森の中では、サラマンダーが得物を振るい続けていた。相対するは漆黒のフードの集団。かつてアレクサンドリア城に現れた者達と同じ――テラの民だ。魔法を得意とする彼らに、サラマンダーは発動前の隙を突くことで対処していた。ナックルの鋭い切っ先が布を裂く。
ミノンは座り込んだ樹の陰で、震える自分の身体を抱き締めていた。――何もできない。それは普通の生活を離れてから初めてのことだった。非日常の世界ではいつでも力が共にあり、力が共にあるからこそ非日常の世界を乗り越えて行けたのだ。力がなければ、彼女はただのヒトだった。ただ一人の、非力な少女だった。しかし、その仮定は力があるからこその仮定であり、そして今や成り立たないものなのだと、彼女は諦めていたのだ。もう普通の生活は望めないと。もう一人の少女でいることはできないと。それなのに、力だけが使えなくなってしまった。悪しきモノが近寄る気配は身体中で感じるのに、何もすることができない。
彼はどうなってしまうのか。心をヒヤリと撫でる悪寒に、彼女が胸元に手を当てる。銀の鎖が微かに鳴った。彼がくれた指輪を、服の上から握りしめる。力が使えない――そんな不安は初めてのことだった。これまで、力があることばかりが不安であったのだ。傷付けるのではないかと。しかし今の彼女には傷を付けるどころか、傷を癒すことすらできない。彼女は怯えたように身を縮こめた。まさか、力がないことがこれ程までに不安だなどと思わなかったのだ。
思考を断ち切るかのごとく、身体を揺さぶるような地響きがする。彼の奥義が発動したのだ。確実に敵の数は減っている。しかし彼の気配も、徐々に弱まってきていた。いくら回復術を使えても、疲弊しない訳がないのだ。彼女が開いた両手を見つめて唇を噛み締める。いったい何の為の力なのか。何の為に、自分はここにいるのか。握りしめても、拳は答えてはくれない。
次に場を覆ったのは、魔法の気配だった。彼女が目を見開く。彼の気配はかなり弱まっていた。その代わりをするかのように、テラの気配が近づいてくる。震える手足で座ったまま距離をとろうとしても、うまく動くことはできなかった。何が起きてしまうのか。恐怖に戦慄く身体を必死で奮い立たせようとするが、叶わない。
漆黒のフードが木の間から見える。しかしその瞬間、凄まじい轟音がした。彼女が思わず目を瞑る。怖々と見れば、そこに黒い影はいなかった。代わりに目に映ったのは――見慣れた姿。
「そいつに、触れるな……!」
彼の身体が光に包まれる。間もなく一撃を加えられ、敵3体は断末魔を上げて霧散した。複数の敵に攻撃を加える、絶技。――トランスした彼が獣のように跳躍し、彼女の目の前に降り立つ。黒光りする姿。雄々しい気。昂った闘志は威厳すら感じさせる。
「必ず、守る。」
彼はそう言うと、再び敵に刃を向けた。微塵も鈍りなど感じさせない動きで立ち回っていく。遠くで詠唱していた個体は飛来したウイングエッジに切り裂かれた。強靭な肉体が実力を遺憾なく発揮する。その姿は、かつての危うさとは無縁だった。出会ったばかりの――命に対して冷酷だった頃の戦い方からは、想像もつかない。まるで見えない加護があるかのようだ。
「おのれ……っ!」
彼が元の姿に戻った時、立っているのは僅かに一体だった。唯一、霧散しない――器となるジェノムを得ている個体。フードから覗いたのはミコトに瓜二つの顔だった。乗っ取られてしまった双子の片割れ、ナミ。一度はリンドブルムでミノンを襲い、保護という名の監禁下に置かれはしたが、逃走などできないわけがなかったのだ。
「力、渡せ……消えるものか!」
放たれた冷気を彼が躱す。低い声で呪文を呟くと、彼の周囲には同じ冷気が生成した。氷刃となり意のままにナミを襲う。
「……くっ……諦めぬ、なれば……!」
彼の容赦ない攻撃により満身創痍となったナミは、最後とばかりに力を高めはじめた。彼が発動を潰そうと接近する。
「その命だけでも!」
一足早く生成された風の術が襲ったのは、彼ではなく彼女だった。
13/15
[戻る]