副官とモンブラン(2019エルヴィン生誕祭)





06




* * *



翌朝団長室に入った私は、昨日と同じように、モンブランを入れた紙袋をそっと机の引き出しの一番下に入れた。

昨日と全く変わらない紙袋とリボン。昨日と同じように焼いたモンブラン。
昨日と全然違うのは、私の心持ちだけだ。

プレゼントを渡してきちんと自分の気持ちを伝えよう。誤解がないように。
その上でこう言えば良い。

これはただの個人的な想いで、団長や調査兵団にご迷惑をお掛けすることはございません、
これからも人類のために最善を尽くす所存です、
兵士として邁進いたします、
今後ともご指導ご鞭撻のほどよろしくお願いいたします。

これでいい。完璧だ。シミュレーションは徹夜で何回もした。



そこへ、廊下から規則的な足音が聞こえた。
いつも聞いているからわかる。この足音はエルヴィン団長だ。
そう思った瞬間身体がかっと熱くなり、緊張が走る。

大丈夫だ、落ち着け。いつも通りで良い。
ドアが開いたらいつものように立ち上がり、敬礼をしておはようございますと挨拶をする。
団長がお席に座られるタイミングで移動し、プレゼントをお渡しし――
夜が明ける前から何度も何度も繰り返したシミュレーションを、高速でもう一度頭の中に再生した。
ドッドッドという鼓動が、いやに体に響いている。

ガチャ、とドアが開いた。スタートだ。
私は立ち上がって敬礼をする。

「団長、おはようござ」
「ナマエ、昨日はすまなかった」

ドアが開くなり挨拶を遮られ、計画は僅か2秒で破綻した。
徹夜のシミュレーションは一瞬で総崩れだ。
だが、エルヴィン団長に入室するなり深々と頭を下げられたのでは、口を噤むほかあるまい。

「あ、あの、団長、頭を上げて下さい」

慌ててそう言うが、エルヴィン団長は頭を下げたまま続けた。

「昨日は……飲み過ぎた。酔っていたんだ。本当に申し訳なく思っている」
「……」

アルコールが私に口づけたことへの理由にされている。
酔った上での行為。ただの戯れ。
そんなことは百も承知だったはずなのに、自分自身に何度も何度も言い聞かせたはずなのに。
彼自身の口から改めて言われると、やはり相当のダメージは受けてしまった。

いやしかし大丈夫だ。まだ修正できる。大勢に影響はない。
団長、お気になさらないで下さい。頭を上げて下さい。
私は団長をお慕いしていますが、これはただの個人的な思いで団長や調査兵団にご迷惑をお掛けすることはございません。
そう言えば良い。

「アルコールが言い訳になるとは思っていないが、君に誠実であるべきだった。
君には……君にだけは……誠実で、あるべきだった」
「は、あの、団長、あの、頭を上げて下さい……」

重々しいエルヴィン団長の声に、ああこの方は本当に申し訳ないと思っているのだなと、とにかくそれだけは伝わってきた。この方は、飲み過ぎて私などに口づけるなど軽率な真似をしたことを、心から後悔しているのだろう。
真面目なエルヴィン団長らしいとも思うが、私に口づけたことを後悔しているという状況がぐさりと私を突き刺した。

「ナマエ……君を想う余りに、急いた真似をした。
言葉足らずのまま口づけるなど……君には、私の気持ちを伝えていないというのに」

……え?
えっと、
……え?

聞き間違いだろうか。
なんだかすごく自分に都合の良い言葉が聞こえてきたような気がする。



エルヴィン団長はやっと頭を上げ、はあと大きくため息をつくと私の方を見た。
視線が交錯する。
エルヴィン団長の瞳から、不安と怯えが読み取れた。
――これもまた、初めて見るような顔だった。

昨日から団長の新しい表情を見てばかりである。
団長が壁外調査で初めて長距離索敵陣形を採用したときだって、こんな不安そうな目はしていなかった。
政府も、世間も、巨人も恐れないこの方は、今一体何に怯えているのだろうか。

エルヴィン団長はもう一度大きく深呼吸をすると、再び口を開いた。
いつも弁才を振るって淀みなく演説する人が、拙い口調で言葉を紡ぐ。

「ずっと……言うつもりはなかったが、俺は君を愛している。
もちろん部下として同僚として尊敬し愛しているが、今の言葉は……そういう意味ではない。君を女性として愛している。
今まで自分の感情は必要ないと、君に伝える必要もないとそう思ってきた。
だが、昨日酔って寝ていたところに、君の顔を間近に見て、つい……断り無く口づけてしまった。
君に対していい加減な気持ちで口づけたわけではないことだけは、分かって欲しい」

私は唇を震わせて、団長の言葉を黙って聞いていた。

「だがこれはただの個人的な思いで、元々伝えるつもりも無かった。もちろん君や、延いては団に迷惑をかけるつもりも無かった。
……君が私を許せないのであれば、私を訴えるも構わない、移動願を出すも構わない。
君は兵士として副官として優秀だ。君を失うことは調査兵団にとって大きな痛手となるが……君が私の顔も見たくないと思うのも致し方あるまい」

団長待って下さい、勘違いです、訴えるとか移動願とかそんなこと全く!
そう言おうとしたのだが、私の喉からは音が出なかった。
胸がいっぱいで、目から涙が溢れそうで、喉がつっかえたのだ。

