ゆるやかにスーサイド





【ご注意】

メリバというか、胸クソ設定です。
坂木さんも夢主も病み描写ありです。
捏造土佐弁が盛りだくさんです。

大丈夫そうな方だけご覧ください。




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01




土曜日、午前10時50分。
中途半端に閉められたカーテンの隙間から、日が差し込んでいる。もう日は随分高い。

きっと、そろそろ坂木君がやってくる。
私はベッドの上で毛布に包まっていた。起きる気は、ない。
床には、朝方まで飲んでいたチューハイの缶が転がっている。つまみにしていたサラミの袋も開いたまま放ってある。片付ける気も、ない。

ピンポーン

安普請のインターホンは、ちょっと調子の外れた音を出す。時計を見れば11時ぴったりだった。
私は急ぐことはせず、殊更のっそりと起き上がった。ブラだけは取り敢えず着けたが、よれよれの部屋着を着替えることもしない。ちんたらと玄関に向かっていると、もう一度調子っ外れの音が鳴った。多分、ドアの向こうで苛立っている。

「はいはい」

ガチャリとドアを開けると、黒い長袖Tシャツにドッグタグを付けた坂木君が立っていた。予想通りのしかめっ面。今日もスーパーの袋を両手に下げている。

「お前なあ、すぐに出ろよ。心配するだろうが」
「ごめん、寝てたから」

むすっと言う坂木君に、敢えて気怠げに返事をし、寝起きをアピールするために伸びをする。坂木君はため息を吐いて、「邪魔するぞ」と部屋へと上がり込んだ。
薄暗い玄関を上がるとすぐに、コンロが一口しかない狭小キッチンが現われる。キッチンの隣は、生活の主空間となっているリビングだ。1Kのこの家に、ダイニングはない。
坂木君はキッチンの床にスーパーの袋をどさりと置き、部屋を見回した。転がっているチューハイの缶を見つけ、眉間に皺を寄せる。

「……また飲んでたのか?朝方まで?」
「日付変わってから飲み始めたから、飲んでた時間は大して長くないよ。数時間ってとこでしょ」
「みょうじ、酒を飲むなとは言わない。だけど飲むならもっと早めに飲み始めて、早めに寝ればいいだろ?こんな昼夜逆転みたいな……」
「あのねー、23時までバイトだったの。家に帰ってきたら0時過ぎてるよ。夜の方が時給良いから」
「……」

ああ言えばこう言うを体現していると、坂木君のほうが先に折れて黙った。スーパーの袋から食材を取り出し、黙々と冷蔵庫へしまい始める。
私はそんな彼を横目に、ベッドの上で膝を抱え、テレビのリモコンを押した。既にお昼のバラエティーが始まっていた。もうすぐ午前中が終わる。

坂木君にとって貴重なはずの土曜日。その半分が、防大からここまでへの移動と、スーパーでの買い出しで終わろうとしているのだ。
正直に言えば、その事実は私に取ってこの上なく甘美だった。



「……飲むんならもっと健全に……誰か、友達とかと楽しく飲んだ方が、いいんじゃねえのか」

坂木君は、散らかっている缶をビニール袋にまとめながら、どこか気を使うように言った。
可哀想な私をこれ以上傷つけないように。そういう気の使い方だ、きっと。

「いないよ、友達なんて」

私の声色はからりとしていた。対して彼から向けられた視線には、哀れみと同情、そして少しの軽蔑が混じっている。
にっこりと笑顔を返すと、彼の瞳の奥はぐらりと揺らぎ、そしてふいと視線を逸らされた。



* * *



坂木君と私は、高校時代の同級生だ。

彼は剣道部の主将、私は吹奏楽部の部長だった。
部活も違うし共通の話題もない。お互い異性に対してフレンドリーなタイプでもない。私達は同じクラスだったが、特に話したりすることもなかった。ただ名前と顔を認識しているだけの、一クラスメートだった。

