社畜の恋





02




* * *



数週間後、営業部の大きなイベントである商談会が終わった。
この商談会は半期に一度、取引先の人間をイベントホールに招き数日間にわたって開催される、営業部の一大イベントだ。
規模が大きいため、営業部以外にも社内全部署から協力を仰ぐ。この商談会が今後半年の業績を左右すると言っても過言ではない。

商談会前と会期中は徹夜続きだった。
自身の仕事の他にも、会場の設営、会期中の夜は自分と部下の分の接待。女は接待で重宝にされるため、他の担当者の接待に駆り出されることもあった。
残業も本当なら思いっきりしたかったのだが、先日コーヒーショップで言われたことを気にしていた。
私が残業しすぎることでリヴァイ課長の評価を下げたくなかったため、あまりに長くなりそうなときは家に仕事を持ち帰った。土日も返上して自宅で仕事をしていた。

もっと部下に仕事を振れば、もう少し自分の仕事が減るのはわかっている。
だが、自分でやったほうが早いのだ。それに、部下にさせてミスがあったら結局やり直すのは自分だ。

私は約3週間に渡って、睡眠時間はアベレージで3時間、最後の3日間についてはほぼ徹夜で商談会を終えたのである。



商談会翌日は、営業部の人間は有休を取るものも多い。
だが私はそうもいかなかった。今日は商談が入っている。同行する部下のダミアンも出勤だ。

その日は、朝から具合が良くなかった。昨日までの疲れを引きずっているのだろう。
午前のパフォーマンスに影響するから朝食は必ず取るようにしているのだが、その日はどうしても食が進まず何も口にすることができず、水だけ飲んで出社した。

腹部に違和感を覚えたのは、会社に着いて朝礼を終えたあたりだ。いや、違和感じゃない。痛みだ。
――すごく痛い。どうしたんだろう。
11時から先方で商談があるのに。10時半には会社を出ないと間に合わない。
痛いのは鳩尾だ。何か悪い物を食べただろうか。いや、昨日の夜は接待で大したものを食べていない。それに、腹を下した時の痛みとは違う。
生理痛でもない。だいたい生理はまだまだ先だ。

あ、これやばい。やばいやばいやばい。

痛みに耐えかね、私は女子トイレに駆け込んだ。
一先ず鎮痛剤を飲み個室に閉じこもる。しかし鎮痛剤はなかなか効かない。それどころか、どんどん痛みが強くなっている気がする。
しかし、商談の時間が迫っている。もうそろそろ会社を出る準備をしなければ、と思い、這うようにしてトイレから出た。

私の額と背中は、冷や汗でびっしょりと濡れていた。立って歩いているのも辛い。よろよろと廊下を歩き自席を目指す。
なんとか営業部のフロアまで戻ってきたが、ドアを開け、だがそこでしゃがみこんでしまった。

「ちょ、ちょっとナマエさん!?」

突然しゃがみ込んだ私にびっくりした後輩たちが寄ってきた。ダミアンに肩を貸してもらい、なんとか立ち上がる。

「ナマエさん、どうしたんですか?体調悪いんですね?」
「……ごめんダミアン……お腹、痛いの」

ダミアンに支えられながら自席へ戻ろうとよろよろ歩く。

「ナマエさん、今日の商談俺が」

ダミアンがそこまで言ったところで私達の前にでっぷりとした影が立ちはだかった。
部長だ。

「なんだ、ミョウジ君。体調不良か?」

禿げ頭で巨体の部長は私を見下ろした。
その声色がどこか嬉しそうなのは気のせいではあるまい。つつくべき場所を見つけたのだ。さぞかし嬉しいだろう。

「体調管理くらいできなくてどうする?君は仮にも係長だ、部下に示しがつかないだろう。
やはり君のような若輩者の女性には係長は無理だったかな?君、そろそろ出ないと、商談に間に合わないんじゃないのか?」

