神よりも、もっと





【ご注意】

進撃原作115話読了後の、希望的観測による捏造です。
ハンジさん視点です。
夢主が既に故人という設定です。

大丈夫そうな方だけご覧ください。




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65キロ。
男性にしてはかなり小柄な彼だが、その筋肉量は凄まじいのだろう、背丈と骨格に見合わない体重だ。
しかもその身体は、一切自分の意志で動けない。
私は自分の力のみで彼を抱えて、降雨後で水量の増えた川を渡らなければならなかった。
とにかく重かった。
彼と自分が沈まないように、溺れないようにするので精一杯だった。

「げほげほげほっ、げほっげほっ」

どのくらい流されたのか分からないが、とにかく川岸には辿り着いた。派手に咳き込み口の中の泥土を吐きだす。この大河を、彼を抱えて渡りきれた自分の幸運に感謝した。

大丈夫だ。私にはついている。
私はイェレナ達や在りし日のニック司祭のように、誰かや何かを神として崇め奉ることはしない。だが、神よりももっと信じられるものが私にはついている。そして、彼にもついている。

「……助けてくれたのか?モブリット……」

モブリットだけではない。
恐ろしく頭が回る金髪碧眼の悪魔も、いつも人の匂いを嗅いでいる失礼な大男も……。
私達には数えきれない魂が、その心臓が、ついている。そして、その心臓の中にはもちろん彼女も含まれている。

「ナマエ……あなたもリヴァイを助けてくれたんだね?」

愛しい男を残してシガンシナで散った、彼の最愛の女性も。

私はリヴァイを河川敷に横たえ、彼の手首に自らの人差し指と中指を触れた。先ほど発見した時、川に飛び込む前に確認できた脈が今は確認できない。自発呼吸もしていない。心肺停止状態だろう。
だが、まだ間に合う。心臓が止まってからそう時間は経っていないはずだ。

気道確保、心臓マッサージ。新兵の時に叩き込まれ、今まで壁外では何度も行ってきた。ずっと人員が不足していた調査兵団では、救える命は救わないと回らなかったからだ。
だが、まさかこの男に――人類最強に、心肺蘇生を行うことになるとは。

彼の口の中の汚泥をできる限り取り除き、胸骨を圧迫する。強く、速く、律動的に。

この男を死なせてはならない。
この男を死なせてはならない。

「ごめん、緊急事態だ。あなたも許してくれるよね?」

私はリズミカルな圧迫を続けながら天を仰いだ。雨は止み、黒い雲の隙間からところどころ日光が差している。

彼女は聡明で、優秀な兵士だった。もちろん心肺蘇生法も心得ていたし、何より愛する男の命の危機に、唇の一つや二つでガタガタ言うような小さい女ではなかった。
私はリヴァイの唇に自身の唇を重ね、思いっきり空気を送り込む。彼の唇からは血と泥と川の濁った水の臭いがした。

彼の右目はもうダメかもしれない。私の左目と同じように使い物にならない可能性が高いだろう。
指も二本……再接着はできない。川の向こう岸へ置いてきた。今までと同じようにトリガーを引くことはできないだろう。

でも、まだだ。
心臓はまだだ。

リヴァイ、あなたの心臓はまだ捧げてはいけない。
私が必ずもう一度動かして見せる。

空気を送り込んだら、また心臓マッサージだ。とにかく早く、リズミカルに。力も要る。私は必死に胸骨を押し続けた。

「――ちょっと!!いつまで寝てるんだって!!」

大声で呼ぶことも、意識を取り戻すのには有効だったはずだ。
この男の感情を一番揺り動かすことを叫んでやれ。

「あんたねえ、こんなとこで死んで良いと思ってるの!?
エルヴィンとの約束はどうした!獣を仕留めるんじゃなかったのか!?」

必死に声を振り立てながら、律動的な圧迫を続けた。腕が疲れれば、ほんの10秒ほど人工呼吸に切り替えて。そしてまた心臓マッサージに戻る。

「――ナマエだって!!リヴァイがこんなところで死ぬのを許すと思う!?
まだ何も……何も達成してないじゃないか!!私達は!!今死んだってあの子は喜ばないよ!!
まだだ!心臓を捧げるのは今じゃない!!」

心臓マッサージはただでさえ体力を使う。更に私は叫びながらそれを行っていた。
額や背中には既にびっしょりと汗を掻いているのに、リヴァイは目を覚まさない。自発呼吸の気配も感じられない。

涙で目が滲んだ。潰れた左目はとうに見えないが、右目の視界まで奪われ、眼前の男の顔が見えない。

私は再び天を仰ぎ、今度は空に向かって叫んだ。

「ナマエ――っ!!
助けてくれ!!助けてくれ!!」

リヴァイの唯一愛した女性。
リヴァイと将来を誓いながら、シガンシナに散った女性。

「ナマエの一番愛しい男を……リヴァイを助けてくれ!!
まだ……まだそっちには行かなくていいだろう!?ナマエは、リヴァイに長生きして欲しがっていただろう!?
力を貸してくれ!!頼むから……!!」

最後の方は、声が涙で滲み、震え、自分でも何を言っているのかわからないような声が出た。

次の瞬間だった。

「――カハッ」

小さな音と共に、リヴァイの口から泥と血と水が吐きだされた。
ばっと彼を見れば、彼の胸は僅かに上下している。顔に耳を近づけると、はあ、はあ、と弱々しいながらも彼の口から呼吸音が聞こえた。

「……!!」

私は思わず、再び天を仰いだ。
上を向いた瞬間に、目尻に溜まっていた涙がぼろりとこぼれた。

神なんて信じていない。そんなものが本当にいるならば、このパラディ島はこんな運命を辿っていないはずだ。
私の信じた仲間は、仲間の魂は、神なんてもんじゃない。神よりももっともっと私達に力と奇跡を与えてくれる。
黒い雲の間から差す光は、在りし日の彼女の凛々しい眼差しに見えた。

「あんたの恋人は最高だよ、リヴァイ」

私は涙を腕で拭うと、リヴァイを背負った。疲労困憊の私に65キロの彼の身体は重かった。
だが、私は背負えるのだ。歩けるのだ。走れるのだ。私の信じた仲間を思えば、不思議と身体が動くのだ。
仲間は私達に奇跡を与えてくれたのだから。

私は前を見据え、前だけを見据え、リヴァイを背負ったまま走り出した。
耳元で彼の弱々しい、だが確かな呼吸を感じながら。





【神よりも、もっと Fin.】




   

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