烙印の少女(2018リヴァイ生誕祭)





01




王都ミットラスの地下に広がる、暗く、不衛生な地。
地下街と呼ばれているそこは、日も当たらず昼夜の区別がない。
そこに住んでいるのは、この壁の中のヒエラルキー最下層の人間達だ。
私もその一人。
日の当たらないここでは、季節の移ろいを感じることもほとんどない。だが、今は真冬であるということは暦と体感温度でわかる。地下街では、ろくな暖房もない家がほとんどだ。



私は、ドオッという派手な音と共に冷たい床に投げつけられた。

「ガキが……逃げようなんて無駄な真似をするんじゃねえ、ナマエ……」

ボロボロの身なりの私を見下ろしているのは、この娼館の館主である。



地下街で生まれ育った私は、先日両親を亡くした。
そこからは早かった。身寄りがなくなり、財産もなかった私は、住んでいた家を追い出された。
両親が揃っており彼らに庇護されて育った私は、この地下街で生きていく術を身に着けていなかったのだ。どうやって稼ぐのか、どうやって食べるのかを知らない。11歳の私は、あれよあれよと言う間にこの娼館に引っ張り込まれたのだった。
私は初潮を迎えて間もなかったが、こんな子供でも需要はあるようで、娼館にきたその日に男の相手をさせられた。私の初体験は娼館のベッドの上で、名も知らない汚い50代の男性だった。
両親が死んだ時に一生分の涙を流したと思ったが、この初体験の時も涙がやはり出てしまった。その涙を見た客は寧ろ、満足そうではあったが。



水揚げから数日。
この数日間、毎日複数の男の相手をさせられて、膣の痛みにもだんだん慣れてきた。
この数日間の様子を見て私が売り物になると判断した館主は、わたしの背中に烙印を押そうとした。私は烙印を押されるのだけは嫌だと、逃げ出した。

商品であることを示す烙印。それは、壁の中のヒエラルキー最下層である地下街の中でも、更に最底辺であることを示す、性奴隷の印だ。
烙印を押されることによって今後自分の人生がどうなるかは、学校に行っていない私でもわかる。一生地下から抜け出せないどころか、人間として扱われない家畜になり下がるのはどうしても避けたかった。
それに、単純に烙印を押されることそのものも怖かった。熱した焼きごてを皮膚に押し付け火傷させるのだ。どのような苦痛なのか想像がつかない。恐ろしかった。

私はぺたりと床に尻餅をつき、両手も後ろについて、私を見下ろしている館主を見上げていた。
冷たい床では、尻から冷える。真冬だというのに、今私が着ているのはぶかぶかの白いワンピース一枚のみだ。下着は上下共に何もつけていない。いつ客が来ても良いようにだ。
下着をつけていなければすぐに突っ込める。この店には、娼婦の下着すら脱がす手間を惜しむ客も多い。私達は穴としての存在価値しかないのだろう。

「ナマエ、諦めろ。そんなに悪いもんじゃねえ、この烙印は、お前は俺の店のもんだってことの証明になる。
なに、毎日きちんと働いてくれさえすれば食い物は食わせてやる。飢えて死ぬ心配はねえぞ?」

焼きごてを手に、館主はじりじりと私ににじり寄った。

嫌だ。
嫌だ嫌だ嫌だ。
一生家畜でいるなんて、嫌だ。

しかし、大の男の前に私は無力だった。
逃げ場を失った私の膝はがくがくと震え、恐怖で汗がじっとりと体中から噴き出していた。身体が動かない。

「ほら、後ろ向け。じっとしてねえと危ねえぞ。思いも寄らない場所に焼きごてが当たったら、痛えのはお前だからな?」

店主はわたしを俯せに組み敷き、ぶかぶかのワンピースの首元を下に大きく下げる。
私の背中が上半分まで露わになった。

「やめ、止めて……それだけは、嫌……」

懇願する私を無視し、店主は焼きごてを私の背中に押し付けた。

「イッ、ぎゃああああっ」

じゅううという背中を焼く音は、私の叫び声でかき消された。
熱い。痛い。
その2つの単語だけが頭を駆け巡る。

店主に押さえつけられていた身体を解放されると、私は痛みで床をのた打ち回った。じんじんする背中の痛みを堪えながら、はーっはーっと必死で呼吸をする。
涙がボロボロと溢れ出た。
火傷の痛みと、烙印を押された屈辱と、今後の自分への絶望からだ。

