思い出した。

もう、逃げられない。



W-Eアレクサンダー



「サラマンダー様……ご迷惑を……お掛けしました。」

「…………。」

精神を研ぎ澄ませ、内なる力に集中する。先程まで意識など欠片もしていなかったのに……今は当然の様に、そこにあった。――ずっと共にあったのだ。あの私が、知らなかっただけで。

「……水よ、癒しの雨となりて、この地に降り注げ。」

消火と癒しの為の水を降らせる。本物ではないので雨雲はない。降り方も雨にしては不自然に一定だ。

「おまえ……。」

「……ごめんなさい、……!」

ぞくりと身体の芯を撫でる感覚に震えた時、大きな火球が飛んで来る。

「盾よ、我らを……キャッ!」

「……っ!」

詠唱が終わらなかった。瞬時に詠唱破棄の結界は張ったが、撥ね飛ばされてしまう。

「あ……ありがとう……ございます。」

しかし、覚悟した痛みは来なかった。後ろにいたサラマンダー様に受け止められたからだ。触れられる感覚から離れて立ち上がる。

「……私から、離れないでください。」

街への被害を拡大させないために、まずはバハムートの注意をこちらへ引き付けなければならない。それは大きな危険を伴うことだった。私一人ならどうとでもなるけれど――ここには巻き込んでしまった人がいるのだ。必ず守らなければならない。街も、この人も。

「氷よ、彼の者を射抜け!」

挑発とも言える矢を飛ばす。狙った通り、バハムートはこちらに向かって来た。最適な瞬間を見計らい、高めていた気を解き放つ。

「迎え撃て!」

それは風の刃の様に鋭く飛んだ。翼や胴に傷を付けていく。しかし、決定打にはならなかった。バハムートが揺らぎながらも黒い空を飛び回る。並みの術では無理なのだ。躊躇してはいられない。一刻も早く――止めなくては。大きな犠牲が出る前に。

「時間よ止まれっ!」

時を操る呪文を唱える。

「何で……お願い、止まって!」

しかし、期待した感覚は来なかった。思わず目を見開く。このままではバハムートは封じられない。オーディンと同じく、動きを止めるために……時間を止めなくては。

なのに、止まらない。

「どうしてっ……!」

「……あれは何だ?」

周りの音が聞こえなくなりだした時、落ち着かせる様な低い声が耳元で響く。サラマンダー様が指差す先には――白く大きな1対の羽があった。距離はその片翼で視界が埋め尽くされるほどに近い。この塔が立っているのは、アレクサンドリア城の敷地内だったのだ。

「アレクサンダー……!」

止まらなかったのはあれのためだろう。あんなに大きな力で均衡が崩れかけた時空の時間など、簡単に止められるはずがない。

アレクサンダーから神々しい気を纏った白い光線が伸び、バハムートを捕らえる。やがて裁きが下り、竜王は小さな石に封じられた。これで犠牲も増えはしないだろう。

しかし、何故か嫌な予感がした。まだ終わっていないと全身が騒ぎ――力が集まっていく。

やがて、立ち込めた黒い雲の合間から禍々しい瞳が覗いた。――<インビンシブル>だ。瞳の中心から、強い力を纏った衝撃波が発射される。何故あの船がここにあるのか。そんなことより重要なのは、その威力だった。あんなものが当たれば、アレクサンダーごと城が壊れてしまう。あそこにいるダガー様とエーコ様が危険だ。もちろん――ここも。防がなくては。

「盾よ、我らを守れ!」

力と力がぶつかる。次々に詠唱を重ねるが、どうしても劣勢に立たされてしまった。防ぎきれず、そこかしこから波動が漏れて……アレクサンダーが輝きを失い、城が壊れて行く。この程度の術では足りないのだ。

(……でもこれ以上、大きな力を使えば……。)

きっと、どこかに歪みが。

(……仕方ない……!)

