部長と回転寿司を食べた話
01
「いらっしゃいませー! お客様一名様でいらっしゃいますか?」
平日の夜、閑散とした回転寿司屋。頷く私に、店員は「カウンターへどうぞー!」と接客の鑑みたいな声で案内する。
本日、とある離島に、我社がチェーンの大型スーパーマーケットを開店させた。その島は今時コンビニもないような田舎で、出店は大きなニュースとなった。
店舗立ち上げの監督及び開店初日の視察として、本社から私とリヴァイ部長がこの島に入ったのが三日前のことである。
この三日間、昼食と夕食は毎日仕出し弁当だった。昼が紅鮭弁当、夜がチキンカツ弁当。
ビジネスホテルでは夕食を提供しないし、コンビニもないので、よそ者が食事を調達するのは難しい。弁当の支給は会社からの厚意だったが、三日同じメニューはさすがに飽きた。
そういうわけで開店初日を無事に終えた今日、私は島唯一の回転寿司屋に来たのである。ホテルから徒歩圏内の飲食店はここくらいしかないのだ。
店内は、家族連れと老夫婦が一組ずつ。それと――
「……えっ!? リヴァイ部長!?」
「……なんだ、お前か」
カウンター席に、リヴァイ部長が座っていた。
「隣良いですか」と尋ねると、部長はジョッキを煽りながら頷く。
「一人で回転寿司か。寂しいな」
「部長、ブーメランですよ」
私は苦笑して言ったが、部長はくすりともせずに醤油をとって寄越した。
この人は本当に無愛想だが、部下思いで仕事に誠実な理想の上司だと、私は勝手に憧れている。今回部長と一緒に店舗の立ち上げに携われたのは光栄だったし、良い勉強になったと思っている。だけど。
「……いい加減、毎日同じ弁当に飽きちゃって……」
「まあ、そうだな。あれでも会社は配慮しているつもりなんだ。今度からはせめてメニューは変えるよう進言しておく」
いかにも中間管理職らしい台詞に、私はまた苦笑した。
「お前、飲むんだろ。ビールか?」
私が返事をするより早く、リヴァイ部長はタッチパネルで注文してしまった。
他にも「今日のおすすめはハマチだが」とか「マグロ食うか? タイは?」とか抑揚のない声で尋ねられ、返事しているうちに数皿頼まれている。部長は顔に似合わず、甲斐甲斐しく世話を焼いてくれた。
頼んだビールが運ばれてくると、私達はジョッキをガチンと重ね合わせた。
「お疲れ」
「お疲れ様でした」
喉から胃に向かって爽快な刺激が線を引く。何かをやり遂げた後のビールは美味しい。
「今日は無事にオープンできて良かったです。初日予算達成しましたし……明日心置きなく本社に戻れますね」
「ああ。お前達現場は本当にご苦労だったな」
「そんな、部長も現場の中心に入っていたじゃないですか」
これは事実だ。部長職ともなると実務をあまり把握しない者もいるが、リヴァイ部長は決してそうではなかった。
彼はマネージャーであり、優秀なプレイヤーでもある。部下の報告で納得がいかなければとことん突き詰めるが、その代わり何かあれば必ず責任を取る、そういう上司だった。
「まあ……予算達成は喜ぶべきところだが、それでも今日は単なるスタートだ」
部長は皿の少ないレーンを見つめながら神妙な顔で言う。
「俺達が建てた店舗が本当にこの島にとって価値のあるものになれるのか。
それはこれから、店舗がどれだけ地域に貢献できるかにかかっている。狭くない畑を潰しているんだからな」
そう、我社は建築地として個人の畑を買い取っている。
喜ぶ地主がいた一方で、「先祖代々の土地だ」と渋った方もいた。
お偉方からは「金を積んでさっさと片付けろ」と指示があったようだが、「札束で頬を叩くことはしたくない」と、罵声を浴びせられても茶を引っかけられても、粘り強く交渉を続けたのは他でもないリヴァイ部長である。
私は、部長の言葉にぎゅっと胸が潰されたようだった。
たった一日売上予算を達成しただけで、単純に喜んでいた自分を恥じる。
私達の間にしばしの沈黙が流れた。
「――悪かった。別に辛気くさい話をしたかったわけじゃねえんだ」
