「月が綺麗ですね」と言ってみた





02 千葉周一



 ショッピングと夕食を終え屋外に出ると、とっぷりと日が暮れていた。
 時刻は二十時。今出てきた赤レンガ倉庫を外側から眺めれば、幻想的にライトアップされている。

 千葉くんとこんなにゆっくりとデートできたのは久しぶりだった。いつも剣道部がどうとか部屋会がどうとかで、なかなか会えない。
 彼の環境が特殊だというのは理解しているけれど、会えないのはやっぱり寂しい。今日は長い時間千葉くんと一緒にいられて嬉しかった。

 だがそれももう終わりだ。
 彼には点呼という、何よりも優先しなくてはならない任務がある。
 私と点呼を天秤に掛けたら、天秤は揺れることもなくコンマ一秒で決着がついてしまうだろう。
 ため息を一つ吐いて、夜空を仰いだ。



 空はよく晴れていた。無数の星が瞬き、そして星々の真ん中には満月がある。
 白く丸い光は、濃紺の空に柔らかく、だがくっきりと浮かんでいた。

「ああ……月、綺麗だね……」

 あまりに立派な満月に思わず感嘆の息を吐くと、隣の千葉くんも空を見上げる。
 そのまま二人で石畳の上に立ち竦み、しばらく満月を眺めていた。



「死んでもいいぞ」

 突然、千葉くんが低い声を出す。
 物騒な単語に驚き彼を見やれば、満月を見上げていたはずの彼はいつの間にか私を見下ろしていた。

「な、何? 突然」
「だから。死んでもいいぞ」

 二回言われて、ようやく気がついた。千葉くんの言葉が、「月が綺麗ですね」に対する返答、「死んでもいいわ」であることに。

「ち、がう! 違う、そういう意味で言ったんじゃなくて! ただ本当に綺麗だと思ったから……」
「そうなのか? 俺はてっきり熱烈に愛を告げられたのかと」

 涼しい顔でしゃあしゃあと言う彼に対し、私の顔にはかあっと熱が籠もった。



 千葉くんの「死んでもいいわ」は型どおりで、あっさりしていて、「月が綺麗ですね」と言われたことに対する義務みたいな返答だったのに。
 いつもそう。千葉くんは、私が彼を好きだと信じて疑わない。
 でも私には、疑わないことなんてできない。
 だって千葉くんには、私よりも大切なものがたくさんある。部活とか、部屋っ子とか、点呼とか。
 こんなの、まるで私だけが好きみたいで。



「いいじゃねーか、どっちの意味でも」

 私を向いていた視線がふいと再び夜空へと向く。憤る私のことなんて歯牙にも掛けずに。
 千葉くんは私の憤懣とか羞恥とかの一切を無視して、穏やかな声を出した。

「俺はお前の言葉を、俺の都合の良いように受け取って、それで答えた。ダメか?」

 切れ長の目が振り返る。
 まっすぐに私を射貫く、冷たくて、熱い視線。

「……別に、ダメじゃない」
「そうか」

 そう言うと、千葉くんは私の手をぎゅっと握り、ずんずんと歩き始めた。
 自分のコンパスが私よりもだいぶ長いことを知っているくせに、歩幅に容赦がない。仕方ない、彼には私より大事な点呼があるのだから。

 それでも、繋いだこの手は温かい。
 次にこの手に触れられるのはいつになるだろう。



上を見上げると、静かな満月が私達をそっと照らしていた。



Fin.




   

目次へ

あおざくらのお話一覧へ




- ナノ -