彼女が降り立った地は、もはや彼女の知る町ではなかった。

空気は赤黒くくすみ、どこからか怒号や悲鳴が聞こえてくる。暗い空に響き渡った咆哮は魔物のものだろうか。通りには僅かな兵隊以外ほとんど人影がなかった。みな家に籠っているのだ。家を失った者達を除いて。

ミノンはしばらく情景を焼き付けるように瞳を見開いていたが、やがてすっと手を掲げた。すぐさま身体が白く輝く。腕が振り下ろされると同時に、発生した光波が周囲を呑んだ。目を覆いたくなるほどの――神々しいまでの浄化の力。かつてアレクサンドリアの水源で発現させた力と同じだった。しかし焼け石に水とはこのことを言うのだろう。清められたのは彼女を中心に半径およそ十歩分といったところだけだった。サラマンダーの手が彼女の背中に添えられる。

「ミノン殿ー!」

「ミノン!」

彼女が思わず唇を噛んだ時、遠くから耳慣れた声が聞こえてきた。鈍く光る大鎧と軽やかな青の装い。共に事態の鎮静化に当たっていたスタイナーとジタンだった。彼女の力の発動でその存在に気づいたのか、二人に向かって一直線に走ってくる。

「……スタイナー様、ジタン様……。」

「ミノン、……身体は平気なのか?」

こんな状況にあってまで、真っ先に掛けられたのは――体調を気遣う台詞。彼女は僅かに拳を握りしめたが、すぐに頷いた。強い眼差しで二人を見据える。

「……魔物の活性化、争いの勃発、黒い靄の増殖。これで合っていますか。」

口に出したのは事態の端的な確認だった。なされた首肯に、一瞬だけ目を俯せる。

「わかりました。」

再び意思の宿る瞳を顕にすると、彼女はまた気を高まらせた。次の瞬間、上空から飛来してきた魔物めがけて解き放つ。刹那の断末魔の後、それは跡形もなく消え去った。

「……ミノン、あんまり無理は……。」

「…………平気です。――私に、守らせてください。大切なものを。」

常に纏う儚さが消えたわけではない。しかしそこには、何をも凌駕する強い力があった。手を僅かに動かすだけで、数歩足を進めるだけで、周りが浄化されていく。これが彼女の本当の姿なのか。彼女の本来の力なのか。彼女の様子はジタンとスタイナーにそういった思いを抱かせた。サラマンダーが腕を組む。圧倒的な――遥かに人智を超えた力。その上限を想像することは難しい。

「……ミノン、……何が起きてるのか、わかるか?」

開いた距離を埋めるように、ジタンが歩み寄りながら訊ねる。彼女はしばらく沈黙していたが、促すようなジタンの視線を感じて口を開いた。

「……テラの魂が、器を持たず……解放されました。むき出しの魂は、ヒトにとって毒になるのです。争いを生み、気分を害します。」

ヒトのような形になった黒い靄が、彼女の周囲を避けるようにして徘徊していく。

「強い力を持つテラの魂は、地脈の歪(ひず)みと、それによる穢れも生むのです。そして穢れを纏い……害の塊となってしまいます。」

「では、魔道士達が倒れたのは……。」

「……この穢れに、耐えられなかったのでしょう。」

そう言った次の瞬間、彼女は思わず目を瞠った。凍てついたようだった表情が動く。――ジタンに真っ正面から肩を掴まれたのだ。彼はいつもの場を明るくする飄々とした態度からは想像もつかない、真剣そのものの顔で彼女を直視していた。

「おまえは、平気なのか。」

あまりの気迫に彼女が言葉を失う。口を僅かに開けるものの、何も唇を通り越しはしなかった。言いたいことはあるのだ。問題ないと。心配しないで欲しいと。しかし余りに普段と違うジタンの様子に、言葉を発することができなくなってしまったらしい。ジタンとしては、怖がらせる気は全くなかったのだが、彼女の今の様子を見て心配する気持ちが抑えられなくなってしまったのだ。彼女の自己犠牲の精神を知ればこそだろう。互いに動かないまま沈黙が落ちる。

「…………平気だ。」




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