先生が先生を卒業する話





06




だが、その会話をぴしゃりと遮ったのはクルーウェル先生だった。

「父さん、やめてくれ。俺が今日ユウを紹介するのは、職を斡旋して欲しいからじゃない」

先生の声は硬い。
お父様はギロリと先生を向き、二人の視線はバチリと衝突した。

「サリーさんから色々聞いた。せっかく賢者の島まで行かれたというのに、わずか一晩で追い返すとはな。申し訳なくてサリーさんには合わせる顔がない。
お前、サリーさんとは結婚しないと?」
「そうです」
「そこの魔法も使えない、出自もはっきりしない、ちんちくりんの小枝のように細い彼女と一緒になるというのか?」
「ユウを侮辱することは許さない。いくら父さんでも」

私は混乱していた。
先生とお父様はずっと睨み合っているし、二人とも威圧感が溢れすぎている。お母様はティーカップを持ちながら背筋を伸ばし、ソファに優雅に座ったまま一言も喋らない。
私はただオロオロと、先生の顔とお父様の顔とお母様の顔を順に見ることしかできなかった。

「デイヴィス、気を確かにしろ。その子はクルーウェル家に相応しくない。わかるだろう。
それだけじゃない。異世界から来たというその子が、いつか元の世界に戻ると言ったらどうするんだ? 子供は? 世継ぎはどうする」

先生のお父様の発言は、ぐさりと私の胸を突き刺した。
そんなことは百も承知である。やっと先生を諦める決心をしたところなのだ、傷口に塩を塗らないでいただきたい。

「お前があのナイトレイブンカレッジの教師だということは、私も鼻が高い。職務に誠実なのも素晴らしいと思う。
だが、元生徒を見捨てられないが為に自らの人生を棒に振るのか?
教師は寮生活を送る生徒達の親代わり、それはそうだろう。だが彼女はもう違う。お前の生徒じゃない。わかるな」

そこまで言って、お父様はもう一度タバコを深く吸い込んで、吐いた。
煙とタバコの匂いと共に、嫌な沈黙が部屋の中に充満する。

居たたまれない私はただただ俯くしかなかった。
先生と気持ちが通じ合えているかもしれないなんて、そんなことを一瞬でも考えた過去の自分を脳内で踏みつける。



「ユウ」

重苦しい沈黙を破ったのは、先生の声だった。

先生はソファから立ち上がる。
そのまま長い脚を折りたたむと、ソファに座っている私の前に片膝をつき跪いた。
赤いグローブを外すと、真っ白な両の手で私の右手を取る。
まるで王子様の求婚みたいなポーズに、私はギョッと目を見開いた。そうだ、こんな格好をするのはおとぎ話の王子様ぐらいのものだろう。
ちらりとみると、お父様もお母様も顔が強張っている。

「ユウ。もう一度聞こう。
お前が元生徒だから見捨てられなくて世話をしていると。お前は本当にそう思っているのか?」



私の目の前に跪いた、美しい男。
皮肉っぽく口角を上げ、まるで私を試すかのような、意地悪い笑顔。

「……っ」

声が、出ない。胸が一杯で涙が止めどなく溢れる。
嗚咽を殺すので精一杯だ。



「それは違うぞ、Bad girl. お前のことが愛しくて愛しくて仕方ないから、そばに置きたいんじゃないか。生徒なんかじゃない。もうずっと前からな」

諭すような声だった。

例えば実験で失敗した生徒がいた時。不注意で生徒自身と周りの生徒を危険に晒したことを大声で怒鳴ったあと、先生は必ずこんな穏やかな声で諭すのだ。
涙が止まらずぐしゃぐしゃの顔でしゃくり上げると、先生は意地悪な顔を引っ込め、優しく微笑んだ。

「愛している、ユウ」

先生が両手で包んでいる私の右手から、じんわりと熱が伝わる。



「……デイヴィス」

お父様は諫めるような渋い声で唸る。
刺さる視線をものともせず、先生は私の手を引いてスックと立ち上がった。そして、まるで教壇の前に立つ時のような朗々とした声を出す。

「改めまして紹介します。恋人のユウです」

ヒクリ、とお父様の口角が引き攣った。先生の良く通る声が早朝のリビングに響く。

「結婚を前提に交際して……もとい、たった今より交際を始めましたが、何分彼女はまだ若い。今すぐにでも俺のものにしたいのは山々ですが、彼女のタイミングを見ていずれは共に家庭を築こうと思います。どうぞよろしく」

先生は、教科書を読み上げているかのように声を張り、流暢に言葉を紡いだ。
私は涙も引っ込み唖然としていたが、最後にポンと背中を叩かれ、慌てて頭を深々と下げる。
数秒後恐る恐る頭を上げると、お父様の顔は強張ったままだった。

