仔犬がネックレスをなくす話





01




四年前、魔法が使えないくせにナイトレイブンカレッジに入学した私。
なんと、四年間の課程を無事に修了してしまった。

四年前の入学式で初めて着た式典服。この服を着るのも今日が最後だ。
私は今日、ナイトレイブンカレッジを卒業する。



「駄犬、猛犬、狂犬……躾け直しが必要なBad boy共が本当に多いクラスだった。
お前達が入学してきた時は一体全体どうなることかと思ったが」

はあ、と大げさなため息を吐くクルーウェル先生。

卒業式の今日、先生もいつもよりドレスアップしている。
今日はトレードマークの毛皮のコートも着ておらず、フォーマルなブラックスーツだ。ポケットチーフを胸に差し込んだ先生はいつも以上にかっこいい。

クルーウェル先生は、一学年時からずっと私達の担任だった。
魔法が使えない私に、人間ですらないグリム、入学早々十億マドルのシャンデリアを壊したエースにデュース。それ以外にも問題児ばかりで、担任教師としてはさぞ骨が折れたことだろう。
それでも、先生は私達を誰一人脱落させることなく、今日まで導いてくれた。

「お前らは今や立派な仔犬になった。それもこれも俺の指導の賜物なわけだが」
「ってやっぱ『仔犬』なのかよ!? 今日で卒業なんだから、せめて成犬で良くねえ?」

教壇の前でふんと鼻を鳴らす先生に、エースが声をひっくり返してツッコむ。
ハハハと教室中から笑い声が上がり、だがしかしエースの口調もクラスメイト達の笑い声も、照れ隠しであることを私は知っていた。
クラス全員、今日まで私達を導いてくれたクルーウェル先生に感謝している。

「成犬? 笑わせるな。仔犬だ仔犬だお前らなど。
お前らはまだまだ魔法士としてひよっこだろう。……だが、まあ」

ふっ、と先生が笑った。クラス中がその笑顔に目を見張る。
教壇の前の先生はいつも、眉間に皺を寄せているか皮肉っぽく笑うか、そんな顔だった。
この教室で、先生が心からの優しい笑顔を見せてくれたのは、初めてだったのだ。

「骨のあるひよっこには育て上げたつもりだ。お前らならどこへ行っても大丈夫だ、進学する者も、就職する者も。
胸を張れ、お前らは俺の自慢の仔犬だ」

先生の言葉に、数人かは涙していた。デュースなんかはグスグスと鼻を鳴らしていたし、エースのほうは泣くまいと歯を食いしばっている。
グリムを見れば目尻に涙を溜めているから、私はそっと拭ってやった。するとグリムは私に擦り寄ってきたので、机上で優しく抱きしめる。
二人で一つだった私達。グリムとも今日でお別れだ。

ホームルーム終了のチャイムと共に、四年間の学園生活が終わりを告げた。



* * *



卒業式終了後のパーティーで、私は皆に女性であることを告白することにした。
教職員の一部と、エースとデュース、そしてグリム以外の前では、この四年間ずっと男性として振る舞っていた。
だが今後は、四年間という区切られた期間ではなく、元の世界に帰る方法が見つからない限り半永久的にこの社会で生きていくのだ。
ずっと性別を偽り続けるのは無理だろうという学園長とクルーウェル先生の助言もあり、私は意を決して真実を告白したのだ。
だが。

「えっ……ユウ君が女の子って……知っていた……よ?」
「……悪い、知っていた。何やらワケありっぽかったから、触れないでいたんだが」

エペルとジャックに言われ、ぽかんと口を開けてしまう。エースとデュースは気まずそうに顔を見合わせた。

「その程度の演技で僕を騙せていたと思っていたのか!! 思い上がりも甚だしいぞ、人間!!」

セベクにまで言われ、私の四年間の努力はいったいなんだったのかと白目を剥いた次第である。

とにかく、友人達は私の正体に気づいていながらも、事を荒立てないように見て見ぬ振りをしていてくれたというわけだ。
友情とは斯くもありがたいものである。
何はともあれ、私はこの世界でやっとこさ女性デビューを果たしたのだ。



