第十章 鬼と当惑





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* * *



「あ、おかえりなまえ!」

下宿に戻ると、同期と四学年の先輩がテレビの前でくつろいでいた。もう一名四学年で一緒に下宿を借りている先輩がいるが、今日は不在のようである。

「ただいま」
「朝は晴れてたのにね。山、雨で大変だったでしょ」
「はい、下山途中に本降りになって。足場が悪くて転んじゃいました」

苦笑して言いながら、汚れたレインジャケットとレインパンツをビニール袋から出し、風呂場へ投げる。山を下りて傘が差せるようになったところで脱いできたのだ。泥がべっとりとついているからよく洗い流さないといけない。
本当は一人になりたかったけれど、数人で借りている下宿ではこういうこともままある。仕方のないことだ。

部屋着に着替え人心地ついたところで、同期が私を手招きで呼ぶ。

「ねえなまえも見ようよー、今始まったばかり」

彼女が弾んだ声で指差すのは、三十二インチのハイビジョンテレビだ。先輩の更にそのまた先輩から譲り受けたものらしい。もう何代目になるのかわからないが、まだまだ現役のテレビを私達もありがたく使わせてもらっている。
私は、テレビの前に並んで座る同期と先輩の少し後ろに横座りで座った。

『始まりました!お見合い大作戦、第三弾!自衛隊の花嫁スペシャル〜〜!』

CMが明けてパッとテレビ画面に映ったのは、男女二人の進行役だ。ハイテンションな声で番組の開始が高らかに告げられ、拍手のSE素材が画面を盛り上げる。

嘘でしょ。よりによってこのタイミングでこの番組か。
わー始まったと喜ぶ二人を尻目に、私は頬が引き攣りそうになるのを必死で押さえた。



『お見合い大作戦』は長年続いている人気番組で、いわゆる婚活番組だ。
年に数回特番として放送され、括りとしてはバラエティー番組になるのだろうか。嫁不足に悩む市町村の独身男性と、全国から応募で集めた独身女性をお見合いさせ、その一部始終を放送するという内容である。
時々、男性側の対象が「嫁不足に悩む市町村の男性」ではなく「嫁不足に悩む自衛官の男性」と代わって企画が組まれることがある。その場合は男性側メンバーを自衛官で揃えるのだ。題して「自衛隊の花嫁スペシャル」として、これまでにも二度放送されていた。
もちろん防大生や候補生はこのような番組には出ない。出ているのは皆部隊に配属されている現職だ。
この『お見合い大作戦』が単純に番組として面白いというのは大前提だが、身内の恋愛事情が知れるということもあり(身内と言っても皆会ったこともない人々だし部隊においては先輩なのだが)、過去二回の放送時には防大内でも大きな話題となった。

以前は、私も楽しんで見ていたのだ。
だが今はちょっと……なんというか、この番組を楽しめそうにない。テレビに食いつく二人の後ろで伏し目がちになってしまう。
それでも、テレビを視界から完全に外すことはできなかった。
やっぱりどこかで自分もこの番組に興味があるのだ。

テレビにかわるがわる映る男性達は皆制服を着ている。陸海空が混じり所属もバラバラのようだが、共通しているのは一つ。
彼らは全員、結婚相手を探している自衛官なのだ。



テレビの場面がパッと変わり、お見合いメンバーよりも一回り年上の中年男性が映った。
見れば陸自の三佐である。もちろん面識はないが、彼自身は結婚指輪もしていて既婚者のようだ。どうやら男性メンバーの世話役として宛がわれたらしい。
テレビの中の三佐は自衛隊と自衛官の紹介をしている。彼は恐らく広報官なのだろう。

『自衛隊の男性には、どんな女性が人気ですか?』

進行役の女性が三佐にマイクを向ける。三佐はいかにも広報官らしい柔和な笑顔で答えた。

『そうですね、やはり有事の際には家庭を預けることになるので、しっかり者の方が人気でしょうか。専業主婦の方も多いですが、お仕事をされている方だと看護師さんや保育士さんが多いかと思います』

