優しいおじさん
【ご注意】
進撃の巨人アニメ最終話を視聴して書いた物です。
アニメ最終話のネタバレを含みますので(それしかない)
未視聴の方はご注意ください。
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01
大きく上がった口角。覗く白い歯。弓なりに細まる目。
昼下がりの
そんな子供たちの様子を見るのが、リヴァイは嫌いではなかった。だからこそ彼は配給を進んで手伝っている。
難民キャンプでの生活は辛いことも多いが、巨人の脅威が無くなった今、彼の心は穏やかだった。もしかしたらリヴァイの人生の中で今が一番安らかな時かもしれない。
長かった子供たちの列が
目線を向こうへと戻すと、その先には駆けて行った子供たちがいる。ちょろちょろと生え始めた芝生の上で、子供たちは笑い声を上げながらお菓子を食べていた。
リヴァイの横で、空気が不自然にゆらりと動いた。瞬間、彼は車椅子に掛けたまま反射的に腕を伸ばす。
伸ばしたリヴァイの腕が掴んだのは、痩せ細った少女の手首だった。
下には先ほど置いた菓子箱。菓子箱に残ったわずかな菓子を盗もうとしていたのだ。
その少女を、リヴァイはよく記憶していた。
年のころは十歳くらいである。菓子の配給があれば大抵の子供は顔を綻ばせるが、少女はほとんど笑わず、安堵したように息を吐くのみだった。満面の笑みの中で彼女の表情は異質で、だからこそリヴァイはよく覚えていたのである。
リヴァイは反射的に動いたことを悔いた。菓子くらい見逃してやれば良かったかもしれない。だが既に捕まえてしまったのだから、諭してやるのが筋である。
「……お前、菓子はさっきもらっただろう? 一人一つまでだ、こういうのは平等が大事でな。悪いが次の配給でまた並んでくれ」
「…………ごめんなさい……」
少女は掠れた声で俯いた。
リヴァイは、掴んだ彼女の手首がほとんど骨と皮だけだったことに気がついた。よくよく思い返せば、この少女は日に日に痩せている気がする。
ここの難民キャンプは配給も充実しているし、毎日ではないが菓子を食べることだってできるというのに。他の子どもたちはなんなら少しずつふっくらしてきたくらいだ(それだって本当に「ふっくら」しているわけではなく、食糧不足でガリガリの身体がやや健康に近づいたというだけなのだが)。
少女の不自然な痩せ方に、リヴァイはピンときた。
「菓子は一人一つだが……お前の他に誰かいるなら、話は別だ」
* * *
少女に案内されたのは、難民キャンプの端の端だった。
一際ボロボロの掘っ立て小屋に入ると、むわりと嫌な臭いがリヴァイの鼻をつく。不衛生な空間によくある臭いだった。
「弟なの。三歳」
小屋の奥で主のように腰かけていたのは、少女よりも随分幼い少年……幼児だった。
腰かけているのは、多分車椅子だ。多分というのは、椅子にタイヤらしきものは付いているが明らかに壊れている。タイヤが動かないことは明白で、車椅子の要件を満たしていない。
「こんにちは」
男の子は幼児特有の舌足らずで、愛想よくリヴァイに挨拶した。
彼の膝には赤いストールのようなものが掛かっていて、脚は隠れていた。だがストールの形状からすぐにわかる。
男の子は、右足の膝から下をすべて欠損していた。
「……足は三年前に失くしたのか?」
三年前とは、地鳴らしの年である。この幼児は地鳴らしのあったその年に生まれたのだ。
リヴァイの問いかけに、姉と弟は揃って首を振る。
「一年ぐらい前、食べ物を探しに森に入った時、狼に遭っちゃって……」
姉の答えにリヴァイは目を瞠った。
良く生きていたな、というのが率直な感想である。運が良い。弟の脚一本で済んだことも、喰われた足が化膿して破傷風にならなかったこともだ。
この姉弟に親がいる様子はない。おそらく三年前に亡くなったのだろうと、リヴァイは勝手に解釈した。
「配給の菓子や飯は、全部弟にやっちまっているのか」
ぽつりとこぼれたリヴァイの言葉は、回答を求めるものではなかった。だが少女は律儀に答える。
「……拾った車椅子も壊れているし、弟は外に出られないから。配給は並んだ人だけがもらえるルールでしょう? 嘘をついてズルをする人が出ないように」
そう言って、少女は俯いた。
きっと今日までは、「並んだ人だけがもらえる」「一人一つ」のルールを真面目に守り続けていたのだ。だからこそここまで痩せ細った。
もう少し少女が大人だったら、事情を話して弟の分の配給も手に入れられたかもしれない。だが彼女は、姉ではあるが、子供だ。
せいぜい十歳の少女と三歳の幼児。それも幼児のほうは障がい者だ。子供だけでまともな生活が送れるわけはない。
「それでも私たち、生きていかなきゃいけないから。お母さんが私たちを生かしてくれたから」