卒業式の翌日、私はオンボロ寮を退寮した。今日からはクルーウェル先生の助手兼家政婦として、先生の家に住み込みで働くのだ。

「ここがお前の部屋だ」
「わあ、広い……」
「好きに使え」

クルーウェル先生の家は、学園内の端にある教職員寮の一室だ。4LDKもあるものだから、独身の先生は部屋を余らせていたらしい。卒業してオンボロ寮を出なくてはいけない私を住み込みで雇うことで、住環境まで世話してくれたというわけである。
案内された私の部屋には、ベッド、机、小さなチェストと家具が一通り揃えられていた。

先生は、私が憐れだから雇うわけではない、私自身を買っている、と言ってくれた。
それでもやっぱり、卒業後の衣食住に不安を抱いていた私を心配して雇用してくれたのだと思っている。先生には感謝しかない。

「仔犬、こちらへ来い」

オンボロ寮から持ち込んだ少ない荷物を私室へ置くと、先生は私をリビングのソファへと呼んだ。私は言われた通りにソファへ腰掛ける。
先生は、卒業式で着ていたブラックスーツのジャケットを脱ぎ、ネクタイも緩め、それらをまとめてリビングの端に立っているポールに引っ掛けた。その一挙一動に色気がありすぎて、ついまじまじと見つめてしまう。
私の視線に気がついたのか、先生は口の端をほんの僅かに上げながら、ソファに座る私の目の前に立った。



最初にこの家に来たのは三年前、私がまだ一年生の時だった。

魔法薬学の補習中、事故により私は「自分の気持ちに正直にならざるを得ない薬」を被ってしまった。
当時から先生へ恋心を抱いていた私はあろうことか本人の前でその想いをぶちまけ、まあなんだかんだあって先生はこの家に私を泊めてくれたのである。
黙っているつもりだった自分の恋心を図らずも本人の前で披露することになり、その時の私はだいぶ落ち込んだものだったが、居た堪れなくなっていた私に先生は言ってくれたのだ。

「この由緒正しい学園に恥じぬよう、卒業まで励め」
「そうすれば褒美をやらんでもない」

私はあの日以来、一度も先生に恋心を伝えてはいない。
ただ、卒業する今日までずっと一生懸命、真面目に、言いつけ通り励んできたつもりだ。

もちろんあの事故がなかったとしても、先生が何も言わなかったとしても、ナイトレイブンカレッジでの生活は楽しかったしきっと卒業できただろうとも思う。
だが、私にも辛い時、苦しい時、寂しい時があった。
そんな時には先生がいつかご褒美をくれるかもしれないと思えば、それは確かに私を支え、奮い立たせてくれたのである。



「仔犬、お前が初めてこの家に来た時のことを覚えているか」
「……はい、覚えています」
「俺は、卒業まで励めば褒美をやると言ったな」

初めてこの家に来た日のことなんて、忘れられるわけがない。多分一生忘れられないだろう。
クルーウェル先生は立ったまま、ソファに座る私を見下ろしている。私は先生を見上げ、黙っていた。顔が期待で歪んでしまいそうで必死に堪える。

「褒美だ」

先生がポケットに片手を突っ込み、そして私の目の前にぶら下げたのは、紺色をしたベルベットの小袋だった。

「……これは……」
「お前にやろう。開けて良いぞ」

ベルベットの袋を見た瞬間、私は喜びと落胆が丁度半々ずつぐにゃりと混じり合った。
袋には有名アクセサリーブランドのロゴが金色で印字されている。この中には貴金属……アクセサリーが入っていると一目でわかった。

もちろん、嬉しい。先生が私にアクセサリーを買ってくれたのだ。嬉しいに決まっている。
だが浅はかな私は、三年前のあの日「褒美」と聞いた時に、もしかしたら先生は私の気持ちに応えてくれるのではないかと期待してしまっていた。
つまり私の恋心を受け止め、恋人にしてくれるのではないかと。
それは私の勝手な早とちりだ。どう思い出してみても、「褒美」と言われただけで「恋人にしてやる」とかそんなことは一度も言われていない。

「……ありがとうございます」

勘違いをしていた恥ずかしい思考を悟られないよう、私は満面の笑みで袋を受け取った。
中を開けると、華奢なシルバーのネックレスが出てきた。
美しいチェーンに思わず、わあ、と感嘆が漏れる。嫋やかなチェーンの先のトップは、ティアドロップモチーフの中に大粒のダイヤが一つ埋め込まれていた。

……んん? ダイヤ?

