第一章 春の日の鬼





02




トントン、と115号室をノックすれば「入れ!」と中から坂木さんの声。

「入ります!」

結局何で呼び出されたのかわからないまま、私はドアを開けた。

「113小隊!みょうじ学生は!坂木さんに要件があって参り」
「おーう、みょうじぁ!」

他部屋への入室時には怒鳴るように発声するのがルールなのでそのようにしたが、それを穏やかな、しかし野太い声で遮られた。声の主は115号室のサブ部屋長、四学年西脇さんだ。
西脇さんはゴリラのような巨体を揺らしながらがっしと私の肩を組むと、耳元でぼそっと囁く。

「おいみょうじ、『お客様』ビビらせんじゃねえ。まだ入校式前だ」

はっと気づき、失礼しましたと私も小声で返した。

115号室には、新入生がなんと6名もいた。他の部屋同様、部屋の真ん中でお菓子やジュースを囲み談笑していたようである。
一学年6名の他は、四学年の坂木部屋長と西脇サブ長だけ。指導される一学年も大変だが、これは指導する側も大変だ。

「来たかみょうじ。ちょっと来い」

坂木さんは立ち上がると115号室から出ていく。私も慌てて後を追った。
どこか人目につかないところで指導されるのだろう。
なんたって、今日は新入生の着校一日目。どの部屋も廊下も、『お客様』だらけだ。



学生舎の端の端、人目につかない階段の下で坂木さんは止まった。
何が坂木さんの気に障って呼び出されたのか、未だにわからないままである。
だがまあ、ここまで来たらあとは怒られるのみだ。
私は俯きながら坂木さんの言葉を待った。

「みょうじぁ」
「はいっ!」
「今はでけえ声を出すんじゃねえ。『お客様』がびっくりすんだろうが」
「……は、はい」

怒るなら早くして欲しい。
理由がわからない呼び出しというのは結構なストレスなのだ。

「……みょうじよお」
「はい」
「……」

なんなの、早く言ってよ!
なんて言えはしないが、もどかしい気持ちでいっぱいになる。だが私は坂木さんの言葉を待つしかできない。

「……お前の……対番……」
「……は?」
「……対番……どうだ?」
「対番?岡上乙女学生のことですか?」
「……そうだ」

上対番として何か不出来な箇所があったのだろうか。
しかし必要なものは全て買い揃えてあげたつもりだし、なんていったってまだ初日だ。下対番の指導ができていないと怒られるのであれば、彼らの『お客様期間』が終わった入校式後のはずだが。

「ど、どうだと言いますと……」
「どうだって聞いてんだよ」

ぎろっと鋭い眼光で凄まれればもう恐れ慄くしかない。恐怖でひっという声が喉から飛び出しそうになったが、すんでのところで飲み込んだ。

「お、岡上学生は」

私が乾いた喉から絞り出した声を、坂木さんは一言も逃さないように鬼の形相で聞き耳を立てている。

「っ、う、受け答えも非常にはきはきとしっかりしていて、好感と期待の持てる学生です。
防大のこともよく勉強しているのか敬礼もできていましたし、対番制度も知っていたようです。
遠戚に防大出身の方がいらっしゃるようで、そのせいかと」

私は坂木さんの威圧と視線に耐えながら述べた。
言い終わると、鬼の顔から徐々に圧力が抜けていく。

「……そうか……」

坂木さんはそれだけ言うと視線をふっと横に逸らした。
左手を顎に添え、何やら思うところでもあるのだろうか。

「みょうじ、岡上学生のことよろしく頼むぞ。厳しく指導してやってくれ。
防大に向いていないようなら辞めさせても構わねえ」
「……は、はい……?」

坂木さんが言っている意味がよくわからないまま一先ず返事をする。

「もう行っていいぞ」

そう言われれば、失礼しますとその場を後にするしかなかった。

……で、結局私は何で呼び出されたのだろうか?
何を怒られるのかと思ったら、乙女ちゃんの話だけ?



その日はよくわからないまま、駆け足で自室に戻った。



* * *



まさか、新入生一人一人の様子を聞いて回っているわけではあるまい。
だって同部屋の舞子だって、私と同じように女学の新入生の上対番を務めているが、坂木さんに呼び出された様子はない。



なぜ坂木さんが乙女ちゃんの事だけを気にするのか、私にはわからなかった。
坂木さんはあれから毎日私を呼び出す。
人目につかないところに呼び出されては、尋ねてくるのはいつも乙女ちゃんのことだ。今日は何したんだ、とか、学用品は十分に買ってやったのか、とか。最後には何か困っていることはないか、問題は発生してないか、だなんて。

正直、面白くなかった。

乙女ちゃんは可愛い。内面も可愛いのだろうがそれは置いておいて、とにかく外見がかわいい。
はっきり言って一学年の女学の中ではバツグンに可愛いし、皆そう噂している。他大隊の男子からも一目置かれていると聞いた。

だからって、坂木さんが乙女ちゃんだけを特別扱いしているのは許せなかった。

坂木さんも人間だし男性だ。だから、可愛い女の子には甘くしたいとか、そういう気持ちだって生まれるのかもしれない。
でも坂木さんならそこを飲み込むと思っていた。
いつだって厳しくて、公正な坂木さんだから。女学を女性だと区別せずに平等に指導する坂木さんだから。
だから尊敬しているのに。

私は、坂木さんからの呼び出しが乙女ちゃんに関する事だと周囲には他言しなかった。彼の面子を考えれば、したくなかった。
だから他の人は坂木さんの特別扱いに気づいていないだろう。
特別扱いを知っている私だけが、腹の中の苛立ちを募らせていた。