「いい子だ、ナマエ……よく頑張ったな。これでお前は俺のもんだ。
――そう言えば、お前をまだ味わってなかったな。処女を客に高く売ることばかり考えていたからすっかり忘れてたぜ。
さあ、今日の客が来るまで俺に味わわせてくれ。飼い主の言うことは絶対厳守だ」

館主が私の身体に手をかける。
私はもう抵抗する気力もなく、ただ瞼をそっと閉じた。



その時だった。
バアンと勢いよくドアを蹴破って入ってきたのは、男女入り混じった数人の大人達だった。

先頭に、緑の外套を羽織った小柄な男性。
とてつもなく目つきが悪い。三白眼でこちらを睨みつけている。
その男性の後ろには、7、8人が横一列に並んでいる。彼らの揃いのジャケットの胸元には、ユニコーンが刺繍されていた。
これは地下街でも見たことがある。憲兵だ。

「動くんじゃねえ!」

緑の外套の小柄な男は声を出した。
後ろの憲兵達はジャッと音を立てて皆銃を構えている。

「ひっ!?」

私に手をかけていた館主は目を白黒させ、慌てて私から手を離した。

「……おい、ここの娼館の館主はお前だな?未成年の売春は法律で禁じられているはずだ。
そのガキ……どう見ても18には満たねえが」

小柄な男は館主を睨む。

男は床に転がる焼きごてに目をやった。焼きごてはまだ熱く、湯気を発している。男はずかずかと進入すると私の腕を引っ掴んだ。

「おい、後は任せたぞ!他にガキがいねえか隅々まで調べろ!」

そう後ろの憲兵達に叫ぶと、私を引っ掴んだまま走りだし、店を飛び出した。
店の外に出ると男は私を抱きかかえた。

「しっかり捕まってろ」

そう言って、片手で私を抱き、片手でカチャカチャと何か握った。

それは、私も見たことがあった。窃盗団なんかが用いているが、高値で売買されているのを知っていた。
男は、立体機動装置と呼ばれるものを使い、私を抱きかかえたまま飛び上がった。

立体機動装置の使用には技術がいるらしいが、この男の立体機動装置の腕前は多分素晴らしいのだろう。
今まで見たどの窃盗よりも、そしてどの憲兵よりも、華麗で早い。
あまり見たことがないが、鳥が飛ぶとこのような感じなのだろうか。
私は男に抱きついたまま、初めて体験する風を切るという感覚を堪能していた。
地上へと続く階段を踏む必要もなかった。階段の上を飛んで、私は男に連れられそのまま立体機動装置で地上へ出た。



生まれて初めての地上は、白銀の世界だった。白い雪が降り積もり、家屋の屋根も道路も真っ白だ。
初めて見る景色だ。さっきから初めて体験することばかりで、私は背中の痛みも忘れてしまっていた。
男は、地面の雪を手で掬う。砂や石の混じった雪は男の手の平で溶け、最後は灰色の水になった。

「ここの雪じゃ駄目だな……」

そういうと、もう一度私を抱きかかえ高く飛び上がった。
数十メートル進んだだろうか。男が私を下ろしたのは、ウォール教の教会の屋根の上だった。

「背中を出せ」

男が私に向かって言う。私は訳がわからず、雪の中でぽかんとしていると、苛ついた様子の男が声を荒げた。

「早くしろ、冷やさなきゃならねえだろうが」

私はおずおずと、男に背を向けた。
男は、先ほど館主がしたようにワンピースの襟首部分を下げ、私の背中の上半分を露出させた。私の烙印を見たであろう男の顔が歪んだのが、気配で分かった。

「痛いぞ、我慢しろよ」

男は低い声でそう言うと、屋根の上の雪を掬い、私の烙印部分に当てた。

「ぎゃああああっ」

私はあまりの痛みに男の手を振りほどき、雪の上にのた打ち回った。
痛い。さっき焼きごてを当てられた時より更に痛い。
冷たいという感覚はなかった。ただただ、痛かった。納まっていた涙がもう一度ボロボロと流れる。私の汚いワンピースは雪まみれになった。
男は容赦なく私を捕まえ、跪かせた。後ろに回られると、もう一度背中を露出させられる。

