銀に惑う









【ご注意】
リヴァイにピアス描写あり。臍にも。




----------------------------------




 金曜日の居酒屋は騒がしい。平日からやっと解放されるサラリーマン達で満席なのだ。 
 それでも、エルドさんが完全個室の掘りごたつ席を予約してくれていたので、私達は喧噪にも負けずに会話できる。

 今日はプロジェクトが無事に終了した打ち上げだ。リヴァイ課長を筆頭に、先輩のエルドさん、同期入社のエレン、そして私。
 四人のチームで、半年間一緒に戦ったプロジェクトだった。



「はー、俺ちょっとトイレ行ってきます」
「あ、エルドさん俺も! 俺も行きます」

 宴席が始まってから一時間以上経ち、それぞれが二杯か三杯は空けた頃。テーブルの向かいに座っていたエルドさんとエレンが、座布団から立ち上がった。
 私の右隣に座っているリヴァイ課長は、シッシッと払うように手を振っている。「さっさと行って来い」の意だ。
 二人が廊下へ出て襖を閉めると、掘りごたつの個室には私と課長だけになった。



 少し、気詰まりな感覚だった。どこに目を向けて良いかわからない。
 同期のエレンとは気易い仲だし、エルドさんは四つ先輩だがよく話しかけてくださる。だがリヴァイ課長とは、エレンやエルドさんほど打ち解けられていなかった。
 課長が嫌いなわけではない。寧ろその逆というか、つまり好感を持っている。課長の仕事に対する姿勢を見て、私は純粋に彼を尊敬していた。
 だが尊敬する上司であれば尚のこと、馴れ馴れしくはできない。要するに、緊張していた。
 どこに目を向けて良いかは結局わからないまま、私はテーブルの上で山になった枝豆の殻を見つめていた。



「しかし、今回のプロジェクトは難儀だったな。お前もよくやってくれた」

 リヴァイ課長はテーブルの上のハイボールを持ち上げながら、穏やかな声を出した。
 労ってくださっているのにそちらを向かないのも失礼な話だ。私は緊張しながらも、横の課長を向いた。端正な横顔が目の前に来る。
 並んで座る私達の間は三十センチも離れていない。こんな至近距離で課長を見るのは初めてで、更に緊張してしまう。

「いえ! 全て課長のご指導のおかげで、……」

 声が、止まってしまった。
 思わず目を瞠った。



 リヴァイ課長の左耳に、ピアス穴がある。それも一つじゃない。
 耳たぶに三つ、軟骨にも三つ。……結構大きい穴だ。この距離だとよく見える。

 驚いてしまったのだ。課長は真面目で、部下思いで、成績優秀で。サラリーマンの鑑のような男性の耳に、こんなに大胆なピアス穴が空いているなんて。
 予想だにしなかった一面を見て、私の心臓はきゅっと縮こまった。

「……どうした?」

 私が急に黙りこくったため、課長はふいとこちらを向いた。目の前にあった彼の左耳が遠のき、代わりに鋭い瞳が私の前に来る。

「……あっ、あ、すいません。あの、お耳にピアス穴が開いているのを知らなくて。えっと、意外で」

 びっくりしちゃったんです、と笑って俯いた。

 俯いて、彼から目を逸らしたのだ。ピアス穴なんて珍しい物じゃないのに、なんだかいけないものを見てしまったような気がして。
 課長はハッと一つ笑い、ハイボールのジョッキをテーブルに置いた。

「意外か。まあ会社ではピアスなんてつけねえし、会社じゃなくたって十年以上つけてねえからな。若い時に……まあ、バンドやっててな。もう穴が塞がんねえんだよ」
「あ、そうなんですね……」

 バンド、それも意外だった。担当は何だったんだろう。ボーカル? ギター? 聞けば良いのに、聞けずにいる。
 全身に響く鼓動が速くて、そしてうるさくて。私は声も出せずに、暴走する胸を押さえていた。



 動揺ばかりで上手く喋れずにいる私に、リヴァイ課長はポツポツとピアスの話をしてくれた。
 反対の右耳も開いているとか、耳上部の耳輪に沿って開いているのをヘリックスというとか、耳穴前の軟骨に開いているのをトラガスというとか。
 相槌を打ちながら、恐る恐る俯いていた顔を上げる。彼の耳朶(じだ)に目をやると、課長は「ほら」と見えやすいように髪を掻き上げて押さえてくれた。

 差し出された白い耳朶(じだ)に、ハッキリと主張する黒いホール。骨張っている指の間からわずかに落ちる黒髪。

 思わず、ごくりと唾を飲んだ。
 艶めかしい。



「あ、ありがとうございました」

 自らの疚しさに耐えられなくなった私は、視線を彼の耳から外した。するとリヴァイ課長も、髪を押さえていた手をパッと離す。艶やかな黒髪はあるべき場所へと収まった。

「スーツのサラリーマンが、でけえピアス付けるわけにもいかねえからな」

 課長は言いながら、耳と同じく白い指で枝豆を摘まんでいる。
 爆速の鼓動をよそに、私は必死に平然を装った。曖昧に笑いながら、カシスオレンジを勢いよく喉に流し込む。やたらと喉が渇いていた。



「……これは、会社の誰にも言ったことねえんだが」

 しばしの沈黙の後、リヴァイ課長は唐突に口を開いた。チラリと見ると、彼もジョッキを持ったままチラリとこちらを見る。

「実はヘソにも開いてる」
「……えっ!?」

 私の声だけが大きかった。
 ぎょっと目を見開けば、課長の口角が左右非対称に上がる。少しだけ、意地悪そうに。

 ヘソ、って、おへそにもピアス穴があるってこと……だろう。へそピアス。
 耳の穴だけであんなに動揺したというのに。
 でもきっと課長は、私の動揺をわかっていて、敢えてへそピアスの話をしているのだ。