まるで、私が準備していた言葉の主語をそのまま団長に置き換えたような台詞だ。
私が何も声を出さないのでエルヴィン団長はそのまま続ける。

「だが、私はこれからも人類のために最善を尽くすつもりだ。志半ばで自ら団長を退くつもりもない……それは許して欲しい。勝手を言っていると重々承知しているが……。
無論、君が私を許せないのであれば私を告発するも自由だ。その結果私が更迭されることがあれば、もちろん甘んじて受け入れよう。
だがそれまでは調査兵団団長として、人類の自由のために尽くす所存だ。それだけは容赦してくれ」

そこまで言うと、エルヴィン団長は再び頭を深く下げた。



徹夜のシミュレーションは徒労に終わった。
だが、シミュレーションよりも望んだ未来が、私の目の前に広がっている。

団長が、私を、想ってくれている?
先ほどからの胸の震えは体中に伝わり、今や私の身体全体が恐怖のような喜びにわなないていた。

それにしても、口づけごときでといっては何だが……私が団長を告発など、団長が更迭されるなど。あるはずがない。
だが彼の声はずっと真摯で、それはとても誠実な謝罪だった。

「団長、団長……どうか、頭を上げて下さい。あの、私の気持ちを聞いて下さいますか」

私はかがみ込んで、下から団長の身体を起こそうとした。
団長はそれを受けてゆっくりと上半身を起こす。

「私もずっと……言うつもりはありませんでしたが」



後悔はしないように。
そうですよね、兵長。



「私はエルヴィン団長をお慕いしています。
もちろん上官として団長として尊敬していますが、今の言葉はそういう意味ではありません。団長を男性としてお慕いしています。
今まで自分の感情は必要ないと……業務に差し支える感情は誰に伝える必要もないと、そう思ってきました。
ですが、私は誰の口づけでも受け入れる女ではないことだけは、わかっていただきたかったのです。
昨夜は……エルヴィン団長の口づけだったから、喜んで受け入れました」

私の視線の先の床が滲む。
泣くことなんて一つもないのに、感情が昂ぶって勝手に涙が出てきてしまうのだ。

「この想いはただの個人的なもので、団長や調査兵団にご迷惑をお掛けすることはございません。……そう言うつもりでした、先ほどまでは」

このまま下を向いていては、涙が零れてしまう。
そう思い目尻から涙を零さないようにするために私は前を向いたのだが、結果私の頭が動くことによって、目の中に溜まっていた涙が零れてしまった。
涙は頬に水跡を引く。
みっともない泣き顔をお見せするつもりはなかったが、結局涙が零れてしまった。私は腕でぐいと涙を拭う。

涙で濡れた私の目を見たエルヴィン団長は、息を呑んだ。
だが、何も言わずに私の次の言葉を待っている。

私は、腰を屈め自分の机の一番下の引き出しを開けた。

『やっと日の目を見せてくれるのか』

リボンのついた紙袋がそう言っているように見える。
見窄らしくて恥ずかしいと思っていたはずなのに、今は全くそんなことを思わなかった。
す、と両手で団長の前に差し出した紙袋は、今日はなんだか誇らしげだ。

「団長へお渡ししたくて……私の気持ちを分かっていただきたくて、モンブランを作りました。
……本当は昨日渡すつもりでしたが、他の方々からもらった豪華なプレゼントに気後れして、昨日の夜自分で食べてしまいました。これは、深夜に作り直した物です」
「……貰っても、いいのか?」

エルヴィン団長の大きな瞳が、揺れる。

「受け取っていただけますか?」

リボンの紙袋は、やっと私の手元を離れた。



エルヴィン団長は昨夜横になっていたソファに腰掛けると、応接テーブルの上で紙袋を剥く。
中から昨日と同じ小箱が出てきて、開けると、昨日と同じモンブランが出てきた。

昨日と全く変わらない紙袋とリボン。昨日と同じように焼いたモンブラン。
昨日と全然違うのは、私の心持ち、それと――
エルヴィン団長の心持ちだ。

「……美しいな」

テーブルの上のモンブランを眺めたエルヴィン団長は、ほう、と恍惚としたため息をつきながら言った。
昨晩月光を反射して柔らかく光っていた栗は、今は窓から差し込む日光を反射し、昨夜よりももっと光り輝いている。
こちらの方が、エルヴィン団長に相応しい。そう思った。

「王都の茶会でモンブランを初めて見たときに、団長のように美しい菓子だと思いました。
見た目ももちろんそうですが、その……高貴で尊い志も」

そう言った私をエルヴィン団長はソファの上から見上げた。
三度(みたび)私達の視線は絡み、だが、今度は幸せに溢れた交錯だった。



「ナマエ、まだ朝だが……俺はモンブランに目がない。休憩の時間まで我慢できそうにない。せっかくだから今、頂こう。
……二人で食べよう」
「はい、団長。お茶、お淹れしますね」

団長とその副官。上官と部下。
それは、私達の関係を表す言葉。
そこに今もう一つ、新しい言葉が加わった。

湯を沸かし、リヴァイ兵長ほどの技術はないが、心を込めて丁寧に茶を淹れる。
ポットとティーカップを盆に載せて団長の方を振り向くと、また今まで見たことのない顔をしていた。



団長は、恋人にはこんな甘くて優しい顔をするのだ、と、私は今日初めて知った。





【副官とモンブラン Fin.】




   

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