第三章 鬼の休養日





03




* * *



結局その日も、飯と魚を食った後温泉に入り、二人でビールを飲んで小一時間ダラダラと喋っていた。
この後電車に長々と揺られて帰らなくてはいけないからそんなにたくさん飲むつもりはなかったのだが、俺はつい飲み過ぎてしまった。
多分、浮かれていたのだろう。

「坂木さん、今日はご機嫌ですね?」
「まあな」
「ヘルウィークもやっと終わりましたしね」
「ああ、お前たちもご苦労だったな」
「一番大変なのは四学年の皆さんですよ。お疲れ様でした」

男子でもキツいヘルウィーク。女学がついてくるのは相当しんどい筈だ。事実、一学年の女学で泣きべそをかいているやつを何人か見た。

みょうじの指摘通り、俺は気分が良かった。
武井を始めとする一学年は一歩前進が見られたし、今日も魚は釣れたし、天気は良かったし、温泉の湯加減も良かったし――
その先をぐっと飲み込む。

自身の思考を遮った俺は、別の話題を口にした。

「F-15は、知ってるよな?」
「はい、もちろんです」

突然戦闘機の名前を口にした俺にみょうじは驚いたようだったが、静かに続きを待っている。

「あれに乗りてえんだ」

子供の頃はよく、空自の親父に連れられて、基地に見学に行ったもんだった。
そこで見た、F-15――自衛隊内ではもちろん、世界でもトップクラスの戦闘機――が忘れられなかった。
30年以上前に自衛隊に導入されたが現在も日本の主力戦闘機である。自衛隊では約200機を運用しているが稼働率は9割以上と高い。
最大速度値はマッハ2.5。日本の端から端までたった一時間だ。

「坂木さんは、イーグルドライバー(※『イーグル』はF-15の愛称)を目指しているんですね」

いつだったかみょうじに尋ねられた、俺が自衛官を選んだ理由。あの時は親父の影響だとか当たり障りのない答えをした。
俺は今更ながらその質問に答えているのだ。みょうじは多分それを理解している。

「なぜイーグルドライバーになりたいんですか?」
「……」

ぽり、と頬を掻く。ビールの泡がグラスの上でぷつぷつとほんの少しずつ消え始めた。

「なんでって……まあ、かっこいいじゃねえか」
「……へえー?」

適当に濁した俺の顔を、みょうじがのぞき込む。

「なんだよ」
「坂木さんがどんなお顔をしているか見ようと思って。何を考えているかよくわかるように」
「……」

そんな答えじゃ許さないですよ。
口角を上げて、だがじっと俺を見つめるみょうじの顔はそう言っていた。

「……速いだろ」
「は?」
「F-15。今自衛隊が保有している戦闘機の中では、最大速度値が一番大きいだろ」
「ええ……マッハ2.5、でしたよね?」

みょうじはビールにも枝豆にも手を付けず、姿勢を正して俺を見る。
ガヤガヤという周囲の音が、なんだか遠くに聞こえる。酔っているのかもしれない。

「……守りたいものの元へ、一番速く行けるだろ。F-15なら」

守りたいものがある。それは自衛官を志す者なら誰もが持つ思いだ。
俺だってもちろんそうで、みょうじだってそうだ。

だが、口にした瞬間後悔した。
恥ずかしいことを言ったと思った途端、自身の顔が内側からかあっと熱を帯びたことが分かった。
慌ててビールを勢いよく流し込む。顔の赤らみをアルコールのせいにしたかったのだ。

「守りたいもの、ですか。たくさんありますもんね。
……岡上学生とか?」

しみじみと言ったくせに、最後は茶化したみょうじをばしぃっと平手で叩く。
あははとみょうじは声を出して笑い、そして笑顔のまま俺を見据えた。

「――素敵な夢ですね。尊敬します。
それに、私も坂木さんにイーグルドライバーになって欲しいです」

俺から目を逸らさないみょうじは、しかし穏やかなで柔らかい顔だ。

「……なんでだよ。俺がイーグルに乗ろうが乗るまいが、お前には関係ないだろ」

照れ隠しでぶっきらぼうな言い方になる。俺はまたビールを煽った。

「自衛隊トップクラスの戦闘機ですよ。日本の空を守る要じゃないですか。
そういう役には、自分が尊敬していて信頼している人になってもらいたいと思うでしょう?」

思わぬことを言われ、俺は目を見開いた。
言った後に恥ずかしくなったのか、みょうじの顔も徐々に赤く染まる

「……そーかよ」

愛想のない返事が照れ隠しだと、きっとみょうじは見抜いているだろう。
みょうじも照れているのか、耳まで赤い顔を俯かせながら、俺のグラスにビールを注いだ。


夏季休暇が始まるまで、俺たちの曖昧なアウトドアは続いた。




   

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