壱
「しまった」
彼にしては珍しく舌打ちをして手に持っていたペンを置いた。
「私としたことが――」
〆切まで数時間と迫った時間に、彼は眉根を寄せた。
使っていたペンのインクが切れてしまった。
いつも使っているこのペンでないとこの部分は書けない――となると、インクを買いに行くしか無いが……
「急げば間に合います、かねぇ……」
時計を見上げて、素早く移動を始める。
先程まで描いていた漫画のために手に着いたインクを洗い流し、トーンかすを払い落とし、外出準備を急ぐ。
「では、ぽちくん、いってきます」
間に合うことを祈っていてくださいね、と飼い犬に言い残して家を飛び出した。
店頭へと辿り着きはしたが、シャッターが落ちたその店の前で膝に手を突いた。
「た、いりょ、くの低下を甘く、みてま、した……」
爺は労って貰わないと……とぼやきながら、息を切らした。
この店以外に近所でやっている店はとっくに閉店済み。
24時間やっているスーパーも増えているのだから、こういう店も24時間化すべきです! とぶつぶつ言いながら息が整うまでへたり込んでいた。
「大丈夫ですか?」
具合でも悪くなったのだろうか? と心配した少女が視線を合わせるようにしゃがみ込んで目の前にいた。
「ぁ、すみません……」
買いたいものがあったのですが、閉店に間に合わず、と苦笑をして言えば、彼女は何度か瞬いた。
「そんなに急ぎだったのですか?」
紙か何かであれば融通しましょうか? とまで言ってくれた彼女に、いえいえ、と手を振る。
「製図用インクですので、お気になさらないでください」
漫画に使っているインクは、かなり前からあの製図用インクだから、とお断りをする彼に、彼女は袋に手を入れた。
「それって……これだったりします?」
取り出したのは目当てのインクそのもので、彼は驚く。
「あぁ、やっぱり。漫画を描くならこれですものねぇ」
良かったらどうぞ、と手渡そうとする彼女に、彼は焦る。
「か、買ったと言うことは、貴女も必要なのでしょう?」
「私はまだ残りがありますから」
今日のは予備だったのでお気になさらず。
「えっと、それでは」
お金を手渡し、頭を下げる。
「私は本田菊と申します、貴女は?」
「――松崎あかりです」
彼女はこうして彼と出会った。
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