社畜の恋





01




この国のハブステーションとして名高い駅。そこからほど近い場所に、近代的な高層ビルがそびえ立っている。
そのビルの30階から50階までを占めているのが、フリューゲルコーポレーション。世界的に有名な総合商社であり、私の勤めている会社だ。



私は部下のダミアンを従えて商談から戻ったところだ。ビル1階のゲートで社員証をかざすと、ゲートはピッと音を立てて開いた。
30階でエレベーターを降り、部署に戻るため廊下を歩く。廊下にカツカツという私のヒールの音と、コツコツというダミアンの革靴の音が響いた。

「ただ今戻りました」

ガチャリとドアを開けて私達二人が戻ったのは営業部だ。
この30階は、社の受付スペース以外は全て営業部が使用している。

フリューゲルコーポレーション 営業部 第三営業課 係長。
それが私、ナマエ・ミョウジの役職名だ。

私はダミアンを連れたまま、自分の席には戻らず、まっすぐ上長の席に向かった。

「リヴァイ課長、ただ今戻りました」
「ああ、ご苦労」

第三営業課のリヴァイ・アッカーマン課長は、私の直属の上司だ。
私はクリアファイルに挟んだままの状態で、先ほどの商談の結果を手渡した。

「無事に本契約取り付けました。こちらが契約書です」

リヴァイ課長は契約書を片手で受け取った。中の書類を一瞥し、こちらに向き直る。

「良くやった。タイタン社を獲るとは流石だな、ナマエ」

課長はそう言って私を名指しで評価してくださったが、私は一歩後ろに立っていたダミアンの背に手を回し、ずいっと前へ押し出す。

「いえ課長、今回契約を獲ったのはダミアンです」
「えっ……いや、お、俺なんて……」

ダミアンは慌ててしどろもどろな声を出した。

実際、プレゼンの資料を準備したのもプレゼンしたのもほとんど私だ。
サッカーで言うなら、ゴール前までドリブルで敵の間を掻い潜りボールを運んだのは私で、更に言えばゴールキーパーも引きつけておいた。お膳立てされたガラ空きのゴールにボールを突っ込んだのがダミアンだ。
だが、それでいいと思っている。ダミアン名義の契約が今月はなかなか取れなかったから、ダミアンに契約を取らせるように、わざわざそのように動いたのだ。
部下の成績が悪ければ指導されるのは上司である私だ。

「そうか。ダミアン、お手柄だったな」

リヴァイ課長は立ち上がり、ふっと薄い笑みを浮かべながらポンとダミアンの肩に手を置いた。

「いえ……ありがとうございます」

ダミアンはかっと顔を赤らめ、嬉しそうにした。



リヴァイ課長は、この営業部のエースである。
営業部には第一課から第三課まであり、リヴァイ課長は営業部に三人いる課長のうちの一人だ。
小柄ながら眉目秀麗、無愛想だが部下思いで情に篤い人格で、男女問わず人気が高い。社内にはリヴァイ課長のファンクラブが存在しているくらいである。

実は私も淡い恋心を抱いているが――誰にも言ったことはない。
もちろんファンクラブには在籍していない。そもそも同じ営業部でファンクラブに在籍しているなどと本人に知られたら、気まずいことこの上ない。ファンであることを公言しているのは、広報や総務、受付嬢など、部署が違う者がほとんどだ。

自席に戻った私は商談で使った資料を片付けながら、リヴァイ課長をちらりと見た。
パソコンに向かう横顔は美しすぎて、多分何時間でも見ていられる。サラサラの黒髪の隙間から覗く目は鋭く、まるでオオカミの様だ。

――かっこいいな……

心の中だけで眼福を堪能した。
別に見た目だけで課長の事を好きになったわけじゃないが、かっこいいものはかっこいい。

私はこの恋心を外に出すつもりは毛頭ない。見込みがないからだ。
社内で一、二位を争う色男のリヴァイ課長に目に向けていただけるとは思ってもいない。心の中でこっそりこの恋心を大切にしているだけだ。
例えば課長が誰かと結婚するとか、きっといつかはこの恋心にも終わりがくるのだろうが、それまでの間は大事に大事にこの気持ちに浸っているつもりだ。



