内容は気になるものの壁に張り付くまでする気はないのか、二人を待つあいだ誰も動かなかった。みな号令でも掛けられたかのようにその場に留まっている。少しだけ声が漏れ聞こえてくるが、密かに魔力を使っているリアと生まれつき耳の良いサラマンダー以外には聞き取れないようだ。

穏やかだった声が少し大きくなる。それと同時にリアとサラマンダーは目を見開いた。――内容は聞こえるのに、聞き取れなくなったのだ。話される言語が変わったためだった。二人の母国語はガイアの言葉ではないのだ。

やがて声は壁越しでも十分に聞こえるほど大きくなった。悲鳴にも近いミノンの声が聞こえる。ユウキはあくまで低い調子を保っているが、音量はどんどん上がっていた。何かを言っているのは確かなのに、何を言っているのかはわからない。リアがソファから背を起こす。

「――――!」

その瞬間、叫びと共に、肌を打つ乾いた音が響いた。続いて勢いよく扉が開けられる音がする。ドアノブが壁に当たる派手な音の後、口論とも言えた声は聞こえなくなった。

「……ユウキ?」

ジタンが部屋の中から呼び掛ける。部屋を出ていったのが――叫んで叩(はた)いたのがミノンであることは、言葉が理解できなくても容易に想像がついた。平生あれだけ穏やかな彼女を激昂させるとは、いったい何を言ったのか。皆が同じ疑問を抱いたのは当然のことだろう。

ジタンが隣の部屋に入ると、ユウキは木の椅子に腰掛けていた。脱力したように上半身を前に倒し俯いている。

「……何で……何で、こうも上手くいかねえかな。」

その状態でもジタンの存在にはすぐ気づいたようだった。聞かせる気はあるらしく、ガイアの言葉で話しはじめる。しかしそのわりには呟くように籠った言葉だった。緩慢な動作で膝に頬杖を付く。

「別に、怒らせる気なんか……なかったんだけどな。」

ユウキは身体を起こすと、肩越しに斜め後ろを見て溜め息を吐いた。

「……あーあ、もう……ほんっとに、ありえねー……。」

腕を組んで項垂れる。短い髪の間で、羽を模した銀のピアスが揺れた。何も言う気になれないのかそのまま口を噤む。

「なあ…………ミノンの昔のこと、おまえ、知ってるのか?」

沈黙の中でジタンが訊ねたのは、先ほど何を言ったのかではなかった。ユウキが顔を上げる。

「……ん? まあ、な。……どれだけ可憐で健気で素直で優しかったかってことなら、よく知ってるぜ。」

そう言うと、中性的な顔を歪めて苦々しい笑顔を浮かべた。その瞳は遠くを見ているようだ。

「昔から、変わったようで変わらねえんだよなぁ……どうしたって、頑張り屋さんなんだ。」

自分の知らない彼女を、知りたい彼女を知っている――知れなかった彼女を知っている。その事実にジタンは僅かな痛みを覚えたが、息を吸って持ち直した。落ち込んでいる場合ではないのだ。

「ミノンって……昔は……ここに来る前は、あんな感じだったのか?」

「俺に対するみたいな態度ってことか? まあ……程度に差はあるけど……だいたいあんなもんだったな。」

ユウキは椅子に腰掛け直すと懐かしむようにそう言った。少しだけ得意そうに「ま、俺がいっちばん仲良いけど」と付け足す。しかし、ジタンが問いを放った意味にも気づいていた。

「……お前らに心を閉ざしてて、あんな態度なんじゃないから気にするなよ。あいつなりの、<自分>を守る術なんだ。ガキの頃は、人を怖がってる頃は……俺にだってあんな態度じゃなかったしな。」

ユウキが短い溜め息を吐く。それから遠い昔を思い返すように目を俯せた。

「人の怖さを思い出して……昔に、戻っちまったみたいなもんだ。どうしても拭えない。お前らが怖いわけじゃなくても、踏み出せない。……でも、正直、俺は美音が“こう”なってから誰かに打ち解けてんの、初めて見たぜ。」

下を向いていたジタンが、顔を上げる。ユウキは彼に柔らかい笑みを向けていた。

「特にあんたと、紫のねーちゃんと……あのでっかいやつには、すっげえ懐いてるだろ。」

「……よく……わかるな。話してるとこでも見たのか?」

「いんや、別に。でも見てりゃわかるんだって。美音が誰をどう思うかくらい。当たってるだろ?」

「……ああ。……そうなら、嬉しいんだけど。」

ジタンが初めて笑みを返す。そこには彼女を思う慈しみが溢れるようだった。一転してユウキが頭を抱える。

「…………だからさ……上手くいかないんだよな……。」

「……ユウキ?」

ユウキはしばらく何も答えなかった。ただ一人で息を詰める。

「…………悪ぃけど……少し、一人にしてくれねえか。思ったより堪えてるからさ。」



ジタンが戻ると、サラマンダーが部屋にいなかった。問えば、さっき出ていったとの答えが返ってくる。

「ミノンちゃん探しに行ったのよ。まったく、大好きなんだから。」

リアは眉尻を下げ、口先だけで笑った。嬉しい気持ちは確かにあれど、状況が状況なので呑まれはしていないようだ。

「……大好き、か。」

「そう……大好き、よ。……貴方は愛しのガーネット様は良いの?」

「なっ、……何で知ってるんだよ……!」

まさかろくに知らない人間から自らの恋沙汰に言及されるとは思ってもいなかったのか、ジタンがやや顔を赤くする。リアは楽しそうに軽く笑った。

「このリア様は何でもお見通しなのよ。」

得意そうにそう言う。少しだけ解れた空気に、ビビとエーコも微かな笑みを見せた。





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