きみの果て





【ご注意】

進撃原作最終話読了後に書いた、個人の妄想の産物です。
リヴァイ夢のつもりで書きましたが、夢要素はほぼありません。
リヴァイの大切な人が、過去に亡くなった描写があります。

・キャラ崩壊注意。
・ファルガビ要素有り。

大丈夫そうな方だけご覧ください。




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 857年。
「天と地の戦い」と呼ばれたあの日から3年。



「じゃあリヴァイさん、俺、庭の草むしりしてるんで! 何かあったらガビを寄越して下さいね!」
「いいっつってんだろ、草むしりなんて……」
「いいから! 俺、好きでやってるんですから!」

 引き留めたって無駄なのはわかっていた。こいつはいつもそうなのだから。
 ファルコとガビは、しょっちゅう二人でこの家へやって来る。来る度に、草むしりやら便所掃除やらをしていくのだ。
 腕まくりをしたファルコが庭へ出て行くと、残されたガビは、勝手知ったるというように台所でやかんに湯を沸かし始めた。この家の間取りや使い方は、既に熟知されている。

「お前ら……勉強やら家の手伝いやら、他にやることもあるんだろうが。無理に来ることはねえ」

 つっけんどんに言うと、ガビはやかんの前でくるりとこちらを振り返る。
 爛々とした大きな目。ガキの目っつうのは、どうしてこうなんだろうな。

「でも、本当は綺麗好きなんでしょ? リヴァイさん。家が綺麗なほうが良いじゃないですか」
「……誰がそんなことを言っていた?」
「見てればすぐにわかります。それに私達成績優秀だから、学校の勉強なら問題ないよ。まあ、ファルコより私のほうが成績全っ然上だけどね」

 ガビは大きな目を細めて、からからと笑った。
 やかんからシュンシュンと音が立ち始める。時計の針は、丁度二時を指した。


 * * *


「静かな場所に暮らしたい」。俺が唯一出した希望だ。
 その希望を聞いたアルミンやジャン、オニャンコポンらが、この家を手配してくれた。
 注文通り、街からだいぶ離れた場所に位置している。もはや森の入り口に近い。古い住宅だったが、俺一人で住む分には何の支障もなかった。

 俺は、パラディ島へ戻らなかった。
 アルミン達と同じ選択となったが、あいつらの選択は俺には関係ない。俺は俺の意志で、この地に留まることを選んだ。
 この地で、一人で静かに生きていく。
 いつか生を終えるときも、一人で静かに終えたい。
 そう思っていたのに、なかなか一人静かとはいかなかった。ガビとファルコの他にも、ジャン、コニー、アルミンなんかがしょっちゅう訪ねてくる。時々オニャンコポンも、街の土産やらなんやらを持って現われた。
 俺の家には、三日にあげず誰かしらかが訪れた。


 * * *


「これ、何ですか?」

 ガビが指差したのは、食卓に無造作に置いてあった紙袋だ。
 質問には答えず、開けてみろと視線で促す。素直に紙袋に手を突っ込んだガビが取り出したのは、何の変哲もない丸パンだ。
 ガビは怪訝な視線を俺に向けた。

「そいつは、エルディア名物『固いパン』だ。昨日ジャンとコニーが置いていった」
「『固いパン』……」

 ガビは引き攣ったように笑うとやかんの火を止め、紅茶の支度を始めた。
 俺は松葉杖を横にやり、食卓の椅子へ腰掛ける。外に出るときは車椅子のことが多いが、家の中では松葉杖で事足りるのだ。



「天と地の戦い」で英雄となったアルミン、ジャン、コニー、ライナー、アニ、ピークがパラディ島から帰ってきたのが一昨日のこと。そして、ジャンとコニーが「エルディア土産」のこのパンを置いていったのが、昨日だ。

 連合国大使としてパラディ島を訪れた彼らに、状況の仔細は尋ねなかった。
 だがジャンとコニーの疲れた顔を見れば、大使らがパラディ島でどんな歓迎を受けたかは想像に難くない。