『立ち去れ! 真に在るべき場所へ!』

<言霊>の術を唱える。最も――使うことを忌避していた術の一つだった。この術は言の葉の力を最大限に利用し、対象の意思すら無効化し操るからだ。操ることは……人の恐れを呼ぶ。

対象が対象だったため、相当の気力を消費してしまったが、従わせることには成功した。禍々しい光が消え去る。

しかし、アレクサンダーはいなくなってしまった。

それに……。

(……たくさん、壊れた。私が……いたのに。)

「……っ……!」

身体中を強い痺れが走る。思わず座り込むが、痛みはいっこうに引かなかった。地に触れる感覚すら奪われていく。

「おい、どうした……!」

「……っ……サラマンダー様……お怪我は……っ?」

そう訊いてから、私はサラマンダー様に触れられていることに気がついた。何の――躊躇いの感情もなく。この人は逃げないのだろうか。私の本来の有り様を見て、尚。

「んなもんねえよ。それより、おまえ……。」

「私は……大丈夫、です……。……きゃあっ!」

「……!」

急に足元が崩れる。さっき壊れかけたのが、今になって崩れ出したのだろう。私もサラマンダー様も、塔の上から放り出されてしまう。

「……っ……我が身に宿りし力よ! 空間を越え、我らを安寧の地へ導け!」

落下する中、痛みを堪え渾身の詠唱を紡ぐ。すぐに独特の耳鳴りがして、時空移動の光が溢れた。うさぎさんを握ったままだった右手の代わりに、左手で必死にサラマンダー様を引き寄せる。

一瞬の後、目の前にはよく見慣れた人達がいた。どうやら上手くいった様だ。

「ミノン! サラマンダー! 二人一緒だったのか……良かったぜ、無事で。」

「ジタン様……ご心配を、おかけしました……。」

「……!? ミノン、おまえ……記憶戻ったのか!?」

「ジタン、それホント!? ミノンおねえちゃん、思い出したの?」

皆に囲まれ、戻ったのだ、という実感が湧く。もう――逃げてはいられないのだと。

「……はい……数々の無礼、お許しください。」

「そんなことないよ! ボク、今のおねえちゃんも好きだけど、あの時のおねえちゃんも好き!」

「オレもだぜ。何ならあの接し方のままでも構わねえよ。」

「……いえ、それは……っ……。」

ひどい目眩がして、駄目だとは思いつつサラマンダー様の腕に縋ってしまう。痛みのせいなのか、気力を使い過ぎたせいなのかはわからないが……体は限界を訴えていた。

「おねえちゃんっ!?」

「ミノンッ! どうしたんだよ……! ずいぶん辛そうだな……。」

「……大、丈夫……です……。」

視界が狭まる。何とかもう一度自力で立とうとするが、どうしても体に力が入らなかった。もはや縋るどころではなく支えてもらっている状態だ。

「ぜんっぜん大丈夫そうじゃねえよ……! 無理すんな、そのままサラマンダーに支えててもらえ、な?」

「…………。」

そう言ったジタン様の二の腕には、今もなお流血する深々とした裂傷があった。――よく見れば、全身が傷だらけだ。

「……っ……。」

残った気力を総動員し、癒しの術を発動させようとする。しかし余計まともに立てなくなってしまっただけで、全く形をなしはしなかった。

「っ!? 馬鹿っ、オレのことなんか放っとけ!」

「……で……も……。……っ……。」

「ミノンッ!」

全ての感覚が遠くなっていく。

逞しい腕に支えられる感触と、うさぎさんを握り締める感触が……最後まで残っていた気がした。



***



取り戻した少女がこちらを向く。何かを失った様にも感じるのは……気のせいか。



W-Eアレクサンダー(sideS)



