幸福と微睡





【ご注意】

進撃の巨人アニメ最終話を視聴して書いた物です。
アニメ最終話のネタバレを含みますので(それしかない)
未視聴の方はご注意ください。



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01



 ぱちりと、瞼が開いた。
 閉じられたカーテンの向こうはまだ暗いが、夜明けの気配がほんのわずかに漂う。スマホのアラームよりも先に起きてしまったらしい。よくあることだ。
 起きて一番にすることは、隣にいるか確かめること。
 ルーティンというと大仰だけれど、目が覚めてまず隣を確かめるというのはもう一連の流れになっていた。
 今日もちゃんと、いる。ちゃんと、生きている。
 小さく上下する彼の胸板を見て、一つ息を吐いた。



 * * *



 リヴァイさんと一緒に住むようになってからというもの、夜はいつでも一緒のベッドで寝ている。何かあった日も何もなかった日も、毎日だ。
 そして朝起きると同時に、彼がそこにいることと、呼吸と体温が正常であることを確認する。彼が間違いなく生きていることを確かめてようやく私は安心できる。

 過去に一度、私が起床した時にリヴァイさんが隣にいなかったことがあった。
 その時彼はただシャワーを浴びていただけだったのだけれど、彼が隣にいなかったことで私はパニックを起こした。家の中をリヴァイさんリヴァイさんと泣き叫びながら探し回り、果ては過呼吸を起こした。結局リヴァイさんはシャワーもそこそこに浴室から飛び出してきてくれたのだけれど。
 リヴァイさんは私が病的に動転する様を目の当たりにして、それ以来ベッドを出る際には必ず私に声をかけるようになった。



 怖いのだ。彼が突然いなくなることが。
 前世で彼は、私の知らぬ間に突然いなくなってしまったから。



 遥か過去に、巨人が存在したという説がある。研究者の間でも意見が割れており、巨人がいた時代は確かにあると主張する者もいれば、否定する者もいた。
 だが私は知っている。過去に巨人はいた。前世で私は巨人と戦う兵士だったのだ。その記憶がある。
 リヴァイさんも前世は兵士だった、と思う。
「思う」というのは、私がそう信じているだけで、彼が前世に兵士であった証拠はないという意味だ。彼自身に前世の記憶はないようだし。

 だけど私は、リヴァイさんは前世の私の恋人であるリヴァイ兵長の生まれ変わりであると信じている。
 そうでなければおかしいと思えるくらい、リヴァイさんは私の記憶の中のリヴァイ兵長と瓜二つなのだ。名前はもちろん、顔も、身体も、それから紅茶が好きなところも、ティーカップの持ち方が独特なところも。



 リヴァイさんは前世の記憶を持っていない。恋人だった私のことも覚えていない。
 でも、それで良いと思っている。
 あんな地獄、覚えていないほうが良い。辛すぎる記憶は脳に存在しないほうが良い。
 今のリヴァイさんには、どうかどうか幸せでいて欲しいから。



 前世でのリヴァイ兵長の最期を、私は知らない。兵長も私の最期を知らなかっただろう。
 私の記憶があるのは、イェーガー派の兵士から「リヴァイ兵長とハンジ団長は死んだ」と聞かされたあたりまでだ。
 巨大樹の森でジークの監視に当たっていた兵長の訃報を聞いて、別任務に就いていた私は目の前が真っ暗になり、膝をついた。その後の混乱の中で私はイェーガー派に楯突き、撃たれて死んだ……のだったと思う。
 前世でも恋人同士だった私たちは、あの頃、互いに生きていて欲しいと願い合っていた。だが別々の場所で、互いが与り知らぬ間に、別々に死んだのだ。



 今世で、文献から「リヴァイ・アッカーマンという兵士が天と地の戦いで仲間と共闘した」という説を見つけた。
 この説が示すのはつまり、私がイェーガー派から聞かされた兵長の死はデマであって、実際にはもっと長く生きた可能性もあるということである。
 そうであって欲しいが、今となっては、真実は誰にもわからない。とにかく前世の私は、大切な人が知らないところで知らないうちに死んだと聞かされて喪心したのだ。

 兵長の死を知らされた時のあの感覚。体温が一気に下がるような感覚。
 前世での出来事だというのに未だ生々しく記憶に残っている。転生して尚、トラウマだ。



 そうして私は今、毎朝リヴァイさんの存在と呼吸を確認している。
 もう巨人はいない。エルディア軍もマーレ軍もイェーガー派も調査兵団もない。
 文明の発展したこのぬるま湯のような国で、ある日突然リヴァイさんがいなくなる確率は前世と比較して遥かに低い。頭ではわかっているのだ。
 私がリヴァイさんの生に異常に執着する様を、彼は不思議に思っているだろう。だが否定はせずにいてくれる。
 呼吸を確かめるために鼻の下に指を置いたり、鼓動を確かめるために胸に耳を寄せたり。彼は私のそんな行動に気づくと、そっと抱きしめてくれた。私が生者の温もりに安心して涙を流すと、彼はいつも無骨な人差し指で涙を掬ってくれた。