4月1日から続く連日の呼び出しも4回目。入校式前日の夜。
私はとうとう不満を顔に出してしまった。

「なんだみょうじ、その顔」

坂木さんは私の不服そうな表情を見て、怪訝な声を出した。

上級生からの呼び出しに対して不満を露にするなんて未熟なことこの上ないが、未熟というなら特定の女子に対して特別扱いするこの人だって未熟だ。
どうせ不満気な顔を怒られるなら、言いたいことを言ったっていいじゃないか。
そもそもこの件について、私は悪いとは思えない。
理不尽に慣れるための理不尽かもしれないが、坂木さんが特定の女の子にデレデレしているのが理不尽なのであれば、慣れたくなかった。

「坂木さん、失礼ながら申し上げます」
「ああ?」
「特定の女学に対して、なぜそのように注意を払われるのですか?
岡上学生が可愛いからですか?」

坂木さんは驚いたのか瞠目したが、私はどうせ怒られるなら同じだとそのまま続ける。

「内恋(学生同士での恋愛)は禁止されております。
いえ、隠れて行う分には私は何も申し上げませんが、あからさまに一人の女学のみを特別扱いするのはどうかと思います」

言った。言い切った。
上級生、それも4学年に対して、思っていたことを言い切った。
私の心臓はばくばくと跳ねていた。

きっと雷が落ちる。
腕立てか、空気イスか。何でも来ればいい。
それでもきっと、言わないよりはスッキリしただろうから。

「……そうか……まあ、そうだな……」

私は気を付けの姿勢のまま怒号を待っていたが、坂木さんは怒鳴ることはせずにぼりぼりと後頭部を掻き始めた。

「そうか、そうだな」?
って……何?認めたってこと?
内恋を??
乙女ちゃんへの特別扱いを??

そう思い至ると、私は思いの外傷ついた。
傷ついた自分に驚いた。

私は一体、何に傷ついているのだろう。
乙女ちゃんへの感情を認めた坂木さんに?
他の男の子たちと同じく、可愛い女の子には特別扱いしちゃう坂木さんに?
勝手に坂木さんを尊敬して、その尊敬を踏みにじられたような気になって?

自身の傷つく理由は、思い当たるどれもこれもが、あまりにも身勝手だった。
私は坂木さんだけでなく、勝手に坂木さんを崇拝して勝手に撃沈した自分にも辟易とした。

「いや……みょうじ、悪かった」

止めてください。
素直に謝られたんじゃ、特別扱いが肯定されるじゃない。
何か、理由を言ってよ。
あなたにはあって欲しい。岡上学生だけを特別扱いしてしまう、正当な理由が。

「黙っていて欲しいんだが……岡上は俺の妹だ」

うん、妹。
……妹?

「……いもうとぉ!?」
「うるせえ声を落とせ!!」

坂木さんは私の頭をばしぃっと上から叩く。

「だ、え、苗字……坂木さんと岡上って……」
「親が離婚してる。俺は父親側、岡上は母親側だ」

特別扱いの理由は、まさに思いもよらぬことだった。
坂木さんは乙女ちゃんの兄で、乙女ちゃんは坂木さんの妹だって!?
鬼と美少女、全然似てないじゃないか。

……いや、違う。似ている。
あの目だ。
意志を持った目だけは、そっくりだ。

「すっ……すみません!私!勝手に勘違いして!」
「いや、俺が悪い。確かにわけも話さず誤解させたな。それに……他の一学年より気に掛けていたのは本当だから、特別扱いは否定できねえ」

坂木さんははぁとため息をつきながら、髪の毛をかき上げた。

「悪いが、黙っていてくれ。岡上が俺の妹だということは、教官と四学年しか知らねえんだ。
それこそ特別扱いしていると周りに思われたら、岡上の立場もなくなるだろう」
「は、はい……」

この人、鬼神だなんだと言われているけど……当たり前だが人の子なのだ。
そりゃ家族だっているし、妹だっているよな……。
私はなんだか、1人納得してしまった。

「悪かったな、不愉快な思いさせて。
だが直接岡上にベタベタ話しかければ、あいつが周囲から浮いちまうだろ。岡上にも、俺と兄妹であることは隠すように言っているんだ。
まあ……これからも、対番としての世話はしっかり頼む。あいつが防大に耐えられないと思ったら切ってもらって構わないが、そうでないなら最後まで面倒見てやってくれ」

坂木さんはそれだけ言うと、踵を返して去ろうとする。

「あ、あの!」

私は咄嗟に彼を呼び止めた。

「こちらこそ、失礼なことを申し上げました!すみません!
あの、もしよろしければいつでも岡上学生のことお聞きになってください!ちゃんと報告しますから!」

失礼を払拭したくて必死に言えば、坂木さんはふっと笑う。

「ああ、頼む。
そうだ……お前連絡先寄越せよ」

言うと、坂木さんはスマホを取り出した。
就寝前だった私もスマホは持っていたから、お互いにバーコードを読み取ってメッセージアプリの友達登録をする。

「最初からこうすれば良かったな」
「私、呼び出されるたびに今日は何したのかってヒヤヒヤしてました」

冗談めかして言えば「悪かったって」と坂木さんはコツンと拳で私の頭を小突いた。
今度こそ踵を返し、カツカツという足音をさせて、自室へ戻っていく。

今交換したばかりの、メッセージアプリのアカウント。坂木さんのアイコンは自らの後ろ姿、しかも筋骨隆々の上半身裸だった。
こんなの誰が撮ったんだろう、部屋の人間同士で撮りあったんだろうかと思い至り、私は鬼のお茶目な一面にぷっと吹き出してしまった。




   

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