「……サラマンダー様……ご迷惑を……お掛けしました。」

「…………。」

聞き慣れないのに、違和感を感じはしない言葉遣い。――いま目前にいるのは、明らかに先程まで俺を振り回していた少女ではなく……初めて会った時の<あいつ>だった。

「……水よ、癒しの雨となりて、この地に降り注げ。」

突然雨が降り始める――否、水が空から落ちて来る。ミノンの言葉に呼応したのは間違いないだろう。思わず目を見張る。魔道士だったとは……一体なぜ隠していたんだ。

「おまえ……。」

「……ごめんなさい、……!」

何故か小さく謝罪したミノンが空を見上げる。目線の先には今まさに飛来する火球があった。咄嗟にダメージを最小限に留める姿勢をとる。

「盾よ、我らを……キャッ!」

「……っ!」

ミノンは再び何かの詠唱をし、火球を防いだものの撥ね飛ばされた。姿勢を変え受け止める。軽い体だ。

「あ……ありがとう……ございます。」

たどたどしく礼を言うと、ミノンは自分の足で立った。厳つい咆哮を上げる竜王を見据える。

「……私から、離れないでください。」

振り向いて一瞬そう言った姿は、過去のミノンとも少し異なっている様に感じた。声が冷たく落ち着き払っているのは同じだ。しかし何か――その後ろに潜むモノが、違う気がした。

「氷よ、彼の者を射抜け!」

ミノンが次々と氷の刃を形作り、バハムートに向かって飛ばす。大した威力はない様だ。まさかこの程度で太刀打ちしようというのだろうか。あまりにも無謀すぎる。

ミノンの仕掛けた術に反応し、バハムートの照準は街からこちらへと逸れた。大きく羽ばたいてこちらに向かって来る。ミノンはその間にも着実に気を高めていった。考えにくいが勝算でもあるのか……考えたくもないが短絡的な行動なのか。普通に考えれば後者だろう。しかしその表情からは、何の惑いも感じ取れない。――やがて襲来を目前にした瞬間、ミノンの気は信じがたいほどに高まった。

「迎え撃て!」

鋭い叫びと共に解き放たれる。それは風の刃の様に鋭くバハムートを傷つけた。先程の術は全力どころか、弱く手加減された、気を引くための挑発だったのだ。一体――何者なのか。間違いなく只者ではない。

勢いは削がれたが、竜王はまだ空を飛び回っていた。動きを止めるつもりだったのか、ミノンが僅かに顔を顰める。

「時間よ止まれっ!」

次に選ばれた文言に、俺は思わず自身の耳を疑った。時間を――止めるだと? 確かそれは大きな負担を伴う禁呪であったはずだ。それなりに込み入った手順も必要とする。それを今、この一瞬で使おうというのだろうか。

「何で……お願い、止まって!」

しかし時間が止まる様子も、止められた様子もなかった。ミノンの気が急いていく。顔は相変わらずの無表情なのに、明らかに焦っているのが見てとれた。普段は止まるのだろうか。

「どうしてっ……!」

ふと上に何かの気配を感じ、背後の空を見やる。すると巨大な白い羽が視界一面に広がった。すぐ近くに城も見える。今いるのは城の見張り塔だったらしい。敵か味方か……それはわからない。一つ確かなのは、強い力を持つ存在だということだ。

「……あれは何だ?」

知っている可能性は零ではないだろうと考え、ミノンに問う。すると彼女は知った顔で「アレクサンダー」と叫んだ。やはり知っていたのか。――いったい何故、知っているんだ。

白い羽から伸びた光がバハムートを封じる。一難去ったかと思った時、暗雲の合間から赤い瞳が覗いた。妙に禍々しい雰囲気だ。

再びミノンに尋ねようとした瞬間、衝撃波の様な光線が城に向かい発射される。この規模ではここも巻き込まれるだろう。

「盾よ、我らを守れ!」

ミノンがまた詠唱を紡ぐ。その詠唱文は、白魔法のものでも黒魔法のものでもなかった。何度も詠唱を重ねるが防ぎきれない様で、白い羽が黒ずんで城が壊れて行く。この足場もあちこちに罅が入り、今にも崩れそうだ。やがて、意を決した様にミノンが口を開く。

