ゆるやかにスーサイド





02




* * *



「いないよ、友達なんて」

それは本当だった。友達は、もうとっくにいない。

大学をドロップアウトした私は、同じ学部やゼミの友達と連絡を取らなくなった。バイトも辞め、バイト先で知り合った友達とも連絡を取っていない。
高校時代を共に過ごした地元の友達とも疎遠である。
土佐筆山高校は進学校だった。私の友人のほとんどが四年制大学へ進学していて、皆それぞれの大学で充実した生活を送っている。中退したのは私くらいだろう。友人に連絡したところで、大学の話題を出すまいと気を使われる様子が容易に想像できた。

しかし、横浜に住み続けるということは、家賃を払わねばならない。
止むに止まれず、大学を辞めて3か月後、私はアルバイトを再開した。もちろん以前の職場ではない。体調はまだまだ回復していなかったので短時間勤務から始め、今では一日5時間くらいまでなら働くことができるようになった。
一つの職場に留まることが怖くなった私は、単発のアルバイトで食いつないでいる。いつも、工場のライン作業や配送センターの仕分け作業など、極力人と関わらない仕事を選ぶ。職場の人間関係に悩まされることはなくなったが、職場で友人などは当然できない。

定期的に連絡をくれて、家まで訪れてくれるような人は、今や坂木君だけだ。
だが今、坂木君は友達じゃない。
かつては友達だったかもしれないし、坂木くんは今も昔も私を友達と思ってくれているかもしれない。
でも少なくとも、今の私は彼を友達だと思っていない。

私が彼に対して持っている感情は、友情と呼ぶには邪すぎるのだ。



「なあ、みょうじ。お前また痩せたんじゃねえのか?ちゃんと食ってんのか?」

調理のために一旦しまった食材を取り出している坂木君は、冷蔵庫の中にジュースと米しか入っていなかったことにため息を吐いた。

この家に来ると、彼はいつも私の食事を心配して、手料理を振る舞ってくれる。料理をするタイプには見えなかったのだが、防大では色んなことを教わるみたいだ。
いつも家に来る時には、スーパーに寄ってから来てくれる。寒い日なら鍋、そうでなければ肉野菜炒めなんかを作ってくれることが多い。

坂木君の作るご飯なら食べられる。だが、自分のために調理する気にはどうしてもならなかった。
いつもは、スナック菓子やカップ麺なんかを食べている。一日三食は取らないし、ジュースだけで済ませる日も多い。動かなければ、お腹も減らない。それに健康的な食事をすることは、私にとってあまり好ましいことではなかった。
私は、不健康でいなければならないのだから。

「普段は……あんまり食べたくないんだ。でも、坂木君が作ってくれるご飯は美味しいから。坂木君のご飯なら食べたいよ」

そう答えると、坂木君は困ったような顔をして野菜を刻み始めた。



自分がどんどん痩せこけていっていることに、気付いている。肌がボロボロに荒れていることにも、気付いている。
その事実はもはや、私にとって鎮静剤のようなものだ。その事実が私を慰めて安心させてくれる。

だって、不健康で怠惰な私を、坂木君は心配してくれるから。
坂木君は、過去の私が頑張っていたことを知っている。
優しい彼は、昔は頑張っていたのに今は頑張れなくなってしまった憐れな同級生を見捨てることができない。



ゴミがまとめられて、部屋は少しだけ綺麗になった。
中途半端に閉まっていたカーテンはシャッと開けられ、強烈な日差しが部屋に差し込む。今は一番日の高い時刻である。

ローテーブルの上に載せられたのは、坂木君の作った肉野菜炒めと味噌汁、そしてご飯。
私達は並んで座り「いただきます」と手を合わせた。一つのテーブルで同じ物を食べると、まるで家族になれたかのような錯覚を起こす。

「みょうじ、バイトはどうだ?」
「まあ、なんとか。家賃が払える程度には、働けてるよ」
「……深夜まで働かなきゃいけないほど、困ってるのか?安定した仕事を探すなら、昼の方が……」
「ううん、そんなに切羽詰まっているわけじゃない。ただ夜の方が、時給が良いから。働く時間が短くて済むでしょ」
「……そうか」

可哀想な子。頑張れなくなってしまった子。
坂木君は私のことを、そう思っているのだろう。



ねえ、ずっとそう思っちょって。かつて頑張っちょった子が、今はもう頑張れんなったんやき。
可哀想やろ? ほっとけんやろ?



「なあ、夏になると夏期定期訓練が始まるから……しばらくここには来れなくなる。おかず、冷凍庫に作り置きしておくからきちんと食べろよ?」
「食べられないよ。坂木君と一緒なら食べられるんだけど」
「お前はそんなことばかり言って、俺が来ないとカップ麺だのスナック菓子だのしか食べねえから……だからそんなに痩せちまうんだろ」

カタリ、と箸と茶碗を置く音がした。
痩けた私の頬に、そっと坂木君の手が触れる。
憐れむような慈しむようなその指に、私はうっとりと目を閉じた。

ああ、温かい。
坂木君の指は、温かい。

たっぷりと坂木君の指を頬で感じてから、恍惚のままにゆっくりと目を開ける。
目の前には、労しげに私を見つめる坂木君がいた。
私も箸を置き、にっこりと坂木君に向かって微笑んだ。

「わかった。じゃあ坂木君が来ない間、少しでもきちんと食事ができるように頑張ってみる。元気にならないとね。仕事も探してみようかな。そろそろ定職に就かなきゃかなって考えていたの」



瞬間、坂木君の顔が強張った。
私の頬に触れていた指もびくりと跳ねる。
私はそれを見逃さなかった。



ああ、そうよね。
坂木君は優しいき、私のことが心配やろう?
可哀想な子を世話しちゅうと、きっと満たされるろう?



彼の指がゆっくりと頬から離れる。
部屋は、テレビもついているのにシンと静まりかえった。
坂木君の硬い視線と私の蕩けた視線が、野菜炒めの上でぐちゃりと混じり合う。

私は笑みを浮かべたまま、再び口を開いた。

「……そうは言っても、きっとすぐには上手くいかないと思うの。またジャンクな食べ物ばかりになってしまうかもしれないし……仕事もすぐには見つからないかもしれない。就活するにも、少し動くとすぐに疲れちゃって。
坂木君、忙しいだろうけど……夏期定期訓練が終わってもし時間ができたら、また来てくれると嬉しい」

私がそう言うと、氷が溶けるかのように彼の顔の強張りが解けた。
テレビから思い出したように笑い声が戻ってくる。やっと彼の口の端が、ほんの少し上がった。

「……ああ。そうだな。お前がちゃんと元気になるまでは、なるべく来るようにするから」
「うん、ありがと」
「ほら、食べろよ。冷めるぞ」

坂木君は筋肉のついた腕でご飯をかきこんだ。
長袖を着ていてもよくわかる。彼の身体には本当に筋肉がついた。高校生の頃の坂木君だって剣道で鍛えていたとは思うが、あの頃とは身体が全然違う。もう彼は、自衛官の身体だ。
それでも、坂木君の根本は変わってない。
高校生の時から、ずっと、きっと。



次に坂木君に会える時まで、私はやっぱりカップ麺ばかりを食べているのだろう。
そうすれば坂木君はきっとまた、私の頬を撫でてくれるのだから。





【ゆるやかにスーサイド Fin.】




   

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