副官とモンブラン(2019エルヴィン生誕祭)





05




* * *



自室に戻った時にはもう日付が変わっていて、同室の同期は既に寝息を立てていた。

――確か、口づけが一段落したところで、私はハッと我に返ったのだと思う。
自分は上官となんと言うことをしているのかと思い至り、全身から血の気が引いた記憶はある。
慌てて飛び退いて敬礼をしてから退室した。
その時エルヴィン団長がどんな顔をしていたかは分からない。恐ろしくて、見ることができなかったのだ。

私は自分のベッドに頭まですっぽり潜り込んで、縮こまっていた。
一体自分は上官に何ということをしてしまったのか。
アルコールも少なからず入っていた上に夜も深かったが、全く眠くはない。私の目はぎんぎんに冴えていた。



あんな団長は初めてだった。

私の知っているエルヴィン団長は、ほとんどいつも「団長」だった。
勿論長い時間お側で仕えていれば、希だが「団長」以外のお顔を目にすることだってある。
それはどこかいたずらっ子のようだったり、純粋な少年のようだったり。そういう顔なら数回見たことがある。
だが、先ほど私が見たのは、いたずらっ子でも無邪気な少年でもない、初めて見る顔だった。
それは「雄」の顔だ。

それでも、その顔が嫌だったわけでは決してない。
下腹部がきゅうっとしまり、口づけをしていた時の快感があふれ出しそうになる。
私は、確かに快感を覚えていたのだ。

明日からどんな顔をすれば……
いや、知っている。どんな顔をすれば良いのか考えればわかる。

何も無かったことにすれば良いのだ。モンブランを一人で全部食べたとき、そうしようとしていたじゃないか。
何も無かったことに。明日からも今日と何も変わらない。
いつも通りの顔をして団長室に向かい、おはようございますと敬礼して挨拶し、自らの仕事に邁進すれば良い。
唇に残る感触と、下腹部の疼きは何も無かったことにするのだ。

だがそこで、はたと気がついた。
あんなキスをして、私ははしたない女だと思われただろうか。
誰とでも舌を絡められる、尻の軽い女だと思われただろうか。

だって私は、自分の気持ちをきちんと伝えていない。
それなのに彼にしがみついて、喜んで受け入れてしまった。
それはもちろん誰でも良かったわけじゃなくて、団長だからだったのに。

私が団長の事を上官として尊敬していることは、日々一緒に任務に当たる中で恐らく伝わっているだろうが、恋愛感情を持っているとは伝わっていないだろう。
リヴァイ兵長もそう仰っていたし、私はこれまでそういう感情をおくびにも出さないようにしてきた。彼への恋愛感情は、私が副官として勤める上で邪魔なものだと思っていた。

今まで、自分のことなどわかってもらう必要はないと思っていたのだ。
部下としてお役に立てれば。人類の自由に近づけるならば。
団長が私を部下以上の存在として認識する必要などないと思っていたし、またそんなことは逆立ちしても起きないと思っていた。

今晩のことは良い。
エルヴィン団長も人間だ。そういった気分になることもあるだろうし、欲も吐き出さねばなるまい。その一助になるならば。
元より心臓を捧げた身だ、私は喜んで唇なんていつでもいくらでも差し出すし、唇だけじゃなくこの身体全て捧げたって構わない。
だが、私が誰にでもそうだと勘違いされるのだけは我慢がならなかった。

別に、エルヴィン団長が私を女性として愛してくれるなんて思っていない。でも私のことを誤解はして欲しくなかった。
エルヴィン団長だから、私が男性として愛しているあなただから。
私はいつでも、何度でも、必要とあらば何だって捧げられるのだと分かって欲しい。



『後悔はしないようにしたほうが良いんじゃねえか。
俺たちは命を賭している身だからな』

私はバッとベッドから跳ね起きた。
明日死んだら、私は後悔をする。



自分の戸棚の一番下の引き出しを開けた。まだ残っている。
万が一失敗したら作り直さなきゃいけないから、余った分もすぐに捨てずに取っておいたのだ。
小麦粉、砂糖、そして栗。卵だけは引き出しの中に入れられなかったので予備は無い。黙って拝借するのは申し訳ないが、食堂の食料庫から失敬しよう。後日買って返せば良い。

私はなるべく音を立てないように材料を適当な袋に詰め、ぐっすりと眠っている同期を横目にそっと部屋を抜け出す。
ぱたり、と静かに自室のドアを閉めると、私は厨房へ向かって駆けだした。




   

目次へ

進撃のお話一覧へ




- ナノ -