花火大会でリヴァイに恋をする話





【ご注意】

夢主がモブに失恋する描写があります。
大丈夫そうな方だけご覧ください。




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01




 宵の迫る、喧噪の神社。空の橙はいよいよ暗くなり、濃紺にほんのわずか夕焼けの赤が混じるのみだ。
 十九時、アナウンスと共に打ち上げ花火が始まった。トップバッターの十号玉三連発が花開くと、歓声が上がる。
「始まっちゃった」「早く早く!」と、色とりどりの浴衣姿が上へ上へと駆けてゆく。この石造りの階段の先が広場になっていて、そこが特等席だった。

 彼女も、花火を見るために特等席へ行こうと思ったのだ。だからこそ長い石段をここまで上ってきたのだ。
 心臓破りとして有名なこの石段は全部で二五十段ほどある。やっと半分過ぎまで上ったところだ。まだ三分の一以上残っている。
 だがもう彼女の足は動かない。さっきからずっとこの踊り場の手すりに寄っかかったままである。
 俯いた彼女は、恨めしく鼻緒を睨んだ。
 薄闇の中ではよく見えないが、赤地の鼻緒には血が滲んでいるはずだ。履きなれない下駄で長いこと石段を上ったせいで、両足とも親指と人差し指の間がぐちゃぐちゃに擦れている。ひどい痛みだった。
 広場へ出て花火を見るには、まだ石段を上らなくてはならないし、諦めて帰るにしても、今度は今まで上ってきた石段を下らなくてはならない。
 意地をはったバチかもしれない。一瞬そんな風な思いが脳裏をよぎり、彼女はぶんぶんと(かぶり)を振った。

 ――違う、バチだなんて違う。私、なんにも悪いことしてないのに。
 寧ろ悪いことしたのもバチが当たるべきなのも、あっちなのに。

 ツンと鼻がしらが痛くなり、目にも熱いものが溜まる。
 視界の鼻緒とそれを挟む痛々しい足の指が、じわりと滲んでぼやけた。



 * * *



 彼女はこの花火大会をずっと楽しみにしていたのだ。
 だって恋人との初めての花火大会だったのだから。

「ねえ一緒に行こうよ!」と誘ったのは、彼女のほうからだった。恋人の男は「あー」と生返事をし、だがしっかりと約束をした。したはずだったのだが。
 実は待ち合わせをしたと認識していたのは彼女だけで、男のほうは待ち合わせをした認識もなかったのだが、とにかく彼女は待ち合わせ場所で長いこと立ちっぱなしだったのだ。
 ようやく男が現れ、同時に、彼女は固まった。
 男は女連れだった。それも知らない女だ。



 見つめあう二人の間を気まずい空気が流れる。彼女は悟った。

 ――なるほど、待ち合わせを忘れられていたのか、そもそも待ち合わせした認識すらなかったのか。とにかく今、自分の恋人は浮気相手を連れて花火大会に来ている。
 そして彼女である私と鉢合わせた、と。これは修羅場では?

 連れの女は何も知らないのだろう。不自然に見つめあった二人の様子を訝しんで言った。

「何、誰? 知り合い?」
「……あー……いや、別に」

 歯切れの悪い、だが自分よりも連れの女を優先した答え。
 彼女の目の前は真っ暗になった。
 視線を逸らされ、二人は彼女の目の前を通り過ぎてゆく。これから二人で花火大会を二人で楽しむのだ。

 ――ああ、本命は自分じゃなくて向こうのほうだったのね。浮気相手は私のほうだったってか。

 浴衣を新調し、下駄も新調し、彼女自身での着付けでは着崩れも心配だったからわざわざ美容室を予約して着付けてもらっていたのだ。ついでにヘアセットもしてもらっていた。
 金も時間もかけてめかし込んだ。だって、恋人との初めての花火大会だったから。その仕打ちがこれである。
 待ち合わせ場所でしばらく愕然と立ち尽くしていた彼女は、ふと思い立った。そうだ、せっかく来たのだから花火を見よう、と。

 ――何よあんなやつ。あんな男のために浴衣を着たんじゃないんだから。
 私は私自身がこの花火大会を楽しむために、自分自身のためにおしゃれしたんだから。

 惨めすぎる自分に、そう言い聞かせたのだ。



 * * *



 そうして、結果がこれである。
 彼女は一人きりで花火を見るために心臓破りの石段を上り、慣れない下駄で足を痛めた。
 親指と人差し指の間は鼻緒で擦れて、ひどい傷になっている。出血もしていた。
 しかし、ずっとこの石段の踊り場で立ち止まっているわけにもいかない。花火を見るにしても帰るにしても歩かなきゃいけないのに、足が痛くて動けなかった。
 違う。痛いのは足だけじゃない。
 俯いたままの彼女の瞳から、ぱたりと雫が落ちた。



「おい、動けねえのか?」

 突然頭上から声が掛かった。
 彼女が反射的に顔を上げると、目の前に立っていたのは、黒髪のツーブロックが特徴的な目つきの鋭い男性だった。
 小柄だが、あまりに美しい顔をしている。切れ長の目に陶器のような肌。浴衣も甚平も着ていない無地のTシャツ姿だったが、シンプルな恰好が却って彼の美しさを引き立たせている。

