第四章 手つなぎ鬼
【ご注意】
犯罪行為及びそれに伴う警察での描写があります。
現実と異なる部分もあるかと思いますがご了承下さい。
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01
「どうでしたか」
「駄目でした」
「無念」
日差しがきつい夏の昼下がり。
私と、幼なじみで親友の麻耶は、チェーンのカフェで顔を見合わせ笑った。
おしゃれなロールカーテンが下げられた店内は、コーヒーの香りとエアコンの人工的な冷気に包まれている。
夏季定期訓練が終わり、一学年の遠泳も終わり、八月。防大は短い夏休みを迎える。
馬堀海岸駅からまっすぐ横浜駅へ、そこから上野東京ラインへ乗り換え北上。私は埼玉の実家に帰省していた。
夏休みだけでなく年末年始の冬期休暇や春休みも、私は帰省する度に親友の麻耶と顔を合わせている。
麻耶とは、小学校から高校までずっと一緒だった。彼女は都内の有名私立大学へ進学し、煌びやかな大学生活を送っている。
「駄目でした」と項垂れているのは、私ではなく麻耶のほうである。
昨日の合コンのことだ。
二次会まで恙なく終え、麻耶は一人の男の子とどこかへ消えていった。私はてっきり意気投合した彼に首尾良くお持ち帰りされたものだと思っていたのだが。
「いやー……ホテルには行ったのよ」
麻耶は、はあ、と溜め息をついて、ホイップクリームがたっぷり載ったフラペチーノをストローで啜る。
「うんうん」
「それがさ……彼、服を脱いだらさ……」
「何?なんか駄目だった?腹がだらしなかったとか?」
「そんなんじゃない」
「じゃあ何?」
私も同じくホイップクリームたっぷりのフラペチーノを啜る。
私達は、高校生の時からずっとこのカフェでフラペチーノを飲んでいる。ホイップクリームとミルクたっぷりの甘ったるい飲み物は、うら若い女子の象徴みたいだ。
麻耶は真剣な目で私を見つめた。その真剣さに、思わずストローを口から離し姿勢を正す。
「彼さ……」
「うん」
「白ブリーフだった」
私は目を点にし、だがすぐに思わず盛大に噴き出した。口内のホイップクリームが木製のテーブルに散る。
「ちょっとなまえ〜きたない〜」
「……っっっごめ、ごめ……」
「いいよ笑って」
麻耶の静かな声に、ごめんと断ってから私は大声で笑う。白ブリーフで仁王立ちする男性が脳裏に浮かんだら、どうしても我慢ならなかった。私の笑い声に釣られたのか、麻耶も破顔した。
「いや……あの、私経験無いからアレなんだけど、やっぱり白ブリーフの男性って珍しいもん?」
「まーね、何人もの男と寝ましたが白ブリーフは初めて見たわ」
目尻の涙を拭いながら聞くと、麻耶は大きく頷く。
「てかさ、それだけじゃないの。ブリーフのウエストのゴムの所に、油性ペンで名前が書いてあるから!ママの字で!」
麻耶は言いながら自身の腰回りを指差す。それを見てまた私はケラケラと笑った。
箸が転がってもおかしい年頃は先日卒業したが、二十歳の女が二人寄れば、やっぱり姦しくなる。幸いなことにカフェは空いていて、誰も私達の事を気にしていないようだった。
こんな話で盛り上がっておいて、あまつさえ白ブリーフの男性を笑い者にしておいてアレだが、私は処女だ。
高校時代に男女交際の経験はある。だがそこで経験したのは触れ合うだけのキスまでで、性行為は未経験だった。
各々ストローを啜り、笑いがやっと落ち着いてきたところで、お互い呼吸を整える。
「ねえ、なまえはどうだった?なんか気に入られている男の子いたじゃない」
合コンに誘ってくるのはいつも麻耶のほうだ。
派手な女子大生として「映える」生活を送っている麻耶は、方々から合コンのセッティングをよく頼まれている。
一学年の時から、麻耶は時々私を合コンに誘ってくれている。人数合わせの意味もあっただろうし、純粋に私に彼氏ができればという気持ちもあっただろう。
麻耶のように美人ではないが、私にも興味を持って声を掛けてくれる奇特な方が時々いる。残念ながら今までお付き合いに発展したことはないのだけれど。
昨日も、そんな男性が一人いた。
「ああ……なんか、家まで送ってくれるって行ってたんだけど。逃げてきちゃった」
首を竦める私に、麻耶はきょとんと目を丸くして尋ねる。
「どうして?好みじゃなかった?送り狼が怖かった?」
「両方」
「そっか……彼、なまえ好みの顔だと思ったんだけどな」
「んー、うん、まあ顔は、かっこいいのかもね」
はは、と笑って言ってストローを啜る私を、麻耶はじっと見つめる。
絵に描いたようなキャンパスライフを送っている麻耶と、防大で男子と一緒に汗と泥に塗れている私。二人の生活は同じ「女子大生」でありながら全然違う。
それでも麻耶は私の進む道を理解し、応援してくれていた。
高校三年、防大を目指すと打ち明けた時。麻耶は一瞬複雑な顔をしたが、すぐに笑顔で「そっかー、頑張ってよ!」と、その一言で済ませてしまった。受験勉強もよく二人で一緒にした。
私達はなんだか全く違う人間のようで、それでも一緒にいるのが心地良い。
互いが互いを尊敬していたし、認め合っている。きっと麻耶も同じように思ってくれている。
だから、休みの度にこうして何時間でも一緒にいられるのだ。
しばらく黙ってフラペチーノを飲んだりスコーンを摘まんだりしていた麻耶が、急に口を開いた。
「なまえさあ」
「ん?」
「好きな人でもできた?」
丁度フラペチーノの上のホイップクリームをストローで掬って舐めていた私は、ぐっと喉にクリームを詰まらせた。
「だって一年の時となんか違う。今回の合コン、本当は誘った時からあんまり乗り気じゃなかったでしょ?