「ひいぃ……っ、痛いの、いや……」

泣きながら訴える私に、男は先ほどよりいくらか優しい声で言った。

「痛いな。だが耐えろ。化膿して細菌でも入っちまったら命に関わることだってあるんだ。ここの雪ならまだ清潔だ、大量にあるしな」

そう言うと男は私を後ろから包みこむ。私の顔前には男の逞しい腕が差し出された。

「噛んでろ。痛いだろうが、もう少しだ」

男の優しい声に私は覚悟を決め、泣きながらもこくりと頷いた。

それを確認した男は、再び私の背中に雪を当てた。雪が私の背中でじわりじわりと融けていく。融け切ったら次の雪だ。

もちろん痛かったが、優しいこの男に応えようと思った。私は痛みで涙を流しながらも、もう逃げださなかった。
だが、腕は遠慮なく噛ませてもらった。男の腕からぎりぎりと私の歯が食い込む音がする。
いくら非力な子供とはいえ、こんなに思いっきり噛まれたら相当痛いはずだが、男はビクともしなかった。
良く見ればこの男、小柄だと思っていたが、私をすっぽりと包んでしまう。この男の方がやせっぽちの私よりも、一回りも二回りも大きかった。



一しきり私の背中を冷やし、男はやっと私の身体を解放した。
男は緑の外套と、その下に来ていたジャケットも脱いた。そしてびしょびしょのワンピース一枚の私を立たせ、ワンピースの上から外套とジャケットを着せる。

「あの……ありがとうございました……憲兵さんですか?」

私は、やっと自分から喋った。今までは、ぎゃあぎゃあ叫んだり嫌だと泣いたりしかしていなかったのである。

「俺は憲兵じゃねえ、調査兵だ。まあ兵士には違いねえが」

兵士さんはそう言って私の頭の雪を払う。

「お前……歳は?名前は?」

兵士さんは跪き私を見上げた。
跪いた兵士さんは立った私より低い位置にあるが、立つと私を見下ろす形になるから跪いてくれたのだろうか。

「ナマエ……11歳」
「本名か?」

私はこくりと頷き、続けた。

「数日前にあの館主に拾われたばかりで……まだ源氏名もついていなかったんです。でももう本名のまま客を何人か取ったし、評判も悪くなかったらしいから……きっとこのまま本名で売っていくことになるんだと思う……」
「ならねえ」

兵士さんの声が私の言葉を遮った。しんしんと雪は降り続く。さっき払ってもらったばかりなのに、私の頭の上にはまた雪が乗る。

「お前はあの娼館には戻らない。あの館主は法を犯した。未成年を売春させたんだからな。今頃憲兵にひっ捕らえられている。あの店は終わりだ」
「え、で、でも、あの店がなければ……私は帰る場所がない。寝床もないんです……」

善意で助けてくれたのだろうが、私は泣きそうな声を出してしまった。
事実、今の私はあの娼館で館主の言いなりになるしか生きる術がなかったのだ。あそこに帰れないとなれば、野垂れ死ぬだけだ。

「俺達は、お前のようなガキを保護しに来たんだ」

兵士さんはしっかりと私の目を見据えてそう言った。

「お前はこれから、孤児院に行く。そこで牛やら羊やらの世話をして働きながら、食って、勉強して、遊んで、眠るんだ。お前の生活は保障されている」
「こ、孤児院……?」
「地下から出たことがねえから知らねえかもしれねえが……先日、旧王制は滅んだ。新たなこの壁の王として、ヒストリア女王が戴冠した。新女王の方針で、この壁の中の困窮している子供達を一人残さず救えと、俺達兵士には命が下っている」
「で、でも私には……烙印が……」

背中にそっと手を回し、冷やされた烙印に手を触れる。
痛みはもう無いが、触ると烙印の形がはっきりと手に感じられた。冷やしてもらったから火傷の手当としては正しいのだが、だからといって押された烙印が消えるわけではない。
兵士さんは俯いて視線を逸らした私の顎に手を掛け、もう一度視線を合わせる。

「大丈夫だ。服を着てればこんなものわからねえし……これからはどんな男の前でも服を脱ぐ必要は無い。もう少ししてこの火傷の痕が落ち着いたら、烙印の上から俺が傷をつけてやる。
皮膚を綺麗に削いで、この烙印をわからなくしてやるよ。だからそれまで、おとなしく牧場で牛の世話をしていろ」

兵士さんは、そう言って優しい目をした。
いや、笑ってはいない。笑顔はないし、目つきが悪いのは変わらないのだが、なぜか私にはその目が優しく感じられるのだ。




   

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