「なんだ、べそかいてんのか? ……下駄か? ああ、擦れてんのか……こりゃ痛えな」

 突然現れた美青年に驚き声も出ない彼女を無視し、男性はしゃがみこんだ。痛々しい擦傷を見て、彼の声がわずかに曇る。

「ねーリヴァイ! どうしたのー? 置いてくよー!?」

 石段の下方から眼鏡の女性が叫んでいる。眼鏡の女性の隣には、金髪でガタイの良い男性が一人。
 眼鏡の女性と金髪の男性は、リヴァイと呼ばれたこの男の連れなのだろう。彼女はそう理解した。

「先に行っててくれ!」

 リヴァイの発した愛想のない声は思いのほかよく通った。眼鏡の女性と金髪の男性は頷くと、踵を返して石段を下りて行く。

「あ、あの……すみません、大丈夫なので」

 彼女が申し訳なさそうな声を出すと、リヴァイはキッと睨むみたいな視線を返す。

「大丈夫じゃねえだろ、その足じゃ。泣いてんじゃねえか。連れはどこにいるんだ? はぐれたのか?」
「……連れはいません。一人です」
「そうか」

 周りはみんな友人連れや家族連れ、カップルばかりで、こんな花火大会に一人で来ている人間は他にいない。答える彼女は、もう破れかぶれな気持ちだったが、リヴァイの返事は淡々としていた。事実を事実としてだけ捉え、憐れみを声色に一切入れないリヴァイの声に彼女は救われた。

「……で、お前はどこに行こうとしてたんだ? 帰るんだったら階段を下りるのか? 手伝うが」

 もともとは、花火を見に行こうと、石段を登ろうとしていたのだ。だがこの状況でそれを言うのも憚られる。

「どうした。上へ行くのか、下へ行くのか?」
「あ、いや……えっと……」

 しどろもどろになった彼女が答えられずにいると、リヴァイは石段に跪き、彼女に背中を向けた。

「ほら」

 向けられた背中の横から彼女を支えるための両腕が差し出されている。背負ってやる、の意だ。

「いや、いやいやそれは……大丈夫です、申し訳なさすぎるし」
「お前、歩けねえからそんなところに突っ立ってるんだろ? このままここにいても邪魔になるばっかりだぞ」

 正論を返されぐうの音も出ない。さっさとしろと促された彼女は、跪くリヴァイに向けられる周囲の視線も気になり、どぎまぎしながらリヴァイの背に負ぶさった。



――固い。広い。小柄に見えたのに。

 負ぶさった瞬間、彼女の顔にカッと熱がこもる。リヴァイの背中は見かけ以上に広く、そして固くて筋肉質だったのだ。
 出会ったばかりの男性に負ぶわれているこの状況が信じられなくて、彼女の心臓はばくばくと鳴っている。
 この時点で既に、二股をかけられていた恋人のことなど彼女の頭からすっかり抜け落ちていた。



 上に行くとも下に行くとも答えていなかったが、彼女を背負ったリヴァイは石段を登り始めた。

「あっ……あの」

 女性といえども、大の大人をを背負って軽いはずはない。せめて上るよりは下るほうが幾分か楽じゃないかと、彼女はリヴァイに声を掛けようとした。
 だが、彼女の声を遮ったのはリヴァイ本人だった。

「どうせここまで来たんだ。見て行けよ、花火」

 背負われている彼女の目の前には、白い首筋と黒い髪のコントラストがある。几帳面に刈り上げられた後頭部から、石鹸の香りがわずかに香る。ほんの少しだけ汗の香りが混じっているような気がした。
 鼓動は速まっていく一方だった。
 不愛想な表情と声色が故に、わかりにくい優しさ。
 今彼女は、その優しさに間違いなくときめいている。
 浴衣を一生懸命選んで新調したことや、時間とお金をかけて美容院で着付けてもらったこと。良かった、と彼女は今日初めて思った。
 一番かわいい自分でいられて良かった、などと思うことは、それ自体が恋の証だ。



 石段を上りつくすとその先はだだっぴろい広場である。カップルや家族連れでにぎわっているが、まだ座れる場所はありそうだった。
 空で、ドン、と一際大きな音がした。彼女を背負ったままリヴァイが上を向くと、彼女もつられるように空を見上げる。

「おお……三尺玉か」

 この花火大会の目玉の一つ、正三尺玉だった。
 夜空に白と黄色の菊のような大輪が咲く。今までの花火玉とは比べ物にならない大きさに観客もわっと沸いた。どこかから拍手が始まる。
 そう、この三尺玉が花火大会の目玉である。
 目玉、なのだが。

 ――目玉のはずなのに。花火を見るはずだったのに。
 どうして?

 夜空を覆う大輪の花よりも、自分を負ぶって空を見上げるその切れ長の瞳から、彼女はどうしても目が離せずにいたのだった。



【花火大会でリヴァイに恋をする話 Fin.】

   

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