リヴァイ課長に焼肉を奢ってもらう話






【ご注意】

夢主がモブに浮気される描写があります。
大丈夫そうな方だけご覧ください。




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01




 肉の焼ける匂いと、煙の匂い。騒ぐ子供の声、そしてそれを窘める親の声。
 土曜日の夕食時、全国チェーンの焼肉店は家族連れや学生グループらで賑わっていた。

「カルビとー、豚トロとー、課長あと何にしますう?」
「ハラミも頼んどけ、あとビール。お前もう結構酔ってるな?」
「えへへ酔ってます。あっ私もビール追加しとこ」

 タッチパネルをピコピコタップすると、ピロリーンという軽快な電子音と共に、「注文が完了しました」の文字が現れる。
 会社員にとって貴重な週末の夜。私とリヴァイ課長は、焼肉店のボックス席に向かい合わせで座っていた。



 リヴァイ課長は直属の上司だ。私が課長の部下になってもう二年になる。
 お互いの性格も仕事の仕方も把握しあった、気心知れた間柄だ。だが私たちはあくまで上司と部下であり、会社が休みの日に二人で肉をつつきあうような関係じゃない。こんな風に二人で食事をするのは初めてだ。
 いくら気心が知れていると言っても課長は上司なのだから、多少は緊張しても良さそうなものなのだけど……私は既にビールをジョッキ二杯空けており、昨夜からの疲労も相まってもうベロベロだった。

 なぜこんなことになっているのかというと、話は三十分前に遡る。



 * * *



 焼肉店のガラスドアの前、私が今まさに入店しようとしているところに、リヴァイ課長が偶然通りかかった。
 会社が休業日の今日、課長はいつものスーツ姿ではない。チェスターコートの下は黒のタートルネックニットだ。住んでいる場所が近いと耳にしたことはあったが、実際に会社ではなく町で課長と鉢合わせるのは初めてだった。

 きっと平常時であれば、「こんばんは、偶然ですね」と私が会釈し、「偶然だな、じゃあ」と課長が手を挙げて応え、それで終わっただろう。
 だが今日は平常じゃなかった。
 私のほうは、「課長こんばんは、偶然ですね」と会釈した。だが、課長のほうが「……お……っ……」と声を失ってしまったのだ。

 無理もない。課長が声を失う要因が、今の私には三つもある。

 まず一点目。私は昨日金曜日までは腰まであるロングヘアだったのだが、今日の午前中美容室に飛び込みベリーショートにしたのだ。頭のシルエットだけ見たら別人である。
 二点目。私の両瞼はあり得ないほど腫れていた。これは昨晩から断続的にしくしく泣いているからである。
 そして三点目。これが、課長が声を失った最たる要因だろうが、私の額の真ん中にはどでかいガーゼが貼られていた。
 額に大きな切り傷を作ってしまったのだ。傷の大きさと場所が場所であることから念のため外科を受診したが、医者の判断では縫う必要はないとのことだった。だが傷をそのまま放置するわけにもいかず、どでかいガーゼをビタッと貼られたのである。



 リヴァイ課長が黙りこくってしまったため、私たちは二人、焼き肉店のガラスドアの前で立ち尽くしたままだ。

「……………………お前、その……色々どうした?」

 たっぷりの沈黙の後、課長はようやっと声を捻り出す。
「色々どうした」とはあんまりな質問の仕方だと思うが、私の見てくれにツッコミどころがありすぎて、もはや何をどう聞いて良いのかわからなかったのだろう。
 ひとまず私は、尋ねられた「色々」について正直に答えることにした。

「『色々』とはどのことを指すのか測りかねるところもありますが、恐らく課長が気になっているであろうことを順に説明しますね。
 まず、額の傷は切り傷ですが、今はもう出血もなく大したことありません。
 昨晩久しぶりに定時で仕事を上がったのですが、同棲していた彼氏の自宅連れ込み浮気現場に遭遇してしまいまして。彼、私の帰りがいつも遅いので油断してたんでしょうね。それで、逆上した浮気相手が包丁を振り回してこんなことに。ちなみに彼とはその場で別れました。
 これでも傷心していまして、目の腫れは昨日から泣き続けた結果です。髪の毛は、まあ失恋と言ったら断髪かなって。思い切ってベリーショートにしました」
「オイオイオイオイ待て待て、情報量が多すぎるが」

 淡々と状況説明をする私を前に、課長はこめかみに手をやって俯いた。そうしてまたしばらく沈黙していたが、十数秒後ゆっくりと顔を上げる。

「……全部飲み込めたわけじゃねえが、まあその、お前は夕べ散々な目にあったわけだな。で、これからどこに行くつもりだった?」
「ここの焼肉屋です。肉と酒で憂さ晴らししようかと」

 私が頭上にぺかぺかと輝く焼肉店の看板を指さすと、課長は切れ長の目をぎょっと見開いた。

「お前一人でか? この家族連れ御用達の焼き肉屋に?」
「はい一人で。だってお酒が入ったら、私泣き出しちゃったりするかもしれません。そしたら同伴者に迷惑でしょう?」
「客が突然泣き出したら店員だって迷惑だが」

