それは彼の鼓膜を……そして空気を介さず、直接脳裏に伝わる。突然の出来事――更には、魔封じがされているはずの空間で魔法が使われた事実――に驚いた彼が言葉を失っている間に、彼女は次の言葉を発した。
“………会いに、来て………くれたの?”
「……っ、あ……ああ。」
“…………そう……。”
顔を上げず、身体は全く動かすことなく……頭に響く声だけを彼に伝える。だがこれは彼女であるという確信が、彼にはあった。もう一度よく彼女の姿を見る。――あまりに痛々しい有り様。それは遣り場のない思いを彼に懐かせた。
「………何故、そんな風に……繋がれている。……抵抗、できるだろう。魔法……魔封じがあっても使えるんだろう。どうして抗わない。」
しばらく考えた後、正直な思いを口に出す。彼女はそれを聞いても……やはり微動だにしなかった。
“………。……抗うってことは、この処置に納得してないってことだもの。”
「……どういう意味だ。」
“………言葉の、通り。……私は……この処置、納得してる。”
「っ……馬鹿を言うな、……このまま、ずっとここにいるつもりか?」
淡々と言葉を並べた彼女に、彼が冗談だろうと片頬だけで笑って言葉をぶつける。光もなく、自由もなく、ただ縛られるだけ……あれほど「生きたがっていた」彼女に、これだけ不似合いな状態があるだろうか。
だが、彼女は静かに肯定しただけだった。
“………うん。”
「……っ……!?おまえ、……正気か、何故……。」
“………ありがとう。”
珍しく感情を顕にした彼に、そっとそう告げる。
“………あんなに、危険な目に遭わされて………どうして、そんな風に言ってくれるの?”
彼女の声は笑っている様にも……泣いている様にも思えた。顔が見えない状態で、その感情を判別することは困難だ。彼の聴覚を以てしても、彼女自身が発しているはずの息遣いすら聞こえない。
“………私は、危険だから。あんな風に、沢山の人の命を奪った。あなた達の、……あなたの命すら……奪い、かねなかった。………そんな、そんなことになるくらいなら………私、……もう、ずっと、ここにいるよ。”
彼が初めてその口調から感じとった心情は――“諦念”だった。いつもと違う言葉遣いに、余計それを感じさせられる。
“結局……あなたのことも守れなかった。私、強くなれなかった。あなたを――傷つけた、だけだったね。”
「……違う、……おまえが……あの剣を俺に託して……俺は、守られた。」
“………あなたは優しいね。言わないんだ。でも私、ちゃんと、覚えてる。その前に……あなたを、……傷付けたこと。”
「……それから身を守る術を与えたのはおまえだ。」
“………あなたは、自分で自分を守っただけだよ。………私は、何もしてないよ。”
もし顔を上げたら、彼女はどんな表情をしているのだろうか。――全く動かない彼女を見て、彼の頭にそんな思いが浮かぶ。
“自分では抑えられないって、よくわかった。大切な人を傷つけてしまうって、よくわかった。もう……こんな思いをするの、嫌なの。”
「…………怖くても、共にいる……おまえ、それを選んだんじゃなかったのか。」
“……うん。……一緒に、いたかった。でもね、私……やっぱり、怖いよ。いつ、大切な人を消してしまうか、わからないなんて。……それにね――もう、今までとは、違うの。本当に……抑えられないの。……だから……もし、誰も傷つけずに、ここにいられるなら……それが、私の、望みだよ。”
言葉をぽつりぽつりと連ねる、どこか儚い口調。だがそこには迷いがなかった。
“私のこと、忘れて。あなたがどこかで、笑ってくれてるなら、それが私の幸せだから。”
彼女が虚明るいトーンで言葉を切る。彼は動くことができなかった。――失うのか。ここで是と言えば、幾度となく引き留めた彼女を失うことになる。失いたくなかった<彼女>を失うことになる。だが彼女の思いを汲んでやるなら、是と言うべきではないだろうか。彼女にこれ以上の辛い思いを強いるのは、酷なことではないだろうか。否、これは真に彼女の本心なのか。あれだけ人との絆を渇望していた彼女の――願いなのか。
“………今まで、ありがとう。………お願い、早く、ここを……離れて。いつ……また、わからなくなるか……わからない。”
動こうとしない彼を急かす様に、彼女が言葉を重ねる。それでも彼はその場を離れる気になれなかった。しばらくの沈黙の後、彼女がそっと問いかける。
“……ね、じゃあ、最後にひとつ、教えて。”
そう言うと、彼女は――初めてその身体を動かした。今までずっと俯せていた顔をゆっくりと上げる。
“私、今――どんな顔してる?”
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