『立ち去れ! 真に在るべき場所へ!』

唱えられたのは、今までのものとは違う、特異な響きを持つ詠唱だった。その言葉の通り赤い瞳が立ち去る。まるで、意思を奪われた様に。どこかで聞いた、言霊という術だろうか。言葉に込めた力による呪縛で……あらゆるものを、意のまま従えられるという。

もしそうならば――こいつは最強なんじゃねえのか。

先程は竜王の攻撃すらその手で防いでいたし、あの赤い瞳も退けている。あれだけの気を操って神とも噂される召喚獣と互角に渡り合い、かつ言霊らしき術まで使うなど……人智の超越も良いところだ。

(……こいつが、か。)

現実との解離に眉根が寄る。そう……何度見ても、いま目の前にいるのは、ただ一人の小さな少女だ。

「……っ……!」

ミノンがいきなり座り込む。何かと思えば、荒い呼吸がここまで漏れ聞こえてきた。力の使いすぎでガタが来たという様子ではない。

「おい、どうした……!」

近寄って肩に触れてみる。あれほどの気の余波はほとんど感じられなかった。普通の人間と言っても差し支えはない。

「……っ……サラマンダー様……お怪我は……っ?」

彼女が辛そうな息の中で真っ先に尋ねたのは……俺の怪我だった。何故、そうなるんだ。

「んなもんねえよ。それより、おまえ……。」

病持ちかと疑っていたことを思い出す。剣士のくせに後衛にまわるほど体力がない上、咳き込んでいることも何度かあったからだ。これは発作か何かだろうか。――あまりにも不似合いだと思った。破格な魔力に脆弱な身体。どちらが<彼女>なのかわからなくなる。

「私は……大丈夫、です……。……きゃあっ!」

「……!」

突如崩れる足元。一瞬の浮遊感の後、逆らえるはずもなく地に引っ張られる。ここまでか。――いや、こいつが共にいるのなら。

「……っ……我が身に宿りし力よ! 空間を越え、我らを安寧の地へ導け!」

必死な声が響いた後、天地が再び混ざる。

小さな手に、腕を引き寄せられた気がした。



一瞬の後、目の前にはよく見慣れた面子がいた。

「ミノン! サラマンダー!」

どうやら空間を越えやがったらしい。全く、本当に破格の女だ。

「おまえ……記憶戻ったのか!?」

ジタンが発したその問いに、ミノンははっきり肯定を返した。数時間前に俺を振り回した奴のものとは思えない受け答えだ。一体<あいつ>は何だったのだろうか。

「……っ……。」

不意にミノンがふらつき、弱々しい力で腕に縋ってくる。

「ミノンッ!」

自力で立とうとはするものの、身体に力が入らないらしかった。どころか徐々に力が弱まっていく。発作は治まった様だが、先程の魔法で気力の限界が来たのだろうか。突き放す気にもならなかったので支えてやる。

「無理すんな、そのままサラマンダーに支えててもらえ、な?」

「…………。」

無理をするなと言っておきながらおまえはそのザマか、と感じる。元気に振る舞っているだけで、ジタン自身も満身創痍だった。ふとその傷にミノンの視線が行く。まさか……。

「……っ……。」

案の定、回復術を発動させようとし……至らなかった様だ。ミノンの周囲を不安定な魔力がたゆたっただけで何も起こらず、腕にかかる重みが増す。

「っ!? 馬鹿っ! オレのことなんか放っとけ!」

「……で……も……。……っ……。」

「ミノンッ!」

何か言いかけるも叶わないまま、ミノンは完全に気を失った。全ての重みがかかる。しかし尚その身体は軽く、片腕でも優に支えることができた。

「……サラマンダー。……何が……あったんだ?」

「…………。」

言わせてもらうならば……よくはわからない、というのが本音だ。

「…………火球だの光線だの防いで……赤い瞳を追っ払った……後は、ここまであいつの力で来た。……羅列するなら、そんなところだ。」

「……そっか…………何か……急に苦しそうになったり、記憶失くしちまったり……心配だよ、ミノン……。」

眠った様に見えるミノンの頬に、ジタンが触れる。

ミノンの手には、未だあの人形が握られていた。




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