 呆れたように息を吐いた課長の口角が少し緩む。
 これ、仏頂面は仏頂面なのだが実は笑っているのだ。課長は笑う時、いつも下がっている口角がくにゅっと曲がる癖がある。わかりにくい癖だけれど長く近くにいる私にはわかるのだ。

「……まあ、わかった、そういうことなら俺が奢ってやるよ」
「え?」

 課長が焼き肉店のガラスドアを押すと、肉の焼ける匂いが流れ出してくる。「いらっしゃーせー」という店員たちの声が響いた。

「傷心の部下が自棄食いしようとしてんだろ。俺が奢ってやるから好きなだけ飲んで食え。しょうがねえから、お前が泣いたら俺があやしてやる」

 なんと、こんなところで課長の面倒見の良さが発揮されてしまうとは。業務時間外で社外だというのに、部下を慰めてくれるだなんて。

 でも正直ありがたい気持ちはあった。一人で焼肉を食べるより、きっと課長と一緒に食べたほうが気も晴れる。ここは一つ、素直に課長のご厚意に甘えよう。
 そうして私は「ごちそうになります」と揉み手を捏ねくりまわし、ずんずんと店内を進む課長に付いて行ったのだった。



 * * *



 リヴァイ課長は私にトングを握らせなかった。

 課長は歴とした上司なのだから、私だって一応率先して焼こうとしたのだ。だが最初にトングを取り上げられ、それからもう触らせてもらえなかったのである。

「今日は俺が焼く。お前は食え」
「いやでも課長、そういうわけには。私部下ですし」
「傷心のお前を労ってやるっつってんだよ。あとお前は生肉用のトングと焼いた肉用のトングをごっちゃにしそうで危なっかしい」
「えっ課長なんで知ってるんですか、私よくやるんですよそれ」

 課長は黒ニットを肘下まで腕まくりし、仏頂面のまま肉を焼いてくれた。
 ニットの袖から覗くがっしりとした腕で、トングをせっせと動かしている。もちろん生肉用のトングと焼けた肉用のトングを混ぜるようなポカはしない。課長は几帳面なのだ。

 焼いた肉がどんどんと私の皿へ載せられてゆく。まるで親鳥が雛鳥に餌付けするかのように。

「課長も食べてくださいよ、私ばっかり食べさせてもらってます」
「食べてる。で、どうする? お前の元彼のクソな話を聞くか?
 話したきゃ話せ、口にして楽になることもあるからな。どんな愚痴を聞かされても俺は全然かまわねえぞ」
「課長、優しいですね」
「そりゃ、この土日で回復してもらわねえと月曜からの仕事に差し支えるからだろうが。使えない状態で出社されちゃ俺が困るんだよ」

 そう言って、課長はフンと呆れたみたいに鼻を鳴らした。

 長く同じ課で一緒に働いている私にはわかる。これは課長なりのジョークだ。
 恐らく、私を慰めるための。

「……本当は、この店に入った時には一から十まで全部聞いてもらおうかとも思ったんですけど。でももういいんです」

 口にするうちに私の口角は自然と上がり、目尻も自然と下がった。

「課長と話してお肉焼いてもらってるうちに、なんだか全部どうでも良くなってきました。元彼のことも、浮気相手もことも。寧ろしょうもない男だったってことが早めにわかって、却って良かったなって思ってるくらいです」

 ――あれ、私、笑っている。

 昨日の夜からずっと泣き続けていたのに、この焼肉店に入った時から泣いていない。
 お酒なんて飲んだらきっとまた泣いてしまうと思って、友達も誘わずに一人で来たくらいだったのに。

「そうか」

 課長は呟いてジョッキを煽った。中に少しだけ残っていたビールが、するすると白い喉へ吸い込まれてゆく。

「課長、ビールもう一杯追加しますね。一緒にお肉も追加で頼んじゃお、カルビと豚トロ」
「てめえカルビと豚トロばっかじゃねえか! 俺を何歳だと思ってる」
「だって脂の多いお肉のほうが美味しいじゃないですか、赤身とかよりも」
「そりゃお前、美味い赤身を食ったことがねえからそういうことを言うんだ」

 二人で、いや赤身がどうだの内臓系がどうだの脂身がどうだの、くだらないことをやいやい言っているうちに、追加のお肉とビールが運ばれてきた。
 店員が皿をすべてテーブルに載せて去ったタイミングで、課長は口元に手を寄せて声を潜める。

「お前、今度は俺に付き合えよ」
「はい? どこにですか?」

 倣って私も声を潜めると、課長は私のほうへ顔を寄せ小声で言った。

「こういう安い焼肉屋も悪かねえけどな、美味い赤身を出す店を知っている。ロース一枚三千円もする店だが、見合った価値がある味だ」

 にやり、と課長の口角が左右非対称に上がる。仏頂面が崩れた瞬間だった。

「わかりました、ぜひ連れて行ってください」
「来週末な」

 小声で囁きあった私たちは、コツンとビールジョッキを静かにぶつけ合い、改めて乾杯した。

 来週末もまた、リヴァイ課長と二人で焼き肉だ。今から楽しみで仕方がない。
 この時既に私の頭の中からは、クソな元彼のことなんて、きれいさっぱりとどこかへ行ってしまっていたのだった。



【リヴァイ課長に焼肉を奢ってもらう話 Fin.】

   

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