へえーそうなんですねと進行役は頷き、番組は続いて女性メンバーの紹介に移っていった。

『今回も、日本各地から真剣に結婚したい女性ばかりが集まりました!自衛官に人気の看護師さん、保育士さんをはじめ、個性豊かなメンバーが揃い……』

画面の中で参加番号順にパッパッと移り変わっていく女性達。
皆華やかで、着飾っていた。鮮やかな化粧、整えられた髪の毛、磨かれたネイル。

なんだか、心がしんと冷えていくようだった。

「なんか実際部隊に入っても、看護師や保育士とは合コンも多いみたいよ」
「かーっ!うちらじゃ不服ってことですか!失礼な!」
「ま、私達はもっと階級のたっかーい男を探しましょ!防大出の新米幹部なんか目じゃないから!部隊に入ったらいくらでも探せるから!」

同期と先輩は、テレビに向かってキャハハと笑い合う。
彼女らの後ろで、私は取り繕った笑顔を浮かべていた。



* * *



「では今日はここまで」

防衛学の授業が終わると、さっきまで居眠りやら居眠りやら居眠りやらで静まりかえっていた教室とは打って変わり、俄に活気づく。今日の授業はこれで終了だ。
これから校友会だが、なんだか少し頭が痛かった。原因はわかっている。寝不足だ。
昨日は寝る時間が遅かった。寝る前にベッドの中でスマホを見てしまったのだ。

ベッドの中でのネットサーフィンはままあることだし、やっている者も多い。ソシャゲや電子漫画に夢中になる者もいる。
ネットサーフィンそれ自体は別にいいのだが、昨日は内容が良くなかった。

『看護師 なるには』
『保育士 転勤」
『専門学校 保育士』

つい、本当につい出来心で、検索窓に入力してしまったのだ。

一度入力してしまったらもう止まらなかった。
画面をタップして、スクロールして、タップして、スクロールして。右手の親指が勝手に動き、両目が勝手にブルーライトで満たされたディスプレイを追ってしまっていた。
情報を一つ取得してしまえば、あとは芋づる式に気になることが出てくる。翌日を考えれば眠らなきゃいけないと思うのに、指はどうしても止まらず、目はどんどんと冴えていった。

看護師を目指すのなら四年制大学か三年制の短大、もしくは専門学校へ入り直しだ。その後国家資格を受けることになる。
保育士ならば厚労省指定の大学、短大、専門学校に入るようだ。こちらは卒業と同時に無試験で保育士資格が与えられるらしい。
資格職だけあって、看護師も保育士も転職に有利だという強みがある。事実、自衛官の妻で看護師や保育士が多いのも、転勤ばかりの夫についていっても就職がしやすいという利点が大きいようだ。

看護師になりたいとか、保育士になりたいとか、本気で考えているわけじゃない。
ただ、どうしても考えずにはいられなかったのだ。



もし私が看護師なら、保育士なら、ずっと坂木さんの傍にいられるのだろうか。転勤ばかりの幹部自衛官の傍にもずっと一緒にいられるのだろうか。
いや、冷静になって考えれば。
看護師でなくても保育士でなくても、私が自衛官じゃなければそれで良いのではないだろうか。資格職でなくても民間企業に勤めていれば、いざという時に休みを取って家を守れる。
坂木二佐が言っていた通りなのだ。
幹部自衛官は数年ごとに転勤がある。揃って同じ基地に配属されることなんてほとんどないだろう。
結婚後なんて遙か先の話は取り敢えず置いておくにしても、今現在の状況だってそうだ。私が防大生じゃなければ、防大を辞めればそれで解決する話なのではないだろうか?
訓練課付の教官に、民間人の恋人がいる。なんの不思議も問題もない、至って普通のことじゃないか。




   

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