落ちていく。

目を閉じて地に引かれる感覚だけを味わいながら、彼女は走馬灯のようにこれまでのことを思い返していた。辛いことはたくさんあった。苦しいこともたくさんあった。しかし、多くの人に出会い、数えきれないほどの温もりをもらった。大切な人を、大好きな人を見つけた。何と幸せだったのだろうか。

きっと地面に叩きつけられるだろう。そこで意識はなくなるだろう。死にはしないだろうが、<自分>がどうなるかはわからない。確かなのは身体が保たれることだけだ。自我までは確かでない。

抗うことなく、引力に身を任せる。彼は怒るだろうか。感謝の言葉を伝えられなかった人がいることが心残りだ。もっと一緒にいたかった――そう思うのも否めない。しかし、今こうしたことで、彼を守ることができた。それに自我はなくなっても、世界の危機がある限り、この存在は世界を救うだろう。ならば大切な人達を守ることはできる。それで十分なのではないか。――ほんの短い間のはずなのに、思考は滔々と流れるようだった。

その身に、人肌の感触を覚えるまでは。

自由落下の中で、包まれる。強く抱き締められたのだと理解するまで、一刹那もかからなかった。安心する温もり。硬く頑強な体躯。それは、あまりにも親しんだ感覚だったのだ。いつでも一緒にいてくれた、支えてくれた、大切な大切な……守りたい人のものだった。

どうして。――彼女は目を瞠り、その名を口に出しかけたが声にはならなかった。しかし間違えようがない。地面はどんどん近づいていた。このままでは墜落してしまう。彼はどうなるのか。キツく目を瞑る。

守りたい。

彼を、死なせたくない。


力が――欲しい。


それはまるで、闇を裂く閃光のようだった。突如、彼女の身体が白く輝く。すると浮力を得たかのごとく、二人はふわりと宙に静止した。彼女が目を開く。

瞼の下から現れたのは、強い光を宿す瞳だった。細い腕で精一杯彼の身体を抱き締め、それから崖上まで一気に上昇する。

地に降りた彼女の横顔は、まるで別人のようだった。隣に立った彼の方を、一拍おいて振り向く。

笑みにも見える表情。その手には溢れんばかりの力があった。迷いのなくなった瞳を照らすように光り揺らめく。

「もう、恐れない。」

――……だいじな……ひとを、まもりたいの。……この、ちからで。

「この力は、あなたを──全てを、守るもの。」

言い切ると同時に、彼女は後ろを振り返った。次々と敵の気配が迫ってきていたからだ。彼女の力の発動を察知したのだろう。

「任せて。」

彼女が更に気を高める。たった一人で敵に立ち向かおうとするその姿は、一昨日と全く違った。危うさはなく、張り裂けてしまいそうな心も見えない。

「今度は、私の番。私だってあなたを守りたい。――守ってみせる。」

彼が目を瞠る。そう言った彼女の瞳の色素が薄くなっていたのだ。しかし、おぞましい気配は感じられなかった。そこにあるのは――力を受け入れる心だ。

にこりと微笑むと、彼女は前に向き直った。胸元の指輪を握りしめる。その身には膨大な気が纏われていた。まるで、魔の森で数多の魔物を焼き払った時のように。しかし足元の草は焼けていなかった。むしろ生き生きとしているようだ。

現れた敵は、彼女の前にあまりにも無力だった。穢れごと浄化されていく。包みこむような、圧倒的な力によって。全てに力を与え、前進させ、そして生み出す力。そこに破壊の気はない。

呑まれも恐れもせず、ミノンはまるで身体の一部のように力を操っていた。力を認めたのだと、彼が察する。忌避するのでも、過信するのでもなく――受容したのだと。その姿は神々しいのに、不思議なまでに親(ちか)しい。これほど自然に力を使う彼女を見たのは初めてだった。しかしそれだけの器が、彼女にはあったのだ。

「……サラマンダー様!」

あっという間に敵を全滅させた彼女は、嘘のように気を収束させると勢い良く彼に飛び付いた。彼が黙って受け止める。いつより強く抱き締められ、彼女の心には喜びと安らぎが沸き起こった。それに突き動かされるように、色が戻った瞳から涙が零れていく。

「……サラマンダー様っ……。」

彼は何も言わず、ただ彼女の存在を確かめるように抱擁していた。彼女も声を詰まらせる。――守りたい温もり。失うかと思った温もり。それは今、ここにある。お互いにそんな思いを懐きながら。

「水源に……このまま行っても?」

しばらくして彼が腕を解くと、彼女は全く翳りのない表情でそう言った。彼が微かに笑う。

「おまえが平気なら、構わん。」

その顔を見て、彼女はにこりと頷いた。




第[章 終




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