にしてはならないと感じただけだ。

「……どうしたら、心細く……なくなるんだ。」

抱き締めてやれば良いとは、何となくわかっていた。心細くなくなるとは限らないが……きっとそれは彼女の安らぎとなるだろうと。しかし彼は自分からは何もせず、敢えて問うことを選んだ。訊いてみたかったのだ。何を彼女は必要としているのか。何故、必要としているのか。

「…………あの、……触れても、構いませんか。」

「……ああ。」

その答えを聞いて、彼女が自ら抱き着く。彼はそれを黙って受け入れた。彼女の首で銀の鎖が鳴る。彼が身に付けていた指輪を通し、贈ったものだった。彼女の心が少しでも安定するように――と。やや太めの作りは、華奢な身体には少々不似合いだ。しかし彼女は肌身離さず着けていた。まるで、縋るかのように。

「……ずっと、訊きたかったことがある。」

彼が低い声で話し始める。

「おまえは……何故、こうして……俺になど、頼るんだ。……俺は……俺では、力不足だろう。リアや、ジタンのように……支え方を知る人間じゃない。」

それは彼が、長く懐いていた疑問だった。なぜ彼女は自分を頼るのか。なぜ彼女は自分に支えられるのか。なぜ彼女は――自分に大好きだと告げるのか。人との絆を知らずにいた彼にとって、彼女の言動は理解の範疇を超えていたのだ。

「……大好き、なんです。」

そう言って息を胸いっぱいに吸い、彼の匂いを全身で感じると、彼女は小さく笑うように息を吐いた。彼が懐いていた疑問の中核とも言える言葉を口にし、逞しい胸板に頬を寄せる。身長差に阻まれ、彼がその表情を見ることは叶わなかった。ただ温もりだけを感じる。

「人を好きになるのに、理由は要りません。……何故かはわかりません。でも私は……あなたが好きで、一緒にいると、とても温かい気持ちになれるんです。」

「…………それが……好きだということか。」

「……どうなのでしょうか。……でも、きっと、私にとっての『好き』は……そうなんです。」

「…………そう、か。」

彼は頷くと、彼女の小さな身体を抱き締めた。理解はできない。感情の名前は定かではない。「好き」なのかもわからない。しかし――彼女が大切だと、無性に感じたのだ。

「おまえが、俺に支えられるというなら……できることはする。――今は、何ができる?」

きっと何かを抱え込んで、支えが欲しくて、部屋の前を往復していたのだろう。そう考えた彼は、彼女にそう訊ねた。できることは限られている。しかし力になりたいと、彼は感じていた。

「……えっ、…………あ……あ、あの、では、……ひとつだけ……わがままを、言っても良いですか?」

彼女が遠慮がちに訊いてくる。控えめで淑やかな彼女の「わがまま」というのは、彼には到底想像がつかないものだった。ただ、提案されたことに、どこか心の一部が動く感覚がする。

「……何だ。」

「あの……一緒に、行きたい場所があるんです。」

彼女は彼の大きな手を握ると、柔らかく咲笑った。




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