「固いパン」は調査兵団の名物だった。
 あの頃、貧乏兵団として名高かった調査兵団の食堂では、いつもこのパンが出されていた。憲兵団なんかは金があったから、もっと柔らかくてバターの利いたパンだったが。

 調査兵団は、もうない。憲兵団も、駐屯兵団もない。
 今エルディア国にあるのは、エルディア軍だけだ。

 エルディア国は、決して裕福な国ではない。だからこその固いパンである。
 義勇兵がやって来て、エルディア国がどんどんと発展をしていた時期には、柔らかいパンが主流になったこともあった。だが今では、再び固いパンが庶民の食卓に載っているらしい。
 もっとも、貧しいのはエルディア国だけではない。エルディア国も地鳴らしの被害を受けているが、それ以外の国ももちろん多大な被害を受けている。今、世界中のどこもかしこもが貧しかった。
 だがそれでもこんなに固いパンは、この地ではなかなかお目にかかれない。変な話だが、故郷の味のようなものだった。



 ガビは沸いたお湯をポットに移した。瞬間、紅茶の香りが立ちのぼる。
 こいつの紅茶の入れ方も、随分と上手くなったもんだ。紅茶をほとんど淹れたことがなかったガビの茶は、最初は飲めたもんじゃなかった(ジークやらはコーヒー派だったらしい、道理で相容れないわけだ)。だが今ではなかなか上手く……そう、かつてのエレンくらいには上手くなった。
 俺だって指の二本や三本無くたって茶ぐらい淹れられるが、今ではガビがポットを持った時には、黙ってやらせることにしている。

「茶の時間だ、ファルコを呼んでこい。お前らにもエルディア土産を食べさせてやる」

 そう言って固いパンを袋から出したが、ガビはもじもじとしたまま席を立たない。

「……どうした」
「リヴァイさん、私聞きたいことがあるの。……できれば、ファルコのいないところで」

 俺は黙ったまま固いパンを皿に載せ、ずいとガビの前に突き出した。
 だがガビはパンにも、自分が淹れた紅茶にも手を付けずに、視線を泳がせている。

「……リヴァイさんてさ、好きな人とか……いますか?」
「……なんだそりゃあ」
「教えてよ」

 ガビは顔を真っ赤にして、噛みつくように言う。
 思春期。俺にはもう思い出せないほど昔のことだ。面倒くさいことを聞かれたもんだと、思わず天を仰ぐ。

「……ファルコとなんかあったか? つうか……ファルコの気持ちは、三年前から知っているだろうが、お前」
「そうだけど!」
「こんなおっさんに恋愛相談なんかするんじゃねえ、お前は完全に相談する相手を間違えてる。惚れた腫れたならお前ら二人で話せば良い、なんならここを貸してやる。今ファルコを呼んで……」
「待ってよ! 真剣に聞いているのに!」

 涙目のガビがガタンと立ち上がり、腰を浮かせた俺に縋り付く。
 ガキの必死の形相に、俺は仕方なく再び席に着いた。

「昨日ファルコに改めて言われたの、『好きだ』って……。ねえリヴァイさん、好きとか愛とかって、どういうこと? 私よくわからないの」
「わからない?」
「わからないよ……だって、学校じゃ教えてくれないし」

 ガビもファルコも、戦士候補生だった。
 戦士候補生というからには、頭も悪くないのだろう。マーレの戦士教育には座学も多くあったはずだ。その戦士候補生の中でも、ガビは一番の成績だった。
 地頭は悪くないはずなのに、真面目で融通の利かないガビは、こういった色恋沙汰には疎いのだろう。

「リヴァイさんは好きな人、いないの?」

 俺は、ストレートすぎるガビの質問にすぐ答えられるほど、器用な人間ではなかった。

「好きな人」。
 俺だって、恋愛の一つや二つ、してこなかったわけじゃない。
 だが「好きな人」と簡単に言うには、俺達の置かれた状況は過酷すぎた。恋だの愛だのが優先できる世界ではなかった。
「好きな人」が、今日命を落とすかもしれない。明日命を落とすかもしれない。互いにぬくもりを分け合った相手が、次の晩にはこの世にいない。そんなことが常だった。
 だがそれは、戦士候補生だったガビとファルコも一緒だ。こいつらはこいつらで、浮ついた気持ちで恋だの愛だのを語っているのではないのだろう。