だから食べ物を盗もうとしたの。ごめんなさい。
続いた少女の声は小さくて、消え入りそうで。
「……そうか。母さんが生かしてくれたのか」
リヴァイが少女の言葉を繰り返すと、少女は力強く頷いた。
ずっと虚ろだった彼女の瞳に、ほんのわずか光が灯る。
俯いていた少女は顔を上げ、リヴァイをまっすぐ見据えて語り出した。
「地ならしが来た日、私は七歳で、弟は生まれたばかりだった。私は、弟を抱いたお母さんと必死に逃げて、でも最後は崖に追い詰められた。
お母さんは私を突き飛ばして崖から離してくれたの。『生きなさい』って叫んでた。その後お母さんは崖からすぐに落ちちゃって……でもお母さんが抱っこしてた弟は、落ちなかった。
お母さんはね、おくるみに包まれたままの弟を崖の上の人に託したの。そしたら大人たちが、弟を前へ前へと運んでくれて……そうしているうちに大人たちはどんどん崖から落ちて、でも弟は崖から離すように運ばれて。
弟は、おくるみに包まれたまま生き延びた。弟の膝に掛かっている赤いのがその時のおくるみなの」
少女は、人差し指で弟の膝を指す。
彼の膝上の赤いストールは、母親の形見だったのだ。
こんなに多弁な彼女を、リヴァイは初めて見ていた。配給の菓子をもらう時も虚ろな表情だった子が、母親のことになるとこんなに生き生きと語るなんて。
「私と弟の命は、お母さんやみんなに助けてもらった命なの。だからなにか食べて生きなくちゃ、って……」
母親の勇敢なる最期を語りつくした少女から、徐々に覇気が失われていく。
自分たちを助けてくれた母親を誇りに思っているのだろう。だがもう大好きな母親はこの世にいない。
少女の涙はとうに枯れ果てている。三年前に。
静寂の訪れた掘っ立て小屋で、リヴァイは車椅子を漕ぎだした。
ポケットから飴を取り出し弟に握らせると、「ありがとう」とやはり舌足らずな声が返ってくる。
リヴァイは車椅子を方向転換させ、小屋の出口へ向かった。「え」と少女が心細げに呟くと、リヴァイは彼女のほうへと振り向く。
「夕食はここで待っていろ、二人分届けてやる。それから子供用の車椅子も手配する。車椅子のほうは飯と違って今日の夜ってわけにはいかねえが、まあ数日で届くだろう。
だから、車椅子が来たらお前たちは二人で列に並べ。飯も菓子も二人分もらうんだ」
「だ、だめです、私たちお金を持っていないです。車椅子なんて買えません」
少女は慌ててリヴァイの真正面へ回り、彼の膝に縋るようにして言った。
「車椅子代なら俺が立て替えてやる。出世払いでかまわねえ。……出世払いって知ってるか?」
真顔で少女を覗き込むリヴァイに、少女は返す言葉がなかった。
出世払いという言葉の意味は知っていた。
だが、こんなに親切な大人が、こんなに身近にいたことは、知らなかった。
「おじさんは、どうしてそんなに優しいの?」
少女の純粋な疑問。
みんな生きていくだけで精一杯のこの三年間、姉弟は頼れる大人に出会えなかった。
それは致し方ないことで誰も責められない。誰もが自分と自分の家族が一番大事だからだ。少女もきちんと理解していて、だからこそ一人で抱え込み、
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少女の目に、リヴァイの優しさは異質に映ったのだ。
「どうしてそんなに優しいの? ……もしかして」
少女は落ちくぼんだ大きな目をハッと瞠り、訊いた。わずかに興奮が声に混じる。
「おじさんって……英雄? 正義の味方?」
この頃、アルミン・アルレルトをはじめとした若者数名が「英雄」「正義の味方」と市井から持て囃されていた。
そして明らかになっている数名の英雄の他にも、天と地の戦いでアルミン・アルレルトらと共闘した者がいるとまことしやかに囁かれていた。
少女も噂を耳にしていたのだろう、とリヴァイは胸の中で一人納得する。
「ねえ、英雄なの? だから優しいの?」
詰めるように問うてくる少女をリヴァイはそっと手で払い、車椅子を進める。
「残念だが俺は英雄じゃねえ。優しくもねえな」
「でも……」
掘っ立て小屋を出て尚、少女は再び車椅子の前に回り食い下がった。
リヴァイと少女の視線が真正面からぶつかる。
一拍置いて、リヴァイは左手を少女の頭にぽんと乗せた。くしゃり、と髪の毛を撫でると、少女は口を噤む。
――英雄か。そんなにいいもんじゃねえぞ。
胸の中だけでリヴァイは独り言ちて、そしてわずかに口角を上げた。
「暗くなる前には夕食の配給が来る。弟とここで待ってろ」
リヴァイの穏やかな声に、少女はもう食い下がらなかった。
遅い午後のまろやかな日差しの中、リヴァイの車椅子はまだらな芝生の上をゆっくりと進んでいった。
【優しいおじさん Fin.】