そこへ営業部のドアがガチャリと開き、でっぷりと体格のいい初老の男性が入室してきた。営業部の部長である。
部長は「おはよう」と言いながら部長席までのそのそと巨体を進める。
おはようじゃない、おそようだろ、と重役出勤の部長に心の中で悪態をついた。

みな口々に「おはようございます」と挨拶しながら巨体が通れるよう椅子をどける。
部長は、ホワイトボードの前でぴたりと歩みを止めた。
営業事務の女の子が営業成績を示すグラフのメモリを塗り進めていたところだった。先ほどのダミアンの契約をグラフに反映していたのだ。

「おっ、ダミアン君!何か契約が取れたのかな?」
「は、はい!タイタン社と先ほど本契約を結んでまいりました」

ダミアンは椅子から立ち上がり、部長に向かって声を出した。

「そうか!よくやった、ダミアン君!」

部長はダミアンの背中をバンと叩いた。ここまでで終わっていればなんの問題もないのだが、この部長は必ずこの続きがある。

「男性はやはり底力があるね。伸びしろがあるというか。
女性はね、なかなかこうはいかないよね。割ける時間も根性も、やっぱり男性のほうがあるからね」

こんな世迷い事を、わざわざ女性の私の前で言うのだ。毎度の恒例行事だが。
ダミアンは隣の席の私を気遣い、はあ、とかあいまいな返事をする。

ちなみに、割ける時間で言えば、先月の勤務時間は部内で私がダントツトップだ。わたしの二つ名は「社畜」である。

「あ、あの、部長、この契約は……」

私を暗に蔑んだ部長を見て、ダミアンが契約における私のフォローに言及しようとしたが、私は机の下でダミアンの脛を蹴ってそれを止めた。
言っていいことは一つもない。
この部長が私を蔑むのをやめることもないし、私の味方をしたとして、ダミアンも良い印象を持たれないだろう。

「そういえばミョウジ君」

部長は獲物を見つけて、不快な笑みを浮かべながら私の席までやって来た。

「昨日の『AOTヘッドライン』は見たかな?特集でやっていた水耕栽培の農家、あれ私は興味深かったんだが、君はどう思う?」

時々こうやって、私に無茶振りをする。
『AOTヘッドライン』というのは、BSでやっている深夜のニュース番組だ。さほどメジャーでないニュース番組や、新聞中面の規模が小さい記事など、私がチェックしていないだろうというニュースについて、わざわざ意見を求めるのだ。

部長、そのニュース拝見しておりませんでした。不勉強で申し訳ありません。
既にテンプレと化したその台詞を、申し訳なさそうな表情を浮かべながら口にするのがお約束である。
私がテンプレ通りに進めようとした時だった。

「部長、すみませんが」

横から割って入った声があった。
リヴァイ課長だった。

「ミョウジをお借りしてもよろしいでしょうか。これからミーティングでして」

私はぽかんと課長を見上げた。
ミーティング?そんなものあったっけ?

「あ、ああ……」

甚振る対象を突然取り上げられた部長は、戸惑いの声を上げた。

「恐れ入ります。ナマエ、来い」
「はっ、はい!」

何のミーティングかもわからないので、とりあえず机上のノートと筆記用具、電卓だけひっつかんで、営業部から出て廊下をずんずんと進むリヴァイ課長の後を追った。



「リ、リヴァイ課長……何のミーティングでしたっけ?すみません私失念しておりました……」
「あ?ねえよミーティングなんか」

課長はそう言うと、タイミングよく30階へやって来た下りのエレベーターへ乗り込んだ。
1階で降りると、ビル内のコーヒーショップへ入る。私は後ろをちょこちょこと着いていくのみだ。