私達の関係が変わったのは、高校三年のある夏の日、暑い夕方のこと。

その日は、吹奏楽部が夏のコンクール県大会で敗退し、私を含めた3年生の部活引退が決まった日だった。
コンクール会場から帰校し、トラックで搬入された楽器を音楽室に片付け、解散したのは16時。
部員達は皆帰って行ったが、私は一人、ぼんやりと生徒玄関に座っていた。随分と長い時間そうしていた。



今年の夏が終わった。私達の夏が終わった。
私達の学校は進学校だ。でも、私達は決して部活動を疎かにすることはなかった。強豪私立のように楽器や設備が立派なわけではないけれど、ずっと一生懸命に部活に取り組んできた。
だが、いつかは終わりがくる。負けたらそこで終わりだ。それが今日だった。それだけのことだ。



私は生徒玄関に座り込んだまま、玄関の向こうのコンクリートをじっと眺めていた。
蜃気楼でコンクリートが濡れているように見える。逃げ水、と言うんだったか。



「……みょうじ、どいたが?」

突然後ろから声が掛かる。
びくっと肩を竦めてパッと振り返ると、立っていたのは同じクラスの坂木君だった。部活が終わったところなのだろうか、剣道袴姿である。防具は付けていない。

「具合でも悪いがか?暑いき」
「あ、違う……そがなことない」

私は慌てて手を振った。一人で座り込んで微動だにしない私を、熱中症か何かかと思ったのかもしれない。
坂木君は「そうか」と言って、脇に並んでいる自販機にコインを入れた。ピッという音がして、次いでガコン、ガコンと缶が2本落ちる音。二人しかいない生徒玄関は音がよく響いた。

「どっちがえい?」

彼の右手にオレンジジュース、左手にカルピスの缶。ずいと差し出され、私は戸惑いながらもカルピスのほうを指差す。

「……あ、じゃあ……こっちかな……」

坂木君はカルピスの缶を私に寄越し、自分はオレンジジュースの缶を開けながら隣に腰を下ろした。

驚いた。ほとんど話したことのないクラスメートが、ジュースを奢ってくれるなんて。
坂木君は硬派な印象だったし、女の子とはほとんど話さない人だ。私は私で、クラスで目立つタイプでもない。
そんな坂木君と私が、並んでジュースを飲んでいる。妙な気分だった。



「吹奏楽部、今日で引退なんやろ?」
「あ、もう聞いたんや……うん、そう。今年こそ四国大会行きたかったんやけど、県大会止まりやった。……部長の力不足でさ」
「そがなことない」

突然硬い声に遮られ、わたしはびくりと顔をあげる。
そこには、怒ったような顔があった。

「みょうじが部活を頑張っちょったのは、みんな知っちょる。県大会、銀賞やろう?立派ちや」

木訥な人だと思っていた。実際そうなのだろう。
そんな彼の力強い言葉に、じんわりと目頭が熱くなった。涙をこぼしそうになり、慌てて顔を膝に埋める。プリーツスカートに熱いものが滲んだ。

私は今日、初めて泣いたのだ。
コンクールの表彰式、ステージの上で銀賞の賞状を受け取った時も泣かなかったのに。みんながわんわん泣いていた帰路のバスでも、泣かなかったのに。

「頑張っちょった」。その言葉が、思いがけず胸に刺さった。
頑張るのは当たり前、部長という立場を与えられれば尚更だ。坂木君だって剣道部の主将だからきっとそうなのだろう。それに部活以外の場面でも、彼はいつもやるべきことを黙々とやっている。坂木君こそ、頑張っている人だ。
その坂木君に、私の頑張りが認められた。
なんだか全部が報われたような気になった。涙が勝手に溢れて、抑えられない。

彼に泣き顔を見せるのは抵抗があり、私はずっと顔をスカートに埋めたままでいた。すると、隣の空気がふっと柔らかくなる。
次の瞬間、頭にポンと掌の感触が来た。

「暗うならんうちに、早う帰れよ」

私の頭に触れた彼のぬくもりは、ほんの一瞬で散る。次に私が顔を上げた時には、もう坂木君の後ろ姿しか見えなかった。
袴姿の彼の残した、剣道部特有の汗臭さがふんわりと漂っていた。