 * * *



 彼の呼吸を確認してから、ヘッドボードへと腕を伸ばし、スマホを手に取る。
 ディスプレイを灯すと真ん中に時刻が出た。五時三十六分。そろそろ夜明けだ。
 スマホのアラームが鳴るまでもう少し時間がある。私は毛布の中で彼の胸に頬を寄せて、再びうつらうつらした。

 ふと、彼の呼吸のリズムが崩れた。
 瞬間、眠気が吹っ飛ぶ。私は勢いよく首を擡げ彼の様子を伺った。

 彼の瞼はしっかりと閉じていて、起きたわけではなさそうだ。だが苦しそうに顔が歪み始めた。眉間にも皺が寄っている。
 もしかして、何かの病気の発作だろうか。自分の顔からザッと血の気が引いた。救急車を呼んだほうが良いだろうか。
 狼狽してスマホを手に取る。と同時に、彼の口が開いた。

「エルヴィン」



 息を呑んだ。
 それは、あの時代、彼の盟友だった男の名だった。

 リヴァイさんはまだ瞼を開けない。眉間には深く皺が刻まれたままだ。

「リ、リヴァ……」

 声が震える。

「リヴァイさ……リヴァイ、兵長」

 私の声が聞こえたのか、ゆっくりと瞼が開く。
 鋭い目は、兵士だった時代のそれだった。

「……お前……」

 寝起きのせいか声は掠れている。
 青灰色の瞳が私を見据えると、彼は自らの胸に抱えるように、力強く私を抱きしめた。

「お前、生きていてくれたのか……」
「リ、……」

 リヴァイ兵長と呼ぼうとしたが、声は詰まって出なくなった。涙がこぼれ、シーツに向かって頬を伝う。

 私の脳内で、前世の記憶が洪水みたいに溢れ出した。
 訓練場の森で初めて立体機動を指導してもらった日のこと。青空の下、壁外を馬で並んで駆けたこと。死んだ兵士を一緒に焼いたこと。
 涙はとめどなく溢れる。彼はいつものように、私の涙を人差し指で掬ってくれた。
 今の彼は、リヴァイさんだろうか? それとも、リヴァイ兵長だろうか?

「……獣の野郎は、俺が殺した……」

 彼の声は夢と(うつつ)が半分ずつ混じりあったみたいだった。
 それとも、もしかしたら私のほうが夢を見ているのだろうか?

「信じらんねえくらいの地獄だったが、まあ……とにかく結末は迎えた。……お前が生きていてくれて、本当に良かった」

 リヴァイ兵長は、ぎゅ、と私をきつく抱きしめなおした。
 涙でべしょべしょの顔を彼の胸に押し付け、嗚咽を殺す。泣きながら頷くことしかできなかった。
 私の額にそっと口づけが降る。湿った音を立てて唇が額から離れると、リヴァイ兵長はそのまま、すうっと再び寝入ってしまった。



 彼の口調は、穏やかだった。
 もしかしたらリヴァイ兵長は、地獄なりにあの時代を納得して終えたのかもしれない。



 * * *



 やがて、カーテンの隙間から入り込む日光が橙色を帯び始める。街は夜明けを迎えた。
 彼の瞼がゆっくりと開く。

「……リヴァイ、兵長?」

 私が口にした途端、彼は訝しげに眉を顰めた。

「……あ? へーチョー?」

 声色からすぐにわかった。彼はもうリヴァイ兵長ではない。地獄の記憶は、もうない。

「ううん、なんでもない。おはよう、リヴァイさん」

 厚い胸板に顔を押し付ける。彼の匂いをいっぱいに吸うとまた涙が目尻に滲んだ。

「ああ、おはよう。……なんだ、朝から泣いてんのか? 怖い夢でも見たか?」

 そう言って、さっきまでと同じように人差し指で私の涙を掬ってくれる。

「見てないですよ。リヴァイさんは、怖い夢見なかった?」
「夢か。見ていたのかもしれねえが覚えてねえな」

 二人で一枚の毛布の中、リヴァイさんは私の髪の毛を手櫛で梳いた。
 胸がいっぱいだった。いっぱいでいっぱいで、苦しいくらいに。

「ねえリヴァイさん」
「あ?」
「今、幸せ?」

 リヴァイさんは少し驚いたように目を瞠り、だが一拍置いて、瞳は優しく細まった。
 言葉での答えがなくとも、もう十分だった。



 リヴァイさんがリヴァイ兵長だった頃の記憶を思い出すことは、その後二度となかった。





【幸福と微睡(まどろみ) Fin.】

   

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