「ヘソも若い頃に開けた。そっちは誰に見られるもんでもねえから、今でも付けている。ワイシャツの下にな」
「ええっ!?」

 衝撃で頭がくらくらした。
 課長のワイシャツの下に、へそピアス。現役で。

 ミッション系女子校育ちの私には刺激が強すぎた。免疫がないのだ。
 こちとら挨拶は「ごきげんよう」で育ったクチの人間である。耳たぶのピアスも怖くて開けられないまま今に至るし、へそピアスなんて液晶か雑誌の中でしか見たことがない。
 尊敬する上司のギャップが許容量を超えた。目がぐるぐる回る。

「見るか? お前、へそのピアスなんて見たことねえだろう」

 課長はクッと笑って、ワイシャツの裾をスラックスから出す素振りをした。からかわれている。



 仄暗い個室の中で、黒のスラックスと白のワイシャツのコントラストを見せつけられ、私は多分、オーバーヒートしたのだろう。



「……み、見たい、です」

 掠れた声が、勝手に出た。
 鋭いグレーの瞳が瞠られた。



 呼び出しベルの機械音。叫ぶような店員の返事。遠くに響く爆笑と拍手。
 そんな室外からの音ばかりが、空間を埋め尽くす。
 対照的に、二人の間は沈黙だった。

 空気に耐えられなくなった私が、発言を撤回しようとした時だった。

「いいぞ」

 リヴァイ課長の脚が動いた。掘りごたつから黒いスラックスが抜かれる。



 薄暗いオレンジ色に照らされた、決して広くない空間。
 課長は畳の上に尻をついたまま、体育座りをするようにゆっくりと両膝を曲げる。そして、両脚を緩やかに開いた。
 いつの間にか私も掘りごたつから足を抜き、正座していた。
 畳の上、正座した私の真ん前で、尊敬する上司が下腹部を強調するように脚を開いている。

 目と目が合った。リヴァイ課長は視線を逸らさないまま、私の右手をぐいと掴む。
 強く右手を引かれた私はバランスを崩し、両膝と左手を畳についた。這いつくばるような姿勢になる。
 課長は私の右手を掴んだまま、もう片方の手で自らのワイシャツの裾をスラックスから出した。

「ほら」

 見たいなら、自分の手で捲れ。
 声こそ出ていないが、それは明確な指示だった。

 私は全身にじっとりと汗を掻いていた。解放された右手が震えている。
 彼の指示通りにワイシャツの裾をそっと持ち上げると、シャツの下の陰に、彫刻のような腹筋が覗いた。

 もう何の音も聞こえない。
 聞こえるのは、身体中で響いている自分の鼓動だけ。

 シャツの裾を持ち上げ、恐る恐る肌の面積を広げる。陰になっていた腹に照明が当たってゆく。
 私は、ハッと息を呑んだ。



 見えた。逞しく割れた腹筋の真ん中に、鈍い銀色が。
 あれは、あれは確かにおへそで、おへその上に銀が――



「ここまでだ」

 リヴァイ課長はサッと私の手を脇へ退けると、キビキビとワイシャツの裾をスラックスにしまい始めた。
 腰周りを元通りに整え、何事もなかったかのように両足を掘りごたつの中へと戻す。
 私だけが畳の上で四つん這いになったままで、ぽかんと呆けてしまった。



 次の瞬間。
 パスッと襖が開き、お手洗いから帰ってきたエルドさんとエレンが怪訝な顔で立っていた。

「あれ、お前這いつくばって何やってんの」

 私は四つん這いで呆けたままで、リヴァイ課長だけが涼しい顔でジョッキを煽っている。
 ……あと数秒遅ければ、どうなっていただろう。

「えっ、あっ、……いえ、なんでも……」
「なんだよ、変なやつだな」

 二人が座ると同時に、私も席へと座り直す。
 まだ全身で脈を打っている私は、ただただ黙ってテーブルの上のグラスだけを見つめていた。エルドさんやエレンが何か喋っているようだが、全然耳に入ってこない。
 グラスの中では氷が随分溶けていた。カシスオレンジはだいぶ薄まってしまっている。

「お前、氷溶けてるじゃねえか。なんか飲むもん頼み直せ」

 リヴァイ課長が横からドリンクメニューを差し出し、私の顔の前で開いた。
 動揺を押し隠して返事をし、メニューの文字をなんとか辿る。

 スッとリヴァイ課長の顔が近づいた。え、と思う間もなく、開いたメニューの影で囁かれる。

「この後、うちに寄るか? さっきの続きを見せてやる」



 全身を沸騰した血が巡った。
 顔が熱い。耳元が熱い。
 へその奥まで、熱い。



 メニューの影、すぐ横にいる課長の顔は見られない。視線を向けるなんて、とてもできない。
 だが私は無言のまま、小さく頷いた。



 すぐ隣にあった顔が、音もなく離れていく。いつの間にかメニューの影から出た課長は、何食わぬ顔でメニューをエルドさんとエレンにも向けた。

 エレンが卓上の呼び出しベルを押す。
 課長は、結局メニューを決められていない私の代わりに、勝手にカシスオレンジを頼んだのだった。





【銀に惑う Fin.】




   

目次へ

進撃のお話一覧へ




- ナノ -