その日を境に、私達は少し近くなった。
時々メッセージアプリでやりとりしたり、図書館で鉢合わせれば隣同士に座ったり、時間が合えば一緒に帰ることもあった。ほとんど異性と話してこなかった坂木君と私との組み合わせを、クラスメート達は大いに珍しがった。だが私達の間に色っぽい空気が全くなかったこともあり、交際しているとは思われなかったらしい。
事実、交際はしていない。昔も、今も。
私にとって坂木君は、数少ない異性の友人だった。彼が防大に、私が横浜の大学に進学してからも、それは変わらなかった。



私達の関係がまた少し変わったのは、二人が神奈川へ出てきて1年半経った頃。2年の秋だった。
私は大学へ通えなくなった。

どれが原因だと言い切れるものではない。これが決定打だと言えるものもない。ただ当時、私の心はひどく色んなことに抉られたのだ。
例えば、尊敬していたゼミの先輩が、自分の恋人に暴行をして逮捕されたこと。例えば、アルバイト先でレジ金が合わないことが多発し、横領を疑われたこと。例えば、所属していたサークル内でいじめがあったらしく、自分が知らないうちに後輩の女の子が学校を辞めていたこと。
そういったできごとを雑音と一蹴できれば良かったのかもしれないが、私にはできなかった。当時の自分にとっては、どれもショッキングで辛いことだった。

それでも私は頑張らなくちゃいけない。せっかく合格した大学だ。入学金や授業料だって、安いものじゃない。こんなことは乗り越えてみせる。そう心に誓った。
私は変わらずゼミに行ったし、課題も熱心に取り組んだ。バイト先でも疑いが晴れるよう、言葉でも態度でも尽くした。サークルでも、いじめの加害者は退部したが、残されたメンバーの空気を再び暖めようと心を砕いた。

だがある日、突然起きられなくなってしまったのだ。
頑張らなきゃ。頑張らないと。そう思っているのに身体が動かない。
私はその日初めて、学校とバイトを無断で休んだ。
一度休んだら糸が切れた。もう、大学へもバイトへも行くことはできなかった。



しばらくして、高知の両親が横浜へ来た。
大学の退学手続きとバイトの退職手続きをするためである。この頃には、自分で諸手続をできるような気力は既になかった。
両親は、心を病んだ娘を真に心配してくれた。自分たちの目が届く実家に戻ってくるよう諭され、だが私は拒否をした。
田舎は狭い。私が帰れば「みょうじさんちの娘さんはせっかく入った横浜の大学をドロップアウトした」と噂が広がるだろう、間違いなく。それでも事実が広まるのならまだ良いが、根も葉もない尾ひれがつくに決まっている。田舎とは、そういうところなのだ。
他人に面白おかしく消費されるのは、今の私には耐えられない。そう訴えると、両親は納得してくれた。
合い鍵を親に持たせること、私に近況報告を義務づけることを条件に、両親は高知へと帰っていった。

私が実家へ帰らなくても、噂はどこかから広がったのだろう。やがて、同級生だった子達からご機嫌伺いのようなメッセージが次々に届くようになった。
私はその全てに、当たり障りのない返事をした。途中からは面倒くさくなって既読スルーをしていた。そんなことばかりしていると、当然だが、徐々にメッセージは来なくなる。

メッセージの波が止んでしばらくしてから、乗り遅れたように一通だけメッセージが来た。
坂木君からだった。防大にいる坂木君には、噂話や情報が一拍送れて届いているのだろう。
メッセージはとても短い。「お前、最近元気か?」、それだけだった。
他の友人には頑なだった私が、なぜか坂木君には正直になれた。
今までのできごとをありのままメッセージアプリにぶちまけると、次の週末、坂木君は私のアパートにやってきた。

その日以来だ。彼が、週末に時々私のアパートを訪れるようになったのは。
彼が初めて私のアパートを訪れた日。あの日の彼の険しい顔が、今もずっと忘れられずにいる。




   

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