「デイヴィス……後々のことをよく考えるんだ。クルーウェル家を継ぐお前のためを思って言っている」
「後々のことは置いておいて、今彼女がいないと俺は耐えられない」

私の背中に手を当てたまま、先生はきっぱりとそう言い切った。
ジンと胸が熱くなる。

「もう行くよ、早朝に悪かった。ユウ、帰ろう」

先生は私の背をそっと押し、玄関へと促す。
私は慌ててもう一度ぴょこりと頭を下げ、先生についてリビングを出た。お父様は最後まで私と目を合わせなかった。

リビングの入り口で、先生は座ったままのお父様に向かって声を掛ける。

「すぐに理解してもらえるとは思っていない。でも俺には彼女が必要で、それは揺るぎない事実だ。
父さん、身体に気をつけて。また来る」

やはり、返事はもらえなかった。

お母様だけは立ち上がってリビングを出てくれた。
「気をつけて」も「また来てね」もないまま、それでも私達を玄関で見送ってくださる。

「母さん、驚かせただろう。すまなかった。外は寒いからここで良い」

寡黙なお母様は、ええ、とだけ言って頷く。

結局お母様は最初の挨拶以外、ほとんど喋られなかった。きっといつも旦那様を立てていらっしゃるのだろうか。とにかく私のことは、良くは思われていないだろう。
そんなことを考えていると、突然お母様は私に向かって声を出す。

「ユウさん」
「は、はい」

お母様の凜とした声に対し、私の声は裏返りそうな情けないものだった。
何を言われるのかとビクビクしていると、お母様は端的に要点だけを私に告げる。

「辛いことや困ったことがあったらすぐにデイヴィスに相談なさい。デイヴィスで解決しなければ私に相談なさい。悪いようにはしません」

笑顔ではなかった。
硬く、だが澄んだ凜々しい声。

サリーさんのように歓迎はしてもらえていないのだろう。
だが、私の大好きなクルーウェル先生のお母様だ。
さすれば、敵ではない。

「……はい!」

声と胸を張って返事をすれば、ほんの少しだけお母様の顔が穏やかになった気がした。



* * *



やっと家に帰ってきた時には、二人とも心身共に疲労困憊だった。
帰りの道中も口数は極端に少なかった。喋る気力が無かったのである、恐らく二人とも。

先生はコートも脱がないままソファーにどかりと沈み込む。
こんな先生は珍しい。私のために無茶して頑張ってくれたことは、よくわかっている。

「先生、お茶淹れますね。コーヒーじゃない方がいいですよね、何かノンカフェインのお茶……」
「そんなの良いから、こっちへ来い仔犬」

湯を沸かそうとキッチンに立ったが、ソファの上から先生に指でくいくいと呼ばれた。
結局仔犬呼びに戻っているな、と苦笑してしまう。

「座れ」

ソファの隣をポンと叩かれて、私は素直にそこに座る。
座った途端に抱きすくめられた。身長が一八三センチメートルもある先生が小柄な私を抱きしめれば、私の身体は先生のコートに包まれてしまう。

「……おかえり、ユウ」

ぎゅう、ときつく抱きしめられる。
窒息しそうな程の愛情を感じた。

これからも帰ってきて良いのだ、この家に。

「先生、先生は……私の気持ちをずっとわかっていたんでしょう」
「そりゃそうだ」
「じゃあどうしてすぐに応えてくれなかったんですか?」
「お前生徒だったじゃないか。教師が生徒に手を出すなどあり得ないだろう」
「……元生徒になってからは? 一年以上経ちましたけど」
「……」

先生は質問には答えない。代わりに口から出たのは長いため息だ。
吐息の音が途切れると、ハッと自嘲めいた笑いがこぼれた。

「まあ……仔犬にこんな風に絆されるなんて、この俺も全く想定していなかったわけだが」

そう言って瞼を閉じ、左手で目頭を摘まむ。
瞼を開けた先生は、いたく真面目な顔で私を見つめた。

「お前の存在の大きさに気づいたのは、一昨日だよ。サリーがこの家にやってきて、お前が家を出て行って、初めて気がついた」
「……えっ!? お、一昨日!?」
「お前のことはずっと特別だったが、それを自覚したのは間違いなく一昨日だな」

五年も前に気持ちを伝えていたというのに。
忙しい大人は意外と、自分のことには鈍感なのかもしれない。



「五年か……長いな。待たせて悪かった、ユウ」

白い指先が、私の頬をそっとなぞる。

待った。確かに待った。
初めて先生を好きだと自覚したのが、十六歳だ。四年間の学園生活を終え、卒業後更に一年以上経って、やっと実った私の恋。



「先生、確かに待ちましたけど……私平気でした」
「え?」
「元々、報われると思っていたわけじゃありませんでしたから。
報われようが、報われまいが、私はただずっと先生を好きなだけです」

たくさん泣いてぶよぶよに腫れた瞼。化粧も落とさず一晩明かし、その上寝不足でボロボロの肌。
だがきっと私は今、人生で一番良い笑顔をしている。



「五年? 全然大したことありません。
人生八十年として……私、あと六十年近くクルーウェル先生に片想いする覚悟だったんですから!」

私の満面の笑みに、先生はフハッと声を上げて破顔した。





【クルーウェル先生と従順な仔犬の話 Fin.】




   

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