「お前は席取っとけ。コーヒーで良いか?ルイボスティーもあるが、好みかどうかは知らねえ」
「る、ルイボスティー……で」

コーヒーショップの入り口で課長のペースにのまれる。
私はまごつきながらも席を確保した。窓際のソファ席だ。
窓の外はテラスが広がっている。こんな晴れた日はテラス席でも良かっただろうが、気持ちいいテラスでお茶など楽しんだら仕事に戻るのが辛くなる。

私はソファに行儀よく座って待っていた。

――課長はなぜ、ルイボスティーなどと言ったのだろうか。
コーヒーで良いか、までは分かる。その後に続く言葉として一般的とは思わない。
コーヒーを飲まない人間への代案としては、例えば紅茶とか、そのほうが普通だろう。もしくは、何か違うものを頼むか?とか。

いや、実際私はルイボスティーが好きなのだ。だが課長にそんなことを言った覚えはない。
私がルイボスティーを好きだと知っていたのだろうか。会社で飲んでいるのをたまたま見ていたのだろうか?それとも深い意味などなく、気まぐれでルイボスティーと言ったのだろうか。
――多分後者だろう。第三営業課は大所帯だ、私の好みなど知らないだろう。

そんなことを考えていると、飲み物を持った課長が来た。
課長は紅茶だ。コーヒーショップに入ってどちらもコーヒーを頼まない。

課長が私の好みを知っているかどうかは知らないが、課長が紅茶好きなのを私は知っていた。私は課長をよく見ているからだ。

「飲め。経費で落とすから俺の金じゃねえが」

課長はそう言って紅茶を啜った。これも以前から知っているが、課長はカップの持ち方が独特だ。

「あ、あの……ありがとうございました」

多分、あの場から逃れる口実を作ってくれたであろう課長にお礼を言う。

「あの禿げジジイ、うるせえからな」

紅茶のカップを置き、ふうと一息ついた課長はそう言った。

「すいません、お手数おかけしました」
「お前が謝ることじゃない」

課長は足と腕を組んでふんぞり返る。
店内はほどよく人が入っていて、BGMと人の話し声が上手いこと私達の会話をカムフラージュしてくれている。だから私達は気兼ねせずに喋れた。

「お前は目立つからな。業績は良いし、その歳で係長、しかも女だ。頭の固いジジイの中にはお前を気に入らないやつもいる。
まあ、出る杭は打たれるってことだ。無視しとけ」
「はあ……いつも気にせず流しているつもりなんですが……。
でも、私の評価をあの部長にされると思うとぞっとしません」

はは、と私は苦笑した。

「お前、自分が評価されてないと思ってんのか?半期毎の評価シート見てんだろ、お前の評価はこの第三営業課に来てからいつもSだ」

心臓が、どくりと鳴った。
私はルイボスティーのカップをかちゃりと置いて、課長を見据える。

「係長以下の人間についての上長評価は、実質課長に一任されている。
安心しろ、お前のことは俺が公正に評価してやる」

嬉しかった。
自分が思いを寄せている上司が、私を公正に評価し、その結果がSランクだなんて。
顔が赤くなりそうなのを、カップを持って顔を隠しごまかした。

「それよかお前、残業も大概にしろよ?この社畜が。お前の残業時間が長いと上長の俺の評価が下がるんだよ」
「ぜ、善処します……」

リヴァイ課長はふっと意地悪く笑い、カップをまた持って紅茶を啜った。



コーヒーショップを出た後、すぐにエレベーターホールへ戻るのかと思ったが、課長は一本良いかと言って喫煙スペースへ向かっていった。
私は少し離れたところから、煙草を吸う課長を眺めていた。

ああ、好きだな。
口が悪くて不器用だけど、優しくて、信頼できて、頼れる。

まあファンクラブまである課長は、社内の女子みんなのものだ。それに、課長のような素敵な人に恋人がいないとは思えなかった。

好きです、課長。

一生誰にも言えないだろう気持ちを、無声音でつぶやいた。




   

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