 俺は音を立てて紅茶をのみ、十分な間を取ってから質問に答えた。

「……まあ、いたな」

 その途端、大きいガビの目が更に見開かれる。

「いた、の? ……過去形?」
「ああ、いた」

 その人物が既に故人だと、ガビはすぐに察したのだろう。「そっか」と小さく言って、ガビも紅茶に口をつけた。



 俺は、固いパンをちぎって口に入れた。
 懐かしい味だった。あの頃となんら変わらない味。調査兵団の食堂で出たパンそのものだ。ジャンとコニーが、このパンを土産に持ってきた気持ちがわかる。

 ティーカップから湯気が穏やかに立ち上っている。それはまるで凪のように。
 この凪はいつか終わる。恋だの愛だのを知ったら、きっともっと不穏に揺れる。
 それでも良い、こいつらは若いしな。



「私、ファルコに応えられるかよくわからないの。リヴァイさん、好きってどういう気持ち?」

 ガビはテーブルに突っ伏し、くぐもった声を出した。
 居たたまれないことこの上ない質問だったが、ガキの真摯な問いには真摯に答えようと、俺なりに考える。

「まあ……死んで欲しくないとか……死ぬ時は一緒だとか……いや、」

 考えて考えて、一番しっくりくる言葉を思いついた。

「幸せになって欲しい、だな」



 そうだ。俺は、あいつに対してそう思っていた。
 今でもそう思っている。俺のいない世界で、空の上で、幸せでいて欲しいと。
 きっとあいつも、俺に対して幸せでいて欲しいと思っていたはずだ。そう思えるほどには愛をもらっていた。

 愛。この世で一番恐ろしいものだ。俺達は身をもって知っている。
 人を変え、人を縛り、人を突き進ませ、そして人を満たす。



「……そっかあ……幸せ、かあ」
「そろそろいいか? むず痒くて死にそうだ。ファルコを呼ぶぞ」
「ねえ」

 立ち上がって松葉杖を手にした俺を、ガビが声だけで制する。
 立ち上がったままガキを見下ろせば、子供とも大人とも言えない瞳が揺れていた。



「リヴァイさんは、今幸せ?」

 ガビの口から零れたそれは、とても難しい質問だった。



 幸せだろうか、俺は。
 たくさんのものを失って、大切なものがどんどん俺の手から零れ、
 それでも俺は、まだ生きている。



 答えないまま、紅茶を啜る。ガビは黙って俺をじっと見ていた。
 カップをソーサーに置いても、俺は答えられないままでいた。手持ち無沙汰のまま固いパンを手に取る。

 固いパン。あの兵舎で何度も食べたパン。
 あの兵舎、あの壁、あの島。海、そして海の向こう……今となってはこちら側だが。
 俺達はあの島で生まれ、あの島で出会い、数え切れないほど失い、とうとうここに辿り着いた。
 巨人のいない世界に、辿り着いたのだ。



 固いパンを持った俺の口から、勝手に言葉が零れた。

「まあ、悪くない」



 大きな目を揺らしていたガビは、にっと白い歯を見せて笑った。がたんと立ち上がり、玄関へ向かって駆けてゆく。

「ファルコ、呼んでくる! リヴァイさんは座ってて!」

 そう言って、ガビは玄関のドアを開けて出て行く。
 開け放たれたドアから草を踏みしめて駆けて行く音が聞こえ、青々とした匂いが鼻をくすぐった。



 季節は巡る。夏がもうすぐやってくるだろう。



 俺は、ファルコの分の固いパンを皿に載せ、ドアの向こうに広がる一面の緑を清々しく眺めていた。





【きみの果て Fin.】

   

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