ジジイ、今お前の相手している元気はないんだよ……とはもちろん言えないし言う気力もない。やっとのことで返事をする。

「部長、申し訳ありません。体調がどうしても優れず……今日の商談は」
「ミョウジ君、君は体調不良ぐらいで先方との約束を破るのかね!?係長が聞いて呆れるな!今日取れるはずの契約、取れなかったらどう落とし前をつけるのかね?
昨日までの商談会で営業部は全社的にフォローをもらっているんだぞ!数字をとって社に報いるのが当然だろう?これだから女は!」

攻撃箇所を見つけた部長は、ここぞとばかりにつついてくる。そんなに達者な口をお持ちなら、あなたが代わりに商談に行ってくれ。

「気合が足りないんだ!体調不良がなんだ、気合で治せ!自分の仕事くらい這ってでも行ってこい!」

私は何も言えずにただ黙っていた。痛みはどんどん強くなっていく。冷や汗が止まらない。

「どうした、とっとと行きなさい!営業部に恥をかかせるな!」

肩を支えてくれているダミアンが、怒りで震えているのがわかった。
だめだ、ここでダミアンをキレさせてはいけない。

「はい、承知しました……。
ダミアン、ありがとう……もう大丈夫だから、離して。歩けるわ」

しかしダミアンは私の肩を離さない。

「ダミアン」

いくらか強い口調でダミアンを諌め、大丈夫だからと目線で合図する。ダミアンは不安そうな目のまま私の肩から手を放した。
部内の人間の視線が私と部長に刺さっている。きっと憐れまれているのだろう。出たがために打たれた杭を。
私は一人で歩き出したが、どうしても腹の痛みに耐えられず、その場に崩れ落ちそうになった。

「ナマエさん!」

膝が崩れるその瞬間、ダミアンが叫び――
床に倒れ込む寸前で私を抱きかかえたのは、ダミアンではない。
私を支える筋肉質な腕の主が誰かと、朦朧とする意識の中で顔を見上げる。

「……かちょう……」

社内ミーティングから戻ったリヴァイ課長だった。



「ダミアン、悪いがナマエの代わりに先方に向かう準備をしてくれ」

リヴァイ課長は私を抱きかかえたまま、ダミアンに指示を出す。

「は、はい!ナマエさん、PCのいつもの共有フォルダに先方の情報入ってますよね!?」

私はダミアンに向かってなんとか頷く。

「ナマエ、お前は帰る支度をしろ。車で家まで送ってやる」

課長はそう言って、私を抱きかかえたまま私のデスク前まで向かう。

「アッカーマン!お前はまだ俺の意見を聞かずに勝手なことを……」
「部長」

リヴァイ課長は椅子に私を下ろすと、部長に向き直った。

「ミョウジの今の状態では、逆に先方に失礼になります。
それに、体調の悪い部下を無理に働かせているのを先方にお見せしては、上長、ひいては部長の管理能力を疑われてしまうのでは?それこそ営業部の恥になるかと」

冷たい目と冷静な声で部長に言ってのけたリヴァイ課長は、部長がぐうの音も出ず黙り込んだのを見て、すぐに私に視線を戻す。

「ナマエ、準備できたら駐車場に行くぞ」
「……はい……」

庇ってくれたことと、情けないところを見せてしまったことで、私の目には涙が溜まってしまった。



「おいナマエ、歩けるか?無理だな?」

廊下に出た課長は、私を歩かせるのは無理だと判断し、再び私を抱きかかえる。もう声も出ない私は課長にされるがままだ。

「……家どころじゃねえな、お前は病院だ」

課長は冷や汗でぐっしょり濡れている私を見て舌打ちをする。

「きゅ、救急車呼びますか!?」
「いや、俺の車で行く。そのほうが早い」

気を利かせた誰かが救急車を提案したが、課長はそう答え――
私の意識はそこで途切れている。




   

目次へ

進撃のお話一覧へ




- ナノ -