相変わらず抑揚のない口調。私はぶんぶんと首を横に大きく振った。
「尊敬しています、リヴァイ部長」
そう、口から自然と出ていた。
前後が省略されすぎていて脈絡のない台詞に、部長はぽかんとこちらを見つめる。
自分の口走った言葉があまりに足りなすぎると気づき、顔にかあっと熱が集中した。
「あ、いえ、その。仕事に対する姿勢とか。尊敬している、っていうか」
しどろもどろに紡いだが、最後は居たたまれなくて、私も寿司を口に押し込んだ。
「そうか、まあ光栄なことだがな。俺もお前のことは買っている」
「えっ!? そ、そうなんですか!?」
思いも寄らぬ言葉に、むぐ、と詰め込んだ寿司を詰まらせそうになる。
「真面目だし、あと裏表がねえからな。……なんだ、不満か」
「いえ、違います……ただ、思いもしなかったので。
……どっちかっていうと私のことなんてあんまり興味ないかと思ってました」
「……なんでそうなる?」
「だって、仕事ではもちろん面倒見ていただいていますが……この出張中も、これまで一度もお食事とか一緒にならなかったですし。
他の社員の方とは、出張中はよくご一緒されていたようでしたので」
「……ああ……それはな」
リヴァイ部長はごとりとジョッキをテーブルに置いた。
「お前が今回の出張に来ることが決まったとき、手上げした男共が何人かいた。そいつら全部切って俺が来ることにした、下心が見え見えだったからな。
まあその手前、俺は表立ってお前を食事に誘いにくかったし、況してや二人きりで酒なんて入れたことが知られたら面倒くせえと思ってな。誤解の種は蒔かないに越したことはない」
「そうだったんですね……すみません、ご配慮ありがとうございます」
今日も本当は声をかけない方が良かったのだろうか、とちょっとしゅんとしていると、部長はテーブルからジョッキを持ち上げた。
「そんな顔をする必要はねえ。本当は一度お前と一緒に食事したいと思っていた」
まっすぐな目でストレートに言われ、ドギマギしてしまった。
部長は、何と答えて良いかわからずもごもごしている私など一切気にしてない様子で、ジョッキを煽っている。
一緒に食事だなんて、もちろん「部下と」という意味だ。
特別なことなどないのだが、それでも胸が高鳴った。
私は存外惚れっぽいのかもしれない。
回転寿司屋からホテルまでは徒歩十分ほどだ。
田舎の夜は静かで暗い。
私は千鳥足だった。疲労のせいか、たったジョッキ一杯半で回ってしまったのだ。ちなみに隣を歩く部長はザルである。
「なんだ、お前そんなに弱かったか?」
「いえ……いつもはこんなことないんですけど」
「ほら、しっかりしろ」
ぐい、と部長に力強く手を引かれる。
部長は酔った部下の介抱のつもりなのだろうが、そんなことをされれば余計に酔いが回ってしまう。私の顔が真っ赤に染まっているのは、酒のせいだけではなかった。
結局ホテルの部屋の前まで健全に送ってもらい、私は酔っぱらいながらも恐縮してぺこぺこと頭を下げた。
「部長本当すいません、ありがとうございました、ご馳走様でした」
「明日8時ロビー集合だ。遅れるなよ。帰りの新幹線は待っちゃくれねえんだからな」
「はい、お疲れ様でした、ありがとうございました……」
踵を返した部長は廊下を進む。
――だが数歩歩いたところで足を止めこちらを振り向いた。
「お前……来月の大分の開店、一緒に来るか?」
「……えっ?」
ぼやけた頭で必死にぐるぐる考える。
らいげつのおおいたのかいてん。
……大分で、大型店舗のオープンがある。
「今回よりもっと大きな店舗だ。勉強にもなるだろう」
「……は、はいっ!」
思考が追い付いた瞬間、私は脊髄で返事をしていた。噛み付くような私の返事に、部長の口角がほんの少し上がる。
――笑った。初めて見た。リヴァイ部長が、笑った。
「わかった。今度は回らない寿司を奢ってやる」
部長はくっと噛み殺した笑い声を一つ落とすと、今度こそ踵を返して行ってしまった。
立ち尽くした私だけが、廊下に残されていた。
【部長と回転寿司を食べた話 fin.】