「月が綺麗ですね」と言ってみた
01 坂木龍也
平日にスマホをチェックするのは、大体就寝後のベッドの中だ。
今日はメッセージが数通来ていて、その中に彼女のものもあった。
彼女からは数日に一回メッセージが届く。内容はたわいない日常のあれこれが多い。
一般大で学ぶ彼女から届くメッセージはどこか長閑で、読めばピリピリとささくれ立った心が凪いでいくような、そういうところがある。
だが今日は違った。メッセージを読んで、重くなりかけていた俺の瞼がカッと開く。
『今日は月がとても綺麗ですね。写真送ります』
二文のメッセージと満月の写真。それだけだった。
いつもは、ゼミの先生がどうだとか、バイトでこんなことがあっただとか、そういうことが長々と綴られているのに。
こんなに短くて抽象的なメッセージは初めてだ。
『月が綺麗ですね』
……どっちの意味だろうか。
言葉通りの、ただ月が綺麗だという事実の共有なのだろうか、それとも。
そもそも「月が綺麗ですね」に愛の告白の意味があるということは、世間一般で周知されているのだろうか? いわゆる「常識」なのだろうか?
俺が高校を卒業して入った世界は、一般的とは言い難い世界だ。彼女が身を置く世界の「常識」と俺の世界の「常識」が、微妙にずれていることはなんとなく理解していた。
彼女は「月が綺麗ですね」の意味を知っているのだろうか。
あいつは経済学部だ……微妙じゃねえか。文系っちゃ文系だけれども……これが文学部なら「知っている」と判断するんだがな。
そういえば俺は、あいつが普段どんな本を読んでいるのかも知らねえな。あいつが漱石の逸話を知ってるかどうかの判断なんてつくはずもない。
もうずっと会えていないし、会えたとしてもほんの短時間だ。
忙しさにかまけて、随分と寂しい思いをさせているのだろう。
長いこと、どう返信したものかと懊悩していた。
だが、考えて抜いてスマホに打ち込んだメッセージは、短かった。
あいつの「月が綺麗ですね」がどっちの意味でも構わない。俺は俺の想いを返信すれば良いじゃねえか。
悩み始めて一時間近く経った頃、やっとそう気がついたのだ。
『俺も月が綺麗だと思う』
その一言だけを送信し、すっかり暑くなった布団の中から腕と足先を出す。
素直な気持ちを伝えるのは存外疲弊する。心地よい疲労感に、今日はぐっすり眠れそうだと思った。
Fin.