一年の時だって、忙しかったからそんなに頻繁に行けたわけじゃないけどさ、なまえ制服も着てたし。でも良い人がいたら彼氏欲しいなくらいは思ってたでしょ」
麻耶の言葉に私は黙り込む。
その通りなのだ。今回麻耶に合コンに誘われた時、一瞬断ろうかと思った。
だが人数が足りないから是非にと言われ、それならばと参加した。
一学年の時は漠然と、本当に漠然とだが、彼氏ができたらいいなと思っていた。もっとも、外出すらままならなかった一学年時に彼氏はできなかったわけだが。
今、彼氏が欲しいなんて気持ちは一切無かった。恋愛を求めて誰かと出会おうという気も全くない。
理由は、自分で分かっている。
「他に好きな人、できたんでしょ」
行儀悪くも人差し指を突きつけてくる麻耶には答えず、私は無言を貫く。
ただただ黙ってホイップクリームを掬い続けていると、麻耶はドヤ顔で腕を組みソファにふんぞり返った。
「やっぱりね」
確信めいた口調に、何と言ったら良いのか戸惑ってしまう。
私はフラペチーノの入ったカップを置いて一呼吸し、ゆっくりと言葉を選んだ。
「……好きじゃない。
――ってことにしておかないといけない」
「え?」
麻耶みたいな女子大生の恋と私の恋は、なんだか違いすぎる。
妬み嫉みの感情ではなく、純粋に私達の今置かれている環境の違いを再認識した。
好きじゃないってことにしておかなければならない、秘めるべき恋心。
「好きな人できたでしょ」と言われてすぐに思い浮かんだのは、釣り好きの鬼だった。
「防大生の人だから。その人」
「あー……内恋ってやつ?」
「うん」
湿っぽい空気になっては困るのでなるべく淡々と言うと、察したのか麻耶もドライな声を出す。
「そんなこと言ってもさ、いくら防大とはいえ学生同士でしょ?寮生活まで送っててさ、恋愛沙汰がないわけないじゃん。隠れて付き合ってたりするんでしょ?みんな」
指摘は正しい。内恋が禁止されているといっても、10代後半から20代前半の男女が共同生活を送っているのだ。全く何もないわけがない。時々、男女交際の噂が学生舎を駆けることはあった。
「みんな……とは思わないけど、まあ、隠れて付き合ったりしている人は多分いるみたい。少数派だし、知られて良いことないから必死に隠している感じだけどね。
でも、私が好きになった人はさ」
なんでもない顔をして言う。けれど、心はちゃんと痛んでいる。
胸がずきずきして、きっとこの痛みは麻耶に見透かされている。
「そういうの……絶対ないんだよね」
自分の台詞がとどめとなった。
ホイップクリームがほとんど無くなったフラペチーノをストローでぐさぐさと刺す。ストローを動かす度、細かく砕かれた氷がガシャガシャと乱暴な音を鳴らした。
彼は内恋否定派だということを知っている。
恋愛することそのものを否定しているわけではなくて、恋愛によって意識が浮つくことを、幹部候補生として望ましくないと考えているのだ。
坂木さんは、昨日合コンで会った男の子達とは全然違う。
昨日の男の子達はみんなおしゃれで、スマートで、優しくて、話題が豊富で、そして女の子を喜ばせる言葉をたくさん吐いてくれた。
坂木さんは私達女学を女扱いしないし、喜ばせる言葉なんて勿論言ってくれない。全く飾り気がない。
だけど、逞しくて、心も体も強くて、どんな男性よりも信頼できると私は想っている。
「やっぱ好きなんじゃん」
「だから、好きじゃないってことにしておいてよ」
「難儀だねえ」
麻耶は苦笑し、私もそれに釣られる。
この胸の痛みをどう表現すれば良いのか――「苦しい」なんて、そんな簡単な言葉で片付けたくないが、今の私はそれしか表現する言葉を知らなかった。
「なんかさ、ボーダイセイって大変だね」
フラペチーノから視線を外し、麻耶を見る。
「なまえの何が大変そうってさ、自分の気持ちに嘘ついて生きるのが大変そう。
いいよ?私の前では嘘つかなくても。名前も知らないけど、その人のこと『好き』って言えばいいじゃん」
麻耶はほぼ空になったフラペチーノを最後の最後まで吸った。ストローからはズゾゾとお行儀の悪い音がした。
好きだなんて。
「そ、そんなこと言ったらさ」
声が喉の奥に貼り付いているようだ。発声がなんだか上手くいかなかくて、吃ってしまう。
「……余計苦しくなるじゃん?」
好きだなんて。
そんなことを口にしてしまえば。
私の懸命の笑顔をどう受け取ったのだろうか。麻耶は、フハっと噴き出して笑った。
「なんだよ訂正。
なまえ、その人のこと『好き』どころじゃなくて『大好き』なんじゃん」
麻耶の言葉に、意識して作っていた私の笑顔はとうとう引っ込んだ。
テーブルの上の二つのカップは汗を掻き、木目をじっとりと濡らしていた。