「……水よ、我に応えよ!」

彼女が目を見開いて繰り返し、気を高めようとする。しかし――何も起こらなかった。

「……っ!? ……水気よ! 我に従え!」

異変に気づいた彼女が、強く唱える。確かに詠じているのに、気が応えないのだ。呪文を変えてみても結果は同じだった。何一つ動かず、術は発動しない。

「……どうしてっ、……私の声を、聞いて……!」

「…………っ!」

走ってきた彼が、覆い被さるように彼女を抱き締める。彼女が思わず瞑った目を開ければ、逞しい肩には深い傷ができていた。溢れるように赤く染まっていく。二撃、三撃と食らっても彼は無言で耐えていた。目の前で傷つく彼――守れない、無力さ。彼女の血の気が引くには十分だった。必死の表情で散らばっているはずの気に訴えかける。

「お願い力を貸して、私に応えてっ!」

悲鳴にも近い声でそう叫んでも、気が応えることはなかった。彼女を抱えたまま、彼が雑魚散らしで残りの敵を倒す。

「どうして……っ、どうして何も応えてくれないの……私の声が、届いてないの!?」

「……落ち着け。」

床に座った彼に抱き締められながら、彼女は数分前が嘘のような一変した様子で悲痛な声を上げた。彼が宥めようと手を動かすが、動揺は収まらない。それは内心、彼も同じだった。

「……あの木、揺らせるか。」

荒い息遣いで震える彼女が、可能な限り丁寧に手に力を込める。しかし木の葉が音を立てることはなかった。まるで、何もしていないかのようだ。

「……まさか……。」

疑う言葉を伴っていながら、それは確信に近いものだった。彼が言葉を繋げていく。

「まさか、おまえ……力が……。」

彼女とて、考えは同じだった。それが確信に近いことも。

「使えない、のか。」

お互いの考えを確かめるような彼の言葉に、彼女は恐る恐る頷くしかできなかった。泣くことすらできず、目をきつく閉じる。

「いったい、何故……。」

真っ暗な世界で、彼の低い声が鼓膜を打った。いったい、何故。そう感じてしばらくした時、彼女は言葉が通じていることに気づいた。本来なら彼女はこの世界の言語を理解できず、話せもしないのだ。言語に関する記憶を樹木に分け与えてもらったとはいえ、特に話す方はそれを行使する力がなくては儘ならない。

彼女が目を開けて彼の膝から降りる。その左手は迷わずユニコーンの短剣を抜いた。右手に向かって構える。

「っ、よせ!」

彼が制止するより前に、その切っ先は皮膚を貫いていた。しかし傷は瞬く間に塞がっていく。

「馬鹿、……驚かせるな……。」

解放するように長く息を吐いた彼は、残りに乗せるようにしてそう言った。傷が治ることに内心どこかで安堵したのだろうか。あまりキツくならないようにと気遣いながら、細い肩に手をやって再度腕に抱く。あれほど遠くにあった存在は、いざ手に収まれば小さく頼りなかった。

「……補助の力は、使えるということか。」

二度と感じるまいと思っていた温もりが彼女を包む。しかし彼女の頭は自責の念でいっぱいだった。こんな大事な時に、何故。答えは出てこない。

それから何度試しても、術を使うことはできなかった。あまりにも集中しようと考えるばかりに、神経ばかりが磨り減ってしまう。疲れているのかもしれないという彼の言葉に従い少し眠っても、状況は変わらなかった。陰鬱な面持ちで彼女が俯く。

帰還したジタンはサラマンダーから話を聞くと、一瞬の躊躇いの後に部屋へ向かった。何も言わず、寝台に腰かけていた彼女の目の前に片膝をつく。

「オレ達もできることをやるぜ。教えてくれ、何をしたら良い? 何ができる? 何をして欲しい?」

ミノンは驚き戸惑う様子を見せるだけで、しばらく何も言わなかった。ジタンが膝立ちになって前に乗り出す。

「頼ってほしいんだ。……オレもおまえのこと、頼ってる。きっとこの状況を何とかできるのはおまえだって。」

まっすぐ見つめてくる蒼穹のような瞳に、彼女はこくりと頷いた。震える小さな唇を動かし、何より民を守ってほしいこと、とにかく魔物を倒さなければいけないこと、穢れの祓いには魔の森の水を使えば良いことを告げる。

「わかった。――ミノン、ひとりじゃないぜ。」

固く強張った表情の彼女に、彼はそう言った。




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