「……ひぃっ、ダイヤ!?」

ダイヤモンド!! 触ったことのない高価な代物に、思わず喉の奥から変な声が出る。

「なんだ仔犬、ダイヤは好かないか」

腕組みをして面白くなさそうに言う先生に、私は咄嗟に噛みついた。

「ちち違います!! だっ、ダイヤなんて……高価な物!! 私には分不相応です……受け取れません!」

私はつい昨日まで高校生だったのだ。
この世界に飛ばされてきた当時は十六歳だったし、在学中はずっと金欠気味で慎ましく暮らしてきた身である。グリムがツナ缶を浪費すればたちまち電卓を叩いて切り詰めなければいけないくらいには、質素な生活を送っていたのだ。
学園内には王子がいたり富豪がいたりしたが、私は紛うことなき一般庶民だ。この世界でも、元の世界でも。
今までダイヤを身につけることなどなかったし、私にはきっと似合わない。

「高価……? まあ良い。俺が自らお前のために選んだんだ、文句は言わせん。ほら、後ろを向け」

しっしっとまるで虫でも追い払うかのように手を振られ、背を向けるように促される。
こんな本格的なアクセサリーを身につけるのは初めてだ。
ネックレスをつけようとする先生のひんやりした指先が私の項を何度か掠め、その度に私の心臓は跳ねた。

「どうだ、仔犬。見てみろ」

ポンと小気味良い音と共に、手の中に降って湧いた手鏡。先生が魔法で取り出したものだ。
私は恐る恐る鏡を覗き込む。

似合わないのではないかと心配した分不相応なネックレス。
それは思いの外、私の首元にしっくりと収まっていた。
付け心地も悪くない、寧ろ良い。まるであるべき場所に収まったかのような心地良さだ。

「ふん、やはり似合うじゃないか。俺が選んだだけのことはあるな」

満足気な先生の声。初めて身につける煌めきに私の鼓動は速くなった。
高鳴る胸を押さえ、先生を振り向く。

「でも、あの、こんなに高価な物……本当に良いんですか?」
「もちろんだ、お前のために用意した。
お前ももう高校生じゃない。一端の社会人になるのだから、良い物を身につけることを徐々に覚えると良い。それに、お前は俺の言いつけ通りに卒業まで真面目に励んだからな」

先生の美しい顔が、ニヤリと意地悪く笑った。

「これからも俺の言いつけ通りに真面目に励めよ、仔犬。
なんせ俺はお前の雇用主なのだからな」
「……へ?」

卒業したところで相変わらずの犬扱いに間抜けな返事をすれば、白い手が私の頭をぐしゃぐしゃとかき乱す。

「言うことを聞くGood girlには、また褒美をやらんでもない」

先生は私の髪を乱すだけ乱すと、書斎へと入っていった。



また褒美をやらんでもないとは、……私はニンジンで釣られている馬か何かだろうか?
うーんと考え込んだが、止めた。
先生の言うとおり、先生は雇用主で私は従業員だ。素直に言うことを聞こう。

先生が言うならば、真面目に励めというならば。馬車馬にだってなってやろうじゃないか。
そう思えるくらい私は先生のことを信頼しているし、信用していた。恋心と、それに確かに紐付いている尊敬がある。
……馬車馬じゃなくて、差し詰め馬車犬といったところか?

「……ワン!」

先生のいる書斎のドアへ向かって、小声で吠えてみる。
先生には聞こえていないだろうが、服従を意味する鳴き声は、自分を満足させた。
服従できるほど信頼に足る人がいることは、幸せだ。

先生にとって一番の犬になりたい。
私は、割と本気でそう思っている。




   

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