先生と仔犬の契約の話





01




ナイトレイブンカレッジへ入学したのが、ついこの間だと思っていたのだが。
仲良くしていた先輩方も次々と卒業し、いつの間にか私は元の世界へ帰る手段がわからないまま四年生となっていた。
進路希望調査用紙に「就職」と書いたのは、一年前――三年の終わりのことだったか。季節は既に春、六月の卒業が間もなく迫っている。



エースは一般大学への進学が決まっていた。先般、推薦入試で合格したところである。

「俺、楽できるとこはしたいタイプなんだよね〜」

ニッカリと笑って言っていたが、そんなことは明言されなくても知っている。
だが筆記試験がなくとも面接はあったし、その練習をしていたのも知っている。それに推薦入試で受かるだけの成績をなんとか保っていたのだから、エースは人知れず努力していたのだろう。彼のキャラクター上自分からそんなことはあまり言わないけれど。
私達の中で一番に進学先を決めたエースを、デュースとグリムと一緒に手を叩いて祝福した。

デュースは、警察学校の一次試験をなんとかパスしたところだ。
今は二次試験に向けて準備中だが、二次試験は身体検査や体力検査が主な試験項目であるため、彼ならば恐らく問題ないだろう。

びっくりなのはグリムである。
大魔法士になるという夢を叶えるためにどうするのだろうと思っていたら、とある奇特な魔法士の門下生として弟子入りすることが決まった。厳密に言えば「進学」ではないが、丁稚奉公ということなのだろう。
相棒の進路決定は純粋に嬉しかったし、行動を起こしたグリムを尊敬もしている(後から調べて知ったことだが、その奇特な魔法士が無類の狸好きだということは、グリムには未だ言えずにいる)。

私自身について言えば、進学ではなく就職をしようと決めた。
誰にも相談せず、自分一人で決めた。

元の世界に帰れそうな気配は微塵も無い。
この世界で生きていくしかないのなら、私は自分の足で立たねばならなかった。

まだまだ親の臑を齧らせてもらって、キャッキャうふふと楽しいキャンパスライフを送ったりしたかったのが本音だ。きっと、元の世界であればそういう生活を送らせてもらっていただろう。
だが、身寄りのないこの世界では無理だ。腹を括れば新たな道も開けてくる。
それに、正直に――自らに真に正直になれば。
この世界を離れたくないという気持ちが日に日に膨らんでいる。

「マブ」と言える友人もできたし、魔法が日常に溶け込んでいる世界にもだいぶ慣れた(実は結構気に入ってもいる)。
学園では皆魔法が使えるけれど、この世界には魔法が使えない人間も一定数存在している。だから私だって普通に生きていけるはずだ。
この世界は最早私にとって「非日常」ではなく、「日常」となりつつあるのだ。

そしてもう一つ。そばを離れたくないなと思う人ができた。
もちろん友人達とだって離れたくはないけれど、それとは違う想いだ。
私はいつの間にか、特別に一人の人を想うようになっていた。

「卒業まで真面目に励め」
「そうすれば褒美をやらんでもない」

そう言って、私の手をとった先生。クルーウェル先生。
学園を卒業すれば、今のように毎日会えることもないだろう。もう担任教師ではなくなるのだから。
それでもせめて、世界線くらいは等しくいたい。明確にそう思っていた。



 * * *



就職というのは存外難しいものだと思い知った。ここ数か月、放課後は就職支援課に籠もりっきりである。
就職支援課を担うゴースト達から紹介される求人に片っ端から応募するが、届くのは不採用通知ばかり。卒業が間近だというのに、一つも内定が出ないのだ。
私は、今日も今日とて就職支援課のデスクで求人情報を睨み付けていた。

「監督生」
「わ! くる、クルーウェル先生」

突然後ろから、担任兼想い人の声が掛かる。慌てて顔を上げると、眉間に皺を寄せた先生の顔が近づいた。どぎまぎしてしまう。
先生はデスクの上の求人票を覗き込んだ。

「どこの企業だ?」
「こっちは大型スーパーの販売員で、こっちは医療機器メーカーの事務。
この間の面接、全部ダメだったので……職種をまた広げて探しているところです」
「……そうか」

クルーウェル先生は顎に右手をやり、ふむと少し考えるような仕草をすると、私の隣の椅子を引き腰掛けた。
机上の求人票を端へ退かし、白いメモ用紙に地図を書き始める。

「監督生、街の職業安定所へ行ってみるのも良いだろう。
ここナイトレイブンカレッジへ来る求人は当然だが、魔法士養成学校を卒業する者、つまり魔法が使える者であるということを大前提に採用しようとしているからな。外部の求人のほうが、お前にマッチするかもしれん」

そうか、考えてみればその通りである。納得すると、急に視界が開けたような気分になった。

「ありがとうございます先生! 早速週末に行ってきます」

従順な犬らしくお利口に返事をすれば、「励めよ」と私の頭をくしゃりといじり、去って行く。
私の短い髪の毛には先生の熱だけがじんじんと残っていた。



* * *



次の週末、早速職業安定所へ向かった。
結論から言って私の期待は打ち砕かれた。

「ナイトレイブンカレッジの学生さん? あそこ、男子校でしょ?」

そこから始まり私の身の上を説明するのに数十分。
魔法が使えないだけでなく、出自もはっきりしない私に紹介できる求人などないとのことだ。

「……」

職業安定所の入り口で立ち尽くす。
成果、ゼロ。はあと盛大な溜め息が勝手に口から出てしまった。
そのまま天を仰げば、私の心の内などガン無視した澄み切った青空だった。

卒業したとして、仕事が無ければ生きていくこともできない。
まさか学生でもないのに、学園に居座り衣食住を強請るわけにもいかないだろう。
とにかく仕事を見つけて自活しなければ、先生のいる世界線で生きていくことさえできないのだ。

「ねえ君、仕事探しているの?」

職業安定所の前で突っ立って天を仰いでいると、突然声を掛けられた。
振り返れば、見ず知らずの男性である。彼は私の肩に馴れ馴れしく手を置いた。

「良い仕事あるんだけど、興味ある?
魔法が使えない? 問題ないよ、接客業だから。君、顔可愛いしいけると思うな。
正社員……は難しいけど、時給は五千マドル保証するよ」
「五千マドル!?」

気になっていた男性の馴れ馴れしさなど吹っ飛んだ。時給五千マドル、それだけあれば衣食住を満たすには充分だろう。

「あ、もしかしてお金に困ってた? もし良ければすぐにでも体験入店できるけど。半日くらいどう? もちろん時給は発生するよ」

カラカラと笑いながら言う男性に、私は二つ返事で頷いた。



で、だ。今私は、人生最大のピンチに陥っている。

「いやいやいやいや無理無理無理無理」
「無理じゃないよ、ここまで来ておいて。半日分の給料前払いしたでしょ。制服似合ってるよ、じゃ頑張って」

私をここに連れてきた男は早口にそう言うと、個室にガチャリと鍵を掛けてしまった。

貸与された「制服」を着てみれば、チュールのベビードールだったのだ。私のしょぼいブラもショーツもバッチリ透けている。
自分の愚かさに気づくのが遅すぎた。「接客業」だなんて、時給につられてきちんと職務内容を聞き出さずにホイホイついてきた罰(ばち)が当たったのだ。

甘ったるい香りの個室は、一面淫靡なピンク色だ。
キングサイズのベッドが部屋の真ん中に鎮座し、風呂場も併設されている。ここが元の世界で言うところの性風俗店であることに思い至れば、青ざめるしかなかった。

「ごめんなさい! やっぱり帰ります! 帰して下さい! 給料はもちろんお返しします、仕事内容を知らなかったんです!」

ドンドンとドアを叩きながら外にいる男に訴えるも、返ってきた答えは大変にドライなものだった。

「大丈夫、穴さえあればできる仕事だよ。そういう怯えられるのが好きな客も多いからさ、うちとしてはすごく助かるから」
「あ、なっ……」

穴って、何の穴だ。ぶわりと冷や汗が噴き出す。
本当にまずい、とにかく私はここから逃げ出さなきゃいけない。

ドアは鍵が掛けられているし、外にはあの男や他にも店員がいるのだろう。
私はベビードールのまま部屋の窓を検分する。窓は全てはめ殺しで、割らない限り外に出られないものだった。仮に窓を割ったとしてここは五階だ、飛び降りることもできない。

助けを求めるしかない。私は震える手でバッグからスマホを引っ張り出した。
エース? デュース? グリム? ダメだ、こんなところに彼らを呼べない。危険すぎる。
警察……? いや、そもそも警察への番号も知らない。元の世界では一一〇番だったが、この世界のエマージェンシーコールなんて知らない!

一瞬頭を過ぎったクルーウェル先生の姿は、ぶんぶんと頭(かぶり)を振り思考の外へ追いやった。
こんなみっともないところ、一番見られたくない。

苦肉の策だったが、私は学園長のスマホにコールした。
たっぷり長く――十コールは待たされた後、「はい? 何ですか?」と迷惑そうに出た学園長に向かって叫ぶ。

「助けて下さい学園長!! 早くしないとお客さんが来ちゃう!!」

ぎゃんぎゃん喚いて事情を訴えると、学園長は心底煩わしそうに「はぁあああ」と長い溜め息を吐く。

「……そこで待っていなさい。今助けをやりますから」

そう言ってブツッと電話は切れた。

助けに来てくれる。そう思うとほんの少し安堵した。
胡散臭くて信用ならない学園長ではあるが、あれでも一流校の長なのだ。
とぼけたことばかり言っているが、本人も相当レベルの魔法士だと聞いたこともある。なんとかしてくれるだろう。

それにしても、早くしてくれないと本当にお客さんが来てしまう。
「穴」を使われてからでは遅いのだ。……自慢じゃないが、まだ一度も使ったことなんてないのだから。



ジッと待っていると、数分後、ドアの外でガタンガタンと物音がした。
剣呑な空気を感じ取る。

まさか客が来てしまったのだろうか。助けは間に合わなかったということだろうか。
私はぺたりと床に尻餅をつき、怯えてドアを見つめていた。
すると。



ドガッッ!!

見つめていたドアは吹っ飛ばされた。
真っ二つに割れた木の板がドカリと床に落ち、次いで蝶番がカランカランと音を立てる。

四角く開いた穴の向こう側で、長い片足がドアを蹴り飛ばした時の形のまま真っ直ぐ伸びている。
ゆっくりとその足が元に戻されると、私はへたり込んだまま彼を見た。

事態は大変よろしくない方向へ向いている。
私の顔は、ひくりと引き攣った。

上品な光沢の革靴、毛皮のコート、美しすぎる顔面。

「クルーウェル先生……」
「……」

先生は私のみっともない下着姿を見ると、彼もひくりと顔を引き攣らせた。
無言のまま、まるで汚物でも見るかのような目で私を見下ろす。



「ちょっとお客さーん? 困りますよ、器物そんかーい。弁償してくれるんだよな?」

騒ぎを聞きつけてやってきた、店員らしい男が柄の悪い口調で煽る。

「……ほう? 器物損壊? ろくに職種も説明しないまま性風俗店に未成年を押し込めておいて、どの口が?」

汚物を見るかのような視線は、私から店員へと移っていった。

「なんなら警察を呼ぶか? 嬢をこんなやり口でスカウトしているくらいだ、余罪がボロボロ出てくるだろうな?」

思い当たる節があったのだろう店員はぐっと押し黙る。
先生は私にばさりと自身の着ていた毛皮のコートを投げかけると、冷淡な声を更に冷たく、まるで氷点下のような声で言った。

「今日のことは何も無かったことにしろ。そうすれば警察には黙っておいてやる。金輪際、こいつに手を出すな」

言うやいなや、下品なベビードールの上に先生のコートを被った私を、まるで米袋でも抱えるかのように小脇に抱えた。
次の瞬間ブオンと耳の奥で音がする。空間が歪む。
ここでようやく、先生の魔法であの部屋から